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釣手土器の話 22 - 野雷と書いてノヅチと読む

 釣手土器の話と題してるが、今回は釣手土器あまり関係ない。八雷神の1柱である「野雷」をノヅチと読んで、いいのか悪いのかという話だ。

 まず、岩波文庫の『日本書紀(1)』を見ると、普通に「のつち」とルビが振ってある(54ページ)。厳密にはノチじゃなくてノチだが、日本語は濁点に関してアバウトだし、ここは気にしなくていいだろう。講談社学術文庫の『日本書紀(上)』も、ルビはやっぱり「のつち」である(31ページ)。

 問題は中央公論社の『日本書紀(上)』で、これだけは何を思ったか、「ののいかずち」と読ませている(100ページ)。多数決なら2対1でノツチ(ノヅチ)の勝ちだが、学問ではそういうわけにもいかない。ノヅチ説とノノイカヅ(ズ)チ説、どっちの読み方が正しいのか? ノノイカヅチだと、八雷神とツチノコ(ノヅチ)はほぼ無関係になってしまうから、結構重要な問題だ。

 まず、岩波や講談社の『日本書紀』をよく読んでみると、おかしな点があることに気づく。八雷神のうちの6柱――たとえば「土雷」や「火雷」については、「つちのいかづち」「ほのいかづち」などと読ませているのである。たしかに考えてみれば、ここで雷を「つち」と読むと、土雷は「つちつち」になってしまう。でも「山雷」のルビは「やまつち」で、「野雷」は「のつち」。雷=「つち」なのはこの2柱だけだ。

 同じ八雷神なのに、6柱は「いかづち」、2柱は「つち」と、違う読み方をさせるのは一見無理がある。全部「いかず(づ)ち」で通した中央公論社の方が、筋は通っているのである。こうしてみるとノヅチ説は、非常に不利に思えてくる。

 でもこれは、あくまで八雷神のくだりだけ読んだ場合の話だ。『日本書紀』を通して読んでみると、ノノイカヅチはやはり間違いで、ノツチ(ノヅチ)が正しいということがわかる。なぜか?

 実は「山雷」という言葉は『日本書紀』で、ここにだけ出てくるわけではない。あと2ヵ所にも登場し、どっちもノヅチと対になっている。

 まず、アマテラスが天岩戸に隠れたとき、なんとか引っぱり出そうと神々が協力する場面は次の通り。

また山雷者(やまつち)をして、五百箇(いほつ)の真坂樹の八十玉籤(やそたまくし)を採らしむ。野槌者(のづち)をして、五百箇の野薦(のすず)の八十玉籤を採らしむ。

 次に、イハレヒコ(神武天皇)が戦勝祈願をする場面は、こうだ。

薪の名をば厳山雷(いつのやまつち)とす。草の名をば厳野椎(いつののづち)とす。

 どっちも明らかに、山雷はノヅチとペアである。そしてこの関係は、八雷神が出てくる場面でも同じなのだ。

手に在るは山雷といふ。足の上に在るは野雷といふ。

 前の2つと同じパターンで、「山」と「野」がセットになっていることがわかる。そして大事なのは、前の2つ――「野槌」や「野椎」は、「ノヅチ」としか読めないということだ。

 『日本書紀』で3度くり返される「山雷」と「野~」のペアの中で、少なくとも2つは明らかに、「ヤマツチ」と「ノヅチ」だ。となれば当然、八雷神中の山雷・野雷も、ヤマツチ・ノヅチと読まれるべきだろう。ここだけ「ヤマノイカヅチ」「ノノイカヅチ」だったら、その方がよほど変である。

 というわけで、イザナミの死体にまとわりついてた野雷は、やはり「ノヅチ」でいいのである。これが太短いヘビの妖怪――ノヅチ(ツチノコ)につながる可能性(前回参照)も、やっぱりあるということでいい。

