神話とか、古代史とか。

日本をはじめあちこちの神話や古代史、古代文化について、考えたこと、わかったこと、考えたけどわからないことなど。

釣手土器の話 4 - 火を産む神

 ここでようやく本題の、文様解読の話になる。

 まず注目してみたいのは、曽利遺跡から出た釣手土器(その正面側)の造形だ(図1)。これは果たして本当に、「火を産み出す女神」の姿なのか?

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図1 曽利出土(くどいようだが、首から上は推定復元)*1

 この点を明らかにすることは、実は案外難しくない。同時代の縄文土器の中に、かなりはっきり出産の様子を表したものがあるからだ。御所前遺跡(山梨県北杜市)から出た顔面把手付土器(図2)を見ていただきたい。

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図2 御所前出土*2

 これはもうなんと言うか、見ての通りの土器であり、説明は必要ないだろう。さすがにこれを見て、「必ずしも出産の様子を描いたものとは言い切れない」などと、言い張る人というのは見たことない(探せばいるのかもしれないが)。

 この土器の「胎児」が顔を出した部分と、曽利釣手土器の窓のあたりを比較してみよう(図3)。

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図3 比較図*3

 一応わかりやすいように、共通する要素を線画にしてみたが、正直そんな必要もない。これまた一目瞭然で、同じコンセプトのデザインだ。「御所前土器のデザインが抽象化されて、曽利釣手土器の文様になった」と、そういう理解でいいのだろう。

 こうなると、曽利釣手土器も御所前土器と同じく、出産の様子を表した遺物ということでよさそうだ。ところで曽利釣手土器の方は、何を産み出そうとしているのだろう? 釣手土器の用途がランプなら、それはやはり、「火」以外の何かではありえない。

 顔面把手付釣手土器は、「火を出産する女性」の姿を表している可能性が高い。もちろんそれが、のちのイザナミのルーツに当たる神(火を産んで焼死する女神)だったとは言い切れない。ただ、「女性の胎内から火が生まれた」という観念をもたない人々が、わざわざ手間ひまかけてこういう土器をつくるのは、あまりありそうもないことだ。

 少なくとも、「火を出産する女性(女神)」という観念は、縄文時代の日本列島にすでにあったのだと思われる。曽利出土例(図1)をはじめとする顔面把手付釣手土器が、この女性を表していることも、まず間違いないところだろう。

 

八ケ岳縄文世界再現 (とんぼの本)

八ケ岳縄文世界再現 (とんぼの本)

 

*1:『井戸尻 第8集』富士見町井戸尻考古館 2006年より。

*2:左:『八ケ岳縄文世界再現』新潮社 1988年より。/右:森浩一『図説日本の古代(2)木と土と石の文化』中央公論社 1989年より。

*3:上左:http://livedoor.blogimg.jp/nara_suimeishi/imgs/7/9/792af231.jpg/上右:『井戸尻 第8集』富士見町井戸尻考古館 2006年より。

釣手土器の話 3 - 縄文土器とイザナミ神話

 縄文時代の中期だから、いまからだいたい5000~4000年くらい前のことだ。関東・中部地方、特に長野県で、「釣手土器」というちょっと変わった土器がつくられた。

 ランプとして使われていたようだが、実用品ではなく、お祭の道具とみられている。全体豪勢な土器であり、中でも顔面把手のついた大型のものはゴージャスだ(図1・2。それぞれ長野県伊那市御殿場遺跡と、同県富士見町曽利遺跡出土)。

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図1 御殿場出土*1

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図2 曽利出土(首から上は推定復元)*2

 なおキャプションにも書いてあるが、曽利遺跡から出た釣手土器の方は、首から上が失われていた。いかにも縄文人が造りそうな顔面把手がついているが、これは想像による復元だ。御殿場遺跡のものとの比較から、顔面把手があったことは間違いあるまいが、どんな顔だったかはわからない。この土器を見るときは、よくよく注意していただきたい。

 この手の「顔面把手付釣手土器」について、考古学者の田中基氏は、面白い仮説を唱えている*3。この土器は、「火を産み出す女神」を表しているというのである。

 『古事記』『日本書紀』には、「イザナミ」という女神が登場する。イザナミは日本列島を産み出した神だが、最後に火の神(カグツチ)を産んだため、焼死したと言われている*4。その後は死後の世界を支配し、1日1000人をとり殺す死の女神に変貌したそうだ。

