釣手土器の話 9 - 頭上に口を開けたヘビ
図1 御所前出土*1
御所前遺跡出土土器(図1)の人体装飾には、目だけがやけに強調された奇怪な顔面がついていた(前回参照)。これと似たようなデザインは、縄文土器には結構ある。その中で、特に御所前土器に近いのは、曽利遺跡から出た「人体装飾付土器」(図2)だろう。
図2 曽利出土*2
手足を広げた体の上に、やはり真ん丸の目だけの顔がある。股間の丸い文様は、ぶっちゃけた話性器だろう。下から矢印みたいなものが性器を目指しており、かなりあからさまにSEXが、表現された土器ではある。
これを御所前土器と比較してみると、だいたい似たような文様で構成されてることがわかる(図3・4)。土器全体もそうだが、特に把手部(顔面)や、そのまわりの装飾がよく似ている。
図3 比較図A*3
図4 比較図B*4
御所前土器より曽利土器の方が、デザイン的に古いと考えられている*5。曽利土器のデザインが変化して(または少し洗練されて)、御所前土器になったものだろう。
実は曽利土器の存在は、釣手土器の背面について考える上でも結構重要だ。曽利土器の把手(顔面)をよく見ると、頭上の飾りはヘビの頭だということがわかる(図5)。ご覧の通りこのヘビは、上に向かって口を開けている*6。
図5 曽利出土(把手部)
ここで御殿場遺跡出土の釣手土器(その背面)を、思い出していただきたい。そこにもやはり同じように、口を開けたヘビの頭が表現されていた(図6。第7回参照)。
図6 御殿場出土*7
曽利土器と御殿場釣手土器を比較してみれば、
「丸い2つの穴の上に、ヘビの頭が口を開けている」
という、同じデザインになっていることがわかる。曽利土器の把手が「目ばかりの顔」なら、御殿場釣手土器の背面も、同じものを表していた可能性が高くなってくる。
*1:森浩一『図説日本の古代(2)木と土と石の文化』中央公論社 1989年より。
*2:『井戸尻 第6集』富士見町教育委員会 1988年より。
*3:左上:『曽利』長野県富士見町教育委員会 1978年より。/右上:『津金御所前遺跡』須玉町教育委員会 1986年より。
*4:左上:『井戸尻 第6集』富士見町教育委員会 1988年より。/右上:森浩一『図説日本の古代(2)木と土と石の文化』中央公論社 1989年より。
*5:曽利土器は「藤内I式」、御所前土器は「井戸尻II式」に分類されており、藤内I式の方が古い。『曽利』長野県富士見町教育委員会 1978年(65ページ)と、『津金御所前遺跡』須玉町教育委員会 1986年(11ページ)参照。なお、こうしたいわゆる「型式編年」については、後でくわしく書く気でいる。
*6:上顎の一部は見た感じ、推定復元かもしれないが。
釣手土器の話 8 - 顔面把手、裏の顔
引き続き、「釣手土器背面の2つの窓が、目を表してるかどうか」という話だ。これを考える上では、顔面把手と呼ばれる遺物が参考になる。釣手土器のデザインには、顔面把手付土器が大きな影響を与えているからだ(第5回参照)。
で、顔面把手の裏側を観察してみると、その中にはたしかに「目ばっかりの顔」が、表されたものがいくつかある。一番わかりやすいのは、南養寺遺跡(東京都国立市)の顔面把手付土器(図1)だろう。
図1 南養寺出土*1
裏側(右)には鼻も口もなく、2つの穴が並んでるだけだ。が、眉毛はしっかり描かれており、これはやはり顔だろう。少なくとも、顔面把手にはその裏側に、表側とはまったく違う顔面をもつものがあるということだ。
ほかにこれに似た例としては、第4回でもとり上げた御所前遺跡出土の顔面把手付土器(図2)がある。
図2 御所前出土*2
この顔面把手の裏側は、正面に表された女性の「後頭部」などではなさそうだ。それは土器本体を見れば、すぐにわかる。把手部分のすぐ下に、正面側とまったく同じ人体装飾があるからだ。つまりこの土器は、「180°回転させることで、女性(妊婦)の表情が一変する」という、凝った仕掛けになっているのである。
御所前顔面把手の裏が人面なら、これも南養寺の裏面(図1右)と同じく、「目ばっかりの顔」にほかならない。
「表は割と普通の顔なのに、180°回すと目ばかり強調された、奇怪な顔面が現れる」
というデザインは、縄文時代中期の関東・中部地方で、たしかに使われていたことになる。釣手土器もまたその多くは、同じコンセプトでもってつくられていたのではないか?