釣手土器の話 21 - ツチノコ、またはノヅチの件

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図1 札沢出土*1

 第19回で、札沢遺跡出土の釣手土器(図1)に乗ってるヘビについて、「ツチノコのよう」だと形容した。今回はこれ、ほんとにツチノコと何か関係あるんじゃないの、という話だ。こう書くと、
「このブログ、いよいよ(本腰入れて)トンデモに走るのか?」
 と思われるかもしれないが、そういうことにはならないと思う(主観的に)。

f:id:calbalacrab:20170608130405j:plain図2 ツチノコ*2

 多分誰でも知ってると思うが、一応ツチノコとは何かと言えば、図2のようなヘビ型の未確認生物(UMA)である。目撃例だけならくさるほどあるが、捕まって調べられたことは一度もない。熱帯のジャングルとかならまだしも、日本の山野にこんなのがいて、隠れおおせるのはまぁ無理だろう。未確認生物と言うよりは、河童や天狗のような妖怪の類とみた方がいい*3

 ちなみにツチノコについて「実在しない」と言うと、夢がない、ロマンがないという話になりがちだ。が、普通に細胞でできてるヘビよりも、イメージの世界に生きる妖怪の方が、ロマンがある――と、私などは思うが、どうだろうか。

 それはともかく、このツチノコという名前、もともとは近畿地方などの方言だ。1970年代の「ツチノコブーム」で定着したもので、それ以前は「野槌(ノヅチ)」という呼び方が一般的だった。江戸時代の『信濃奇勝録』や『野山草木通志』に、「ノヅチ」のイラストが描いてある(図3)。すでにいまで言うツチノコと、同じ姿でイメージされていたことがわかる。

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図3 野槌 - 上:『信濃奇勝録』/下:『野山草木通志』*4

 面白いことに、このノヅチという言葉、『古事記』『日本書紀』にもすでに出てくるのだ。

……次に野の神、名は鹿屋野比売(かやのひめ)神を生みき。またの名は野椎(のづち)神といふ。

(『古事記』)

……次に草の祖、草野(かやの)姫を生む。または野槌と名づく。

(『日本書紀』)

 要は、イザナギイザナミ夫妻の産んだ野の神だか、草の神だかの名前が「ノヅチ」である。もちろんこっちのノヅチ神は、別にヘビだとはされていない。が、ノヅチはやっぱりこの時代から、ヘビの名前だっただろうと思わせるような節はある。イザナミにまとわりついてた八雷神の1つが、「ノヅチ」と呼ばれているからだ。
「足の上に在るは野雷(のづち)といふ」
 と、『日本書紀』にきっちり書いてある(第17回参照)。

 さて。ここらでちょっと立ち止まって、考えてみよう。
 ――まず、札沢釣手土器(図1)のヘビたちは、八雷神のプロトタイプみたいなものだったらしい(これは第18回19回で書いた)。
 ――その八雷神のうち、少なくとも1匹は「ノヅチ」と呼ばれている。
 ――で、同じくノヅチと呼ばれるヘビの妖怪は、札沢釣手土器のヘビたちとやけに似ているのだ。

 こうなると、釣手土器のヘビたちについて、たまたまノヅチ(ツチノコ)に形が似てました、で片づけるのはちょっと気が引ける。神話のノヅチ(野雷)がすでにヘビであり、札沢釣手土器のヘビたちも、これと無関係ではないと仮定してみよう。この場合、ノヅチは早くも縄文時代から、いまのツチノコとほぼ同じ姿でイメージされてたことにならないか?