 これと同じような神話が、縄文時代の日本にもあったのではないか? 釣手土器はその女神を表したものだと、田中基氏は推定する。たしかにこの土器に火をともせば、火を出産する女性のように見えるだろう。

 さらに田中氏によれば、土器の裏側*5は、死んだ女神の姿である。死んで怪物になった女神の顔であり、逆立った髪のようなものは、ヘビを表しているという。髪の毛がヘビになっていたギリシア神話の怪物にちなみ、田中氏はこうした釣手土器を、「メデューサ型ランプ」と命名した*6

 なお、やはり考古学者の小林公明氏や、神話学の吉田敦彦氏も、ほぼ同様の仮説を唱えている*7

 めっぽう面白く、また画期的な説でもあるのだが、疑えばいろいろ疑える(もともと仮説とはそういうものだけど)。

 この正面のデザインは、ほんとに出産の様子を表したものか? 単にランプの飾りとして、顔面把手をつけてみただけかもしれないだろ。
 裏側も、これがなぜ顔だと言えるのか? 鼻も口もないのだから、2つの窓が目を表してると、言い切れる根拠はないはずだ。
 髪の毛(のように見えるもの)にしても、ヘビの頭は見当たらない。頭がなければただの紐であり、ヘビだかなんだか知れたものじゃない。……

 これらの論点について、「見える」「見えない」の水掛け論でなく、そこそこ客観性のある答を出すことはできないか? だいたいこういう流れから、釣手土器の文様の意味を解いてみようという話になるわけだ。

 

縄文宗教の謎 (古代学ミニエンサイクロペディア)

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縄文のメドゥーサ―土器図像と神話文脈

縄文のメドゥーサ―土器図像と神話文脈

 
縄文の神話

縄文の神話

 

*1:http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/158078

*2:『井戸尻 第8集』富士見町井戸尻考古館 2006年より。

*3:このブログは読みやすさを優先するため、原則として個人に対し、尊敬語の類を使わない。

*4:火が女性の胎内から生まれたという神話は、メラネシア南アメリカ大陸にもある。吉田敦彦『縄文宗教の謎』大和書房 1993年 116~121ページ。

*5:一応窓が1つしかない方を「表」、2つ以上あれば「裏」とする。

*6:田中基「メデューサ型ランプと世界変換」(『山麓考古』15号 1982年)。田中氏には、『縄文のメドゥーサ 』(現代書館 2006年)という著作もある。 

*7:小林公明「新石器時代中期の民俗と文化」( 富士見町教育委員会『富士見町史 上』1991年)と、吉田敦彦『縄文の神話』青土社 1987年。 

道祖神の話 1 - 章ごとの内容

 「はじめに」にも書いたが、「道祖神と近親相姦」には論文が7つ入ってて、長い。その内容を数行でまとめるのはちょっと無理なので、ここでくわしく紹介しておこう。ちなみに()内の数字は、『怪』誌上のページ番号だ。

I 誰がサヨヒメを殺したか(79-85)
 九州の道祖神は、たいてい「サヨヒメ」と呼ばれており、父子相姦の物語をもつものが多い。かなり突拍子もない話なので、どこからこういう物語が生まれたのかを考えてみた。探偵小説みたいなタイトルだが、実際文中で、サヨヒメ殺しの「真犯人」が名指しされている。

II 水神と松浦佐用姫(85-89)
 九州でサヨヒメと言えば、佐賀県の松浦佐用姫が有名だ。こっちのサヨヒメも、道祖神の方のサヨヒメの仲間なんだろうな、という話。

III 道祖神と近親相姦(89-92)
 道祖神の起源はなぜ、近親相姦(兄妹相姦や父子相姦)の物語で説明されるのか? 「洪水型始祖神話」との関係からその背景を探る。

IV 虎ヶ石異聞(92-96)
 特に東日本では、虎ヶ石と呼ばれる石があちこちで信仰されている。そこに祀られる「トラ」という女性たちもまた、やはりサヨヒメの仲間だろう。

V 盲僧と境界(96-98)
 目の見えない僧侶たち――琵琶法師や座頭が道祖神と、何かと結びつけて語られる、その理由について。特に「蛇骨峠」という昔話に注目した。

VI 諏訪のミシャグチ(98-105)
 諏訪地方を中心に信仰される謎の神・ミシャグチ(またはミシャグジ)の話。ミシャグチの謎を解く鍵も、やはり「蛇骨峠」にある。