釣手土器の話 7 - 真ん中のこれはヘビだろう
前回に続き、釣手土器背面の話である。
釣手土器の背面でまず目立つのは、真ん中を上下に走る「ベルト」だろう。なにやら複雑な模様が刻まれているが、これはどうやらヘビを表しているらしい。たとえば曽利釣手土器のこの部分を、同じく曽利遺跡出土の「蛇身装飾付土器」(図1左)の胴体と比較してみよう(図2)。
図1 ともに曽利出土*1
図2 比較図
真ん中の文様が上下逆(「M」と「W」)なのはご愛嬌だが、これはほぼ同じデザインだ。
また、御殿場釣手土器もよく見ると、「ベルト」のてっぺんに、スプーン状の突起がある(図3左。赤線で囲んだ部分)。御殿場遺跡の報告書によれば、これはヘビの頭と考えられている*2。横から見るとこのヘビは、斜め上に向かって口を開けていることがわかる(図3右)。
図3 御殿場出土*3
ついでに大深山釣手土器にも、同じところにヘビの頭らしい模様がついている(図4左)。この土器の「ベルト」は鎖状だが、これは同時代の蛇身装飾にもある文様だ(図4右。長野県茅野市、茅野和田遺跡出土)。
図4 左:大深山出土/右:茅野和田出土*4
もちろんこれらがヘビだったとしても、だからなんだという話ではある。釣手土器背面が顔かどうかとは、一見関係がなさそうだ。でもこれが、のちにそこそこ重要な意味をもってくる。
釣手土器の話 6 - この裏面は顔なのか?
釣手土器正面の話はこれくらいにして、ここから裏側(図1。窓が2つある方)の話である。これは本当に、「死んだ女神の頭部」なのか? まぁ死んでるかどうかはおいとくとしても、さしあたり顔なのかどうかが問題だ。
図1 左:曽利出土/右:御殿場出土*1
ちなみに顔面把手のないタイプ(前回参照)でも、釣手土器の背面と言えば、だいたい似たようなつくりになっていることが多い。特に大深山遺跡の釣手土器などは、ぱっと見でいかにも顔っぽい(図2)。
図2 大深山出土*2
実際、浅間縄文ミュージアムに展示されたときは、この土器に「人面香炉形土器」というキャプションがついていたらしい*3(ふだんは川上村文化センター所蔵)。じゃあもう顔でいいんじゃね? と思わなくもないが、ここはひとつ、疑り深い方向で考えてみよう。
この手の釣手土器で顔らしい部品と言えば、厳密には2つの窓(目?)だけだ。窓が2つ並んでるだけで、目を表してると決めてかかるのは、やっぱりちょっと心もとない。できることならもう少し、白黒つけたいのが人情だ。
一応お断りしておくと、「証拠もないのに顔だとか言うのは、学者としていかがなものか」とか、そういうことを言いたいのではない。その時点で決め手がなかったとしても、「こうなんじゃない?」と仮説を立ててみるのはとても大切なことだ。あとで間違いだったとわかったとしても、それで議論が深まったのなら、なんの問題もない。間違いを恐れ、絶対確実なこと(「高さが何センチ、幅が何センチ」とか)しか言わないのは、それこそ研究者として一番ダメな態度である。
ということで、この窓が実際目なのかどうかを考えたいのだが、こっちはどうも正面側ほど簡単にはいかない。なるべくわかりやすいところから、一つずつ片づけていこう。
釣手土器の話 5 - シンプルな方の釣手土器
釣手土器はお祭用なので、縄文土器の中でもかなり凝ったつくりになっている。でももちろん、顔面把手までついているものは、全体の中のごく一部だ。その他の釣手土器はもう少し地味で、たとえば図1(長野県富士見町、井戸尻遺跡出土)のようなものが多い。
図1 井戸尻出土*1
このタイプの釣手土器は、どうやら女性の頭部を表しているらしい。これは同時代の顔面把手(図2。同県同町、九兵衛尾根遺跡出土)と見くらべてみれば、すぐにわかる。
図2 九兵衛尾根出土*2
見ての通り、顔面把手の顔の部分を打ち抜いて窓にすれば、釣手土器とほぼ同じになる。これはなにも井戸尻のものに限らず、このタイプの釣手土器一般について言えることだ。たとえば、海道前C遺跡(山梨県北杜市)の顔面把手と、大深山遺跡(長野県川上村)の釣手土器などもよく似ている(図3)。