 もちろん、妖怪のノヅチが初めてしっかりと描かれたのは、江戸時代後期(19世紀)である。釣手土器の時代とは、4000年くらい離れてる。いくらなんでも偶然でしょうと言われたら、やっぱそうだよねと思えてくる。でも一方で、そんな偶然があるかと言われたら、それもそうだよねと思うのである。論文にして発表するような話ではないが*5、のちのノヅチにあたるヘビの妖怪(または神?)が、縄文時代から語り継がれてた可能性は、結構あると思っている。

 ちなみにこの仮説には、一つ問題がある。そもそも『日本書紀』の「野雷」という言葉は、本当にノヅチと読めるのか? という問題だが、これについては次回で書く。

*1:『長野県立歴史館研究紀要』5号 1999年より。

*2:http://tendinmy.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_f0e/tendinmy/tuchinoko43.jpg

*3:妖怪としてのツチノコについては、伊藤龍平『ツチノコ民俗学青弓社 2008年にくわしい。

*4:上:http://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F765064&contentNo=14&outputScale=1/下:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%81%E3%83%8E%E3%82%B3#/media/File:Suizan_Nozuchi.jpg

*5:普通の雑誌には多分載らないだろう。

釣手土器の話 20 - ヘビと死の世界

 死んだイザナミがヘビたち(八雷神)をまとわりつかせていたのと同じように、釣手土器裏側の「目ばかりの顔」もヘビまみれだった(前回参照)。

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図1 左:御殿場出土/右:曽利出土*1
※曽利例の首から上は、推定復元。

 ここまでで、釣手土器(特に、顔面把手付きのそれ。図1)の文様解読はほぼ終わりだ。主な結果をまとめると、以下のようになる。

1. 顔面把手付釣手土器の表側(窓が1つしかない方)は、「火を出産する女性」を表す(第4回)。
2. 釣手土器の裏側はたいてい、「目ばっかりで表され、目の間をヘビがはい上がる」という異様な顔面になっている(第13回など)。
3. 「目ばかりの顔」の周りにある逆立った髪の毛みたいなものも、ヘビである(前回)。

 これらはやはりどうみても、
「のちのイザナミ神話(火を出産したせいで死に、あの世の支配者になる女神の物語)の原形は、縄文時代にはすでにできていた。釣手土器は全体として、この女神の姿を表している」
 という田中基氏の仮説(第3回参照)にとって有利である。

 ちなみに第3回ではこの仮説に、次のような仮想ツッコミ(いまつくった言葉)を入れておいた。

 この正面のデザインは、ほんとに出産の様子を表したものか? 単にランプの飾りとして、顔面把手をつけてみただけかもしれないだろ。
 裏側も、これがなぜ顔だと言えるのか? 鼻も口もないのだから、2つの窓が目を表してると、言い切れる根拠はないはずだ。
 髪の毛(のように見えるもの)にしても、ヘビの頭は見当たらない。頭がなければただの紐であり、ヘビだかなんだか知れたものじゃない。……

 このツッコミについては第4回前回で、一応クリアしたことになる。田中氏の仮説が真相にどストライクである可能性は、かなり高くなったということでいいんじゃなかろうか。

 さてこの場合、釣手土器裏側の「目ばかり、しかもヘビまみれの顔」は、死んだ女神の顔面を表していることになる。多分現実の死体には、ヘビはそれほど好き好んで寄ってきたりはしないだろう。でも人間のイメージの中では、ヘビと「死」は深く結びついてるものらしい。

 たとえば中村禎里(「ていり」と読む)氏は、イザナミ神話の八雷神などに関連して、「ヘビは死霊とくに悪霊の象徴」であると説く*2。「メメント・モリ(死を思え)」をテーマにした西洋美術でも、死体の周りにちょいちょいヘビが顔を出すことだし(図2)、多分そういうものなのだろう。

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図2 18世紀、パウル=エゲルの作*3

 ともあれ、釣手土器のヘビたちは、胴体が太短かったり、鼻先がなかったりするのが一風変わっている。次回以降、このあたりの事情と言うか、背景についても考えてみたい。

*1:左:http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/158078/右:『井戸尻 第8集』富士見町井戸尻考古館 2006年より。

*2:中村禎里『日本人の動物観』ビイング・ネット・プレス 2006年 80ページなど。

*3:http://mementmori-art.com/archives/20256071.html。エゲルさん(Paul Egell 1691-1752)は、ドイツの彫刻家。