VII 神に歴史あり(105-106)
 全体のまとめ。道祖神を大きく3群に分け、それぞれの背景についても簡単に触れた。

 なお、注釈は紙幅の都合により、誌面に載せられなかったので、『怪』公式サイトで紹介されていた。注釈だけPDFでなく、MHTファイルなのはそのためだ。

久々の論文

 いずれ「はじめに」に追記する予定だが、まずは報告を。

 去年投稿した論文が、『比較民俗学会報』169号に載った。「ワカヒコ - タカヒコネ神話と昔話」というタイトルだ。

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 『古事記』『日本書紀』には、「アメワカヒコ」と「アヂスキタカヒコネ」という神々にまつわる物語がある。これはどうやらいくつかの昔話が合成され、いまの形になっているらしい。「二人兄弟」や「瓜子姫」、「三つのオレンジ」、「蛇王子」などの昔話と比較することで、その成り立ちを明らかにする――的な話。

釣手土器の話 2 - 棚畑土偶、但し書き

 前回、棚畑土偶(いわゆる「縄文のビーナス」)をとり上げた。この土偶については、少し補足することがある。実はこれ、完全に欠けたところのない状態で見つかったというわけではない。

 図1は、棚畑土偶が出土したときの写真である。たしかにほぼ完形ではあるが、右脚はかなり欠けている。例の文様(股間の5角形)の半分近くは、現代人が粘土で復元したものなのだ。

f:id:calbalacrab:20170205204029j:plain図1*1

 ともあれ、写真を見る限り、この文様がもともと左右対称の形をしていたことはまず間違いない。つまりこの復元は、充分な根拠にもとづいており、わからないところを想像で補ったものではないということだ。月見松土器の文様と比較する上で、支障はないと考えていい。

 特に博物館の目玉になるような出土品は、一見どこが欠けていたのかわからないような形で復元されていることが多い。遺跡の報告書などを見ないと復元箇所がわからないこともあるから、注意が必要だ。

 ちなみに棚畑遺跡の報告書は、こちら(↓)からダウンロードできる。
http://sitereports.nabunken.go.jp/ja/788

*1:茅野市教育委員会『棚畑』1990年 より。

釣手土器の話 1 - 文様を読んでみる

 「吊手土器の象徴性」(「はじめに」を参照)は簡単に言えば、縄文土器の文様の意味を解読しようという試みだ。解読と言っても、暗号や古代文字を読むわけではないから、実はそれほど難しくない。たとえばの話、月見松遺跡(長野県伊那市)から出た「顔面把手付土器」(図1)について考えてみよう。

f:id:calbalacrab:20170123014907j:plain図1 月見松出土*1

  この土器を上から見ると、顔面把手の反対側、縁のところに変わった模様がある(図2。赤線で囲んだ部分)。

f:id:calbalacrab:20170123111351j:plain図2*2

 つぶれたホームベースと言うか、一見ビキニパンツのような形である。これは何を表しているのだろう?

 もちろんこれだけを100年眺めていても、この図形の意味はさっぱりわからない。が、図3の土偶(長野県茅野市、棚畑遺跡出土)と比較してみれば、割と簡単に答が出る。

f:id:calbalacrab:20170123111520p:plain図3 棚畑出土*3

  「縄文のビーナス」として有名な土偶であり、見憶えある方も多かろう。この土偶の股間の文様と、例の図形を比較してみよう(図4)。

f:id:calbalacrab:20170123114913j:plain図4

 形はもちろん、全体を浅く彫りくぼめたような表現もほぼ同じであり、偶然似たものではなさそうだ。これらは同じ流れを汲むデザインなのだろう。ところで棚畑土偶の方は位置的に、陰毛を表すものとしか思えない。

 こうなると、月見松土器の方の文様も、やはり陰毛の表現なのだろう。つまりこの土器は全体として、女性(女神?)の体を表しているらしい。もっと言えば、月見松土器の内部の空間は、多分女性の腹の中だ。

 この方法を使えば、かなり抽象的な土器の文様も、解読できる場合がある。要するに、
「ほぼ同時代・同地域の遺物の中から、その文様のオリジナルに近い、より具体的な(意味のわかりやすい)文様」
 を見つければいいということだ。非常に簡単なやり方で、何も難しいところはない。

 「吊手土器の象徴性」ではこの方法で、主に釣手土器の文様を解読したわけだが、それはまた後日。

 

八ケ岳縄文世界再現 (とんぼの本)

八ケ岳縄文世界再現 (とんぼの本)

 

*1:『八ケ岳縄文世界再現』新潮社 1988年より。 

*2:同上。

*3:http://news.walkerplus.com/article/49650/267332_615.jpg