図3 左:海道前C出土/右:大深山出土*3
こういった、いわば「顔面把手ブチ抜き型」の釣手土器の存在は、多くの考古学者によって指摘されてきた。たとえば八幡一郎氏は、大深山遺跡4号竪穴出土の釣手土器について、次のように説く。
正面に大きく開く透窓あり、その縁をなす三角形の釣手は、恰【あたか】も顔面把手の顔面を打ち抜いたように、顔面把手の結髪と称せられる意匠がそのまゝに飾られている。*4
「炎に焼かれる女性(女神)」の姿を、頭部だけで表せば、シンプルなタイプの釣手土器になる。全身像として表せば、(曽利例や御殿場例のような)顔面把手のあるゴージャスなものになるのだろう。
なお、特に曽利出土の釣手土器が、顔面把手付土器(御所前遺跡出土)のデザインから強い影響を受けていたことは、前回で述べた。全身像タイプもそうでないものも、釣手土器という遺物のデザインは、顔面把手付土器に学んだ部分が多いらしい。
*1:『井戸尻 第8集』富士見町井戸尻考古館 2006年より。
*2:同上。
*3:左:https://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/topics/101-200/images/kaodoumaehanakokakudai1.jpg/右:http://line.blogimg.jp/kondaakiko/imgs/2/2/22598148.jpg
釣手土器の話 4 - 火を産む神
ここでようやく本題の、文様解読の話になる。
まず注目してみたいのは、曽利遺跡から出た釣手土器(その正面側)の造形だ(図1)。これは果たして本当に、「火を産み出す女神」の姿なのか?
図1 曽利出土(くどいようだが、首から上は推定復元)*1
この点を明らかにすることは、実は案外難しくない。同時代の縄文土器の中に、かなりはっきり出産の様子を表したものがあるからだ。御所前遺跡(山梨県北杜市)から出た顔面把手付土器(図2)を見ていただきたい。
図2 御所前出土*2
これはもうなんと言うか、見ての通りの土器であり、説明は必要ないだろう。さすがにこれを見て、「必ずしも出産の様子を描いたものとは言い切れない」などと、言い張る人というのは見たことない(探せばいるのかもしれないが)。
この土器の「胎児」が顔を出した部分と、曽利釣手土器の窓のあたりを比較してみよう(図3)。
図3 比較図*3
一応わかりやすいように、共通する要素を線画にしてみたが、正直そんな必要もない。これまた一目瞭然で、同じコンセプトのデザインだ。「御所前土器のデザインが抽象化されて、曽利釣手土器の文様になった」と、そういう理解でいいのだろう。
こうなると、曽利釣手土器も御所前土器と同じく、出産の様子を表した遺物ということでよさそうだ。ところで曽利釣手土器の方は、何を産み出そうとしているのだろう? 釣手土器の用途がランプなら、それはやはり、「火」以外の何かではありえない。
顔面把手付釣手土器は、「火を出産する女性」の姿を表している可能性が高い。もちろんそれが、のちのイザナミのルーツに当たる神(火を産んで焼死する女神)だったとは言い切れない。ただ、「女性の胎内から火が生まれた」という観念をもたない人々が、わざわざ手間ひまかけてこういう土器をつくるのは、あまりありそうもないことだ。
少なくとも、「火を出産する女性(女神)」という観念は、縄文時代の日本列島にすでにあったのだと思われる。曽利出土例(図1)をはじめとする顔面把手付釣手土器が、この女性を表していることも、まず間違いないところだろう。
*1:『井戸尻 第8集』富士見町井戸尻考古館 2006年より。
*2:左:『八ケ岳縄文世界再現』新潮社 1988年より。/右:森浩一『図説日本の古代(2)木と土と石の文化』中央公論社 1989年より。