釣手土器の話 19 - ヘビの頭が消えてゆく

 というわけで今回は、「釣手土器裏面にちょいちょい現れる、逆立った髪の毛みたいなもの」(図1)が、ヘビかどうかという話である。

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図1 左:曽利出土/右:御殿場出土*1

 むろん曽利例や御殿場例だけなら、肝心のヘビの頭がないので(図2参照)、正直いかんともしがたい。

f:id:calbalacrab:20170518012408j:plain図2 御殿場出土(横から)*2

 が、似たようなタイプの釣手土器の中には、うまい具合にヘビの頭(らしきもの)が残ってる例がないでもない。一番わかりやすいのは、中道遺跡(長野県長和町)出土の釣手土器(図3)だ。

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図3 中道出土*3

 ちなみにこの土器は、図3のような完全な形で見つかったものでは全然ない。わずかな破片から復元されたもので、復元部分に横線を入れると、図4のような感じになる。

f:id:calbalacrab:20170518111318j:plain図4 出土したのは白い部分だけ*4

 たったこれだけの破片をもとに、ここまで復元していいのかと、心もとなさが止まらない。ともあれ幸いと言うべきか、よく見れば、復元に必要な部分はだいたい残ってる。特に裏側は、(てっぺんの部分はちょっと怪しいが)およそこの通りの形だったと思っていいだろう。「目ばかりの顔の周りに、髪の毛的なもの」というデザインは、曽利例などと同じである。

 で、問題のヘビの頭はどこなのかと言えば、それはもちろんこの部分(図5↓)だ。

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図5 中道出土 - ヘビとその頭

 これが頭? と思われるかもしれないが、縄文時代にヘビの頭と言えば、だいたい似たような形である(図6)。

f:id:calbalacrab:20170518111618j:plain図6 蛇身装飾 - 茅野和田出土*5

 中道例の場合、鼻先がないのがなんとも不思議だが、北原遺跡(山梨県甲州市)の釣手土器にも、やはり鼻先が平らになった3匹のヘビがとりつけられている(図7)。

f:id:calbalacrab:20170509205901j:plain図7 北原出土*6

 自分でヘビヘビ言っておいてなんだが、図5や7を見ただけでは、これがほんとにヘビなのか、正直かなりおぼつかない。鼻先が平らなだけならまだいいが(よくはないが)、ヘビにしては、胴体が太くて短すぎる。が、札沢遺跡(長野県富士見町)の釣手土器(図8)を見ると、これはやはりヘビだということがわかる。

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図8 札沢出土*7

 北原例と同じく、「胴体が太く短くて、しっぽの跳ね上がった」ヘビたちが、釣手土器の上に乗っている。ツチノコのような姿ではあるが、これはさすがにヘビ以外の何かには見えない。札沢・北原・中道の順に並べると、「だんだん胴体の丸さが強調され、頭が省略されていった」プロセスがはっきりみてとれる(図9)。さらに頭の省略が進むと、曽利例や御殿場例(図1・2)のようになるのだろう。

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図9 頭が消えてゆくの図

 縄文人は一般に、土器や土偶のデザインをデフォルメするのがやけに早い。たとえばいわゆる「遮光器土偶」も、最初はもう少し人間らしい姿だったのに、だんだん目ばかり大きくなったり、鼻や口が省略されたりで、シュールな造りになっていった(で、宇宙人などと呼ばれる羽目になる。図10)。釣手土器裏側のヘビも同じなりゆきで、だんだんヘビらしくなくなってしまったのだろう。

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図10 遮光器土偶 - 左:高森岱出土/右:亀ヶ岡出土*8
※左の方が古いタイプで、こっちにはちゃんと鼻が(胸も)ある。

 図1で「ヘビ?」と書いた例のパーツは、やはりヘビとみてよさそうだ。とすれば、釣手土器裏側の「目ばかりの顔」には、たいてい数匹のヘビたちがまとわりついていたことになる。これはやはり、「八雷神」(=ヘビ)をまとわりつかせたイザナミ神(死の女神としてのそれ)に近い。

*1:左:『井戸尻 第8集』富士見町井戸尻考古館 2006年より。/右:http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/158078

*2:http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/158078

*3:長門教育委員会長門町中道』1984年より。

*4:この横線は川谷が引いた。多分間違ってないと思う。

*5:『茅野和田遺跡』茅野市教育委員会 1970年より。

*6:http://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/topics/201-300/images/kenshi_turite_inoshishi001.jpg

*7:『長野県立歴史館研究紀要』5号 1999年より。

*8:左:http://livedoor.blogimg.jp/nara_suimeishi/imgs/2/c/2c0ed28b.jpg/右:http://www.tnm.jp/uploads/r_collection/LL_64.jpg

釣手土器の話 18 - 日本の雷神はだいたいヘビ

 で、イザナミの死体に生じた「八雷神」が、ヘビかどうかという話である。これについては日本の古い文献に、雷神が実際ヘビとして描かれた話がいくつかある。まずは『日本書紀』から、小子部蜾蠃(「ちいさこべのすがる」と読む)という人が、三輪山の神を捕まえてくる場面をみてみよう。

 雄略天皇(5世紀後半)のころ、小子部スガルという豪傑がいた。雄略はあるときこの人に、
「三諸岳(三輪山)の神を見たいから、連れてこい」
 と言う。スガルは三輪山で大蛇を捕らえ、連行した。大蛇は雄略の前に出ると、「虺虺(ひかりひろめ)」かせ、目を光らせて威嚇した。雄略はびびって逃げ隠れ、大蛇を三輪山へ返させたという。
(雄略紀7年7月)

 「虺虺」とは「雷鳴をとどろかせる」という意味だから*1、この大蛇は雷神なんだろう。ちなみにこの逸話、ギリシア神話にある次のような場面によく似ている。

「エウリュステウス王はヘラクレスに、地獄の番犬・ケルベロスを連れてこいと言う。ヘラクレスが実際連れてくると、王はびびって壺に逃げ込んだ。」(図1)

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図1 ケルベロス VS エウリュステウス*2

 部下に無茶振りするときは、相手を見た方がいいということだ*3

 また、『常陸国風土記』にはこんな話もある。

 ヌカビコ・ヌカビメという兄妹がいた。妹がある日ヘビを産み、このヘビは日に日にでかくなる。「養いきれないから、父(神)のとこへ行け」とヌカビメが言うと、ヘビは「子供を1人、同行させてほしい」と言う。うちは兄妹2人だけだから、と母に断られ、ヘビは内心かなりキレた。で、いよいよ昇天というときに、伯父を腹いせに「震殺(ふりころ)」した。
(那賀郡茨城里)

 「震殺す」とは、「雷撃で殺す」ことだそうだ*4。雷を落とせるくらいだから、このヘビも雷神にちがいない。

 少なくとも、記紀風土記の時代――8世紀以前の日本では、雷神はおおむねヘビとしてイメージされていたのだろう。となるとやはり、イザナミ神話の八雷神も、ヘビだった可能性が高いということでいいと思う。

 ちなみに「八雷神=ヘビ」というのは、割と一般に言われてることで、別に珍しくもなんともない。いくつか(と言うか、3つだが)例を挙げておこう。

福島秋穂
「……八雷神(八色雷公)の登場する話が創作された原初段階において、創作者が其の実体を如何なるものと考えていたのかは判然としないが、(中略)其の実体が蛇であるとされていた可能性は極めて大きい。」*5

篠田知和基
イザナミも雷神が体にたかっていたという描写は腐敗した死体に蛆がたかった様子でもあろうが、神話的にはやはり、雷、すなわち蛇神として現れたことで、ペルセポネやメリュジーヌと同じ蛇の系譜である。」*6

阿部真司
「……八つの雷には天から霹靂するというあの雷のイメージはない。それより腐爛した死体にまとわりついた『蛇』が目をかがやかせている姿の方がふさわしい。」*7