*3:上左:http://livedoor.blogimg.jp/nara_suimeishi/imgs/7/9/792af231.jpg/上右:『井戸尻 第8集』富士見町井戸尻考古館 2006年より。
釣手土器の話 3 - 縄文土器とイザナミ神話
縄文時代の中期だから、いまからだいたい5000~4000年くらい前のことだ。関東・中部地方、特に長野県で、「釣手土器」というちょっと変わった土器がつくられた。
ランプとして使われていたようだが、実用品ではなく、お祭の道具とみられている。全体豪勢な土器であり、中でも顔面把手のついた大型のものはゴージャスだ(図1・2。それぞれ長野県伊那市御殿場遺跡と、同県富士見町曽利遺跡出土)。
図1 御殿場出土*1
図2 曽利出土(首から上は推定復元)*2
なおキャプションにも書いてあるが、曽利遺跡から出た釣手土器の方は、首から上が失われていた。いかにも縄文人が造りそうな顔面把手がついているが、これは想像による復元だ。御殿場遺跡のものとの比較から、顔面把手があったことは間違いあるまいが、どんな顔だったかはわからない。この土器を見るときは、よくよく注意していただきたい。
この手の「顔面把手付釣手土器」について、考古学者の田中基氏は、面白い仮説を唱えている*3。この土器は、「火を産み出す女神」を表しているというのである。
『古事記』『日本書紀』には、「イザナミ」という女神が登場する。イザナミは日本列島を産み出した神だが、最後に火の神(カグツチ)を産んだため、焼死したと言われている*4。その後は死後の世界を支配し、1日1000人をとり殺す死の女神に変貌したそうだ。
これと同じような神話が、縄文時代の日本にもあったのではないか? 釣手土器はその女神を表したものだと、田中基氏は推定する。たしかにこの土器に火をともせば、火を出産する女性のように見えるだろう。
さらに田中氏によれば、土器の裏側*5は、死んだ女神の姿である。死んで怪物になった女神の顔であり、逆立った髪のようなものは、ヘビを表しているという。髪の毛がヘビになっていたギリシア神話の怪物にちなみ、田中氏はこうした釣手土器を、「メデューサ型ランプ」と命名した*6。
なお、やはり考古学者の小林公明氏や、神話学の吉田敦彦氏も、ほぼ同様の仮説を唱えている*7。
めっぽう面白く、また画期的な説でもあるのだが、疑えばいろいろ疑える(もともと仮説とはそういうものだけど)。
この正面のデザインは、ほんとに出産の様子を表したものか? 単にランプの飾りとして、顔面把手をつけてみただけかもしれないだろ。
裏側も、これがなぜ顔だと言えるのか? 鼻も口もないのだから、2つの窓が目を表してると、言い切れる根拠はないはずだ。
髪の毛(のように見えるもの)にしても、ヘビの頭は見当たらない。頭がなければただの紐であり、ヘビだかなんだか知れたものじゃない。……
これらの論点について、「見える」「見えない」の水掛け論でなく、そこそこ客観性のある答を出すことはできないか? だいたいこういう流れから、釣手土器の文様の意味を解いてみようという話になるわけだ。
*1:http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/158078
*2:『井戸尻 第8集』富士見町井戸尻考古館 2006年より。
*3:このブログは読みやすさを優先するため、原則として個人に対し、尊敬語の類を使わない。
*4:火が女性の胎内から生まれたという神話は、メラネシアや南アメリカ大陸にもある。吉田敦彦『縄文宗教の謎』大和書房 1993年 116~121ページ。
*5:一応窓が1つしかない方を「表」、2つ以上あれば「裏」とする。
*6:田中基「メデューサ型ランプと世界変換」(『山麓考古』15号 1982年)。田中氏には、『縄文のメドゥーサ 』(現代書館 2006年)という著作もある。
*7:小林公明「新石器時代中期の民俗と文化」( 富士見町教育委員会『富士見町史 上』1991年)と、吉田敦彦『縄文の神話』青土社 1987年。