  ほかには折口信夫津田左右吉も、だいたい似たことを言っているらしい。ついでにとり・みきの漫画『石神伝説(1)』(文藝春秋)でも、八雷神はやはりヘビとして描かれてたものだ。

 ところでなんでさっきから、「八雷神=ヘビ」を熱心に推すのかと言えば、もちろん釣手土器につながってくる。田中基氏の説によれば、曽利や御殿場の釣手土器(その裏側)に見られる逆立った髪の毛みたいなパーツは、ヘビを表しているという*8(図2。第3回参照)。これが実際ヘビならば、釣手土器裏側の「目ばかりの顔」は、八雷神(ヘビ)がたかったイザナミの姿に、かなり接近してくるのである。

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図2 左:曽利出土/右:御殿場出土*9

*1:黒沢幸三『日本古代の伝承文学の研究』塙書房 1976年 197ページ。

*2:http://vignette2.wikia.nocookie.net/greekmythology/images/8/83/Kerebrus.jpg/revision/latest?cb=20150405224349

*3:無茶振り自体をやめれば、さらにいい。

*4:秋本吉徳『常陸国風土記講談社 2001年 149ページ。「震殺」の読み方には諸説あるが、ここでは『日本古典文学大系(2)風土記岩波書店 1958年 81ページによった。

*5:福島秋穂『記紀神話伝説の研究』六興出版 1988年 109~110ページ。

*6:篠田知和基『竜蛇神と機織姫』人文書院 1997年 83ページ。

*7:阿部真司『蛇身伝承論序説』新泉社 1986年 94ページ。

*8:田中基「メデューサ型ランプと世界変換」(『山麓考古』15号 1982年)。田中氏には、『縄文のメドゥーサ 』(現代書館 2006年)という著作もある。

*9:左:『井戸尻 第8集』富士見町井戸尻考古館 2006年より。/右:http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/158078

釣手土器の話 17 - 死んだイザナミと八雷神

 特にここからはイザナミ神話が重要になるので、その内容をまとめておく。なお、最初にお断りしておくと、今回は字ばっかりだ。

 イザナミは、イザナギという神と結婚し、日本列島その他を産み出した。でも最後に火の神(カグツチ)を産んだので、焼け死んでしまう。

 妻を失ったイザナギは怒り、迷わずカグツチの首をはねる(酷)。で、イザナミを連れ戻そうと、黄泉国(死後の世界)へ向かった。

 黄泉国でイザナギは、「帰ってきてくれ」とイザナミに頼んだ。イザナミは、
「なんとかならないか、こっちの神様と相談してみるわ。でもその間、明かりをつけて私を見ちゃ駄目よ?」
 的なことを言う。こういう場合のお約束で、もちろんイザナギは見るのである。

 さっきまで普通に話していたイザナミだが、明かりをつけるとどういうわけか、腐乱死体である。イザナギはとっとと逃げ出して、追いかけられてもなんとか逃げ切って、黄泉国の入り口を巨石でふさいだ。

 イザナミは怒り心頭で、
「あんたがそういう態度なら、毎日地上の人間を、1000人くびり殺してやる!」
 と、怖いことを言う。イザナギは、
「じゃ、こっちは毎日1500人ずつ生まれるようにするわ」
 と言って、イザナミとは喧嘩別れした。以来イザナミは、「黄泉津(よもつ)大神」=黄泉国の支配者と呼ばれるようになったという。

 要するにイザナミという人は、あらゆる生命を産み出した母なる女神であるとともに、容赦なくこれを回収する死に神でもある。典型的な大母神であり、心理学とかで、グレート・マザー(太母)と呼ばれる例のアレだ。ここからは、死の女神としてのイザナミに注目して話を進めよう。

「釣手土器裏側のデザインには、死んだイザナミのイメージに近いものがある」
 と、前回で書いた。ではその死んだイザナミは、どのような姿だったのか? もちろん死んでいるわけだから、普通に腐ったりウジが湧いたりしてたのだが、『古事記』『日本書紀』によれば、どうもそれだけではないらしい。イザナミの死体からは、「八雷神」と呼ばれる謎の神々が発生していたと言われている。

 頭には大雷居り、胸には火雷居り、腹には黒雷居り、陰には析雷居り、左の手には若雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴雷居り、右の足には伏雷居り、あはせて八の雷神成り居りき。
(『古事記』)

 首に在るは大雷と曰ふ。胸に在るは火雷と曰ふ。腹に在るは土雷と曰ふ。背に在るは稚雷と曰ふ。尻に在るは黒雷と曰ふ。手に在るは山雷と曰ふ。足の上に在るは野雷と曰ふ。陰の上に在るは裂雷と曰ふ。
(『日本書紀』)

 頭と胸が、それぞれ「大雷」と「火雷(ほのいかづち)」で、性器が「さくいかづち(析雷/裂雷)」なのは、『古事記』も『日本書紀』も同じである。それ以外は発生した場所とか名前とかがいろいろ違ってるが、とにかくどちらも8柱の雷神がいたのは変わらない。

 この雷神さんたちのヴィジュアルについて、記紀に具体的な描写はない。が、これはどうやらヘビの神だったのではないかと言われている。というところで、長くなったので、ここまでにしよう。

釣手土器の話 16 - ところであなたは死んでますか?

 釣手土器の裏側(窓が複数ある方)は、多くの場合顔になっている。それはいいとして、なぜこんな変わった顔なのか?

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図1 左:大深山出土/右:御所前出土*1

 釣手土器背面のデザインとして、一番多いのはいわゆる「目ばかりの顔」だ(似たようなものは、顔面把手の裏側にもときどき現れる)(図1)。ときにはひょっとこのような顔だったり、双面だったりすることもある(図2)。

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図2 左:井荻三丁目出土/右:穴場出土*2

 なんにせよ、この時代の普通の土偶や顔面把手(表側。図3)とは、見るからに違うデザインだ。

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図3 左:棚畑出土/右:海戸出土*3

 この事実は、
「釣手土器の裏側は、死んであの世の支配者になった女神(のちのイザナミ)の顔を表す」
 という田中基氏の仮説(第3回参照)にとって有利である。

 ただ、文様解読でわかるのは、「何やら異様な顔だよね」というところまでだ。そこから一歩進めて、「これがほんとに死者の顔なのか?」をたしかめようと思ったら、ちょっと(どころでなく)難しい。

 釣手土器(特に顔面把手付のもの)の表側については、「火を出産する女性を表してるらしい」と、割と突っ込んだ結論を得ることができた(と、思う。第4回参照)。でもこれは、出産の様子を描いたことが丸わかりのサンプル(御所前顔面把手付土器。図4)があるからできたことだ。

f:id:calbalacrab:20170409211346j:plain図4 御所前出土*4

 一方裏側については、「縄文人が、死者をどのように表したか」というたしかなサンプルがないから、文様解読という手は使えない。「死んだ女神を表す」というのは、一つの有力な解釈だが、唯一ではない。
「トランス状態で、表情が一変したシャーマンを表す」
 とか、
「何かの動物に仮装した女性の姿だろう」
 とか、そういう解釈も普通にアリだろう。

 ただ、
「釣手土器裏側のデザインには、死後のイザナミのイメージに近いものがある」
 というところまではなんとか言えそうだ。ここからは、そのあたりの話で細々と、しめやかにつないでいくことにしよう。

*1:左:http://content.swu.ac.jp/rekibun-blog/files/2012/05/PB130363.jpg/右:森浩一『図説日本の古代(2)木と土と石の文化』中央公論社 1989年より。

*2:左:江坂輝彌ほか編『古代史発掘(3)土偶芸術と信仰』講談社 1974年より。/右:諏訪市博物館の絵はがきより。

*3:左:茅野市教育委員会『棚畑』1990年 より。/右:『縄文時代展』福岡市博物館 1995年より。

*4:『八ケ岳縄文世界再現』新潮社 1988年より。