神話とか、古代史とか。

日本をはじめあちこちの神話や古代史、古代文化について、考えたこと、わかったこと、考えたけどわからないことなど。

釣手土器の話 27 - むしろノヅチの話(下)

 前回に続き、ツチノコ(ノヅチ)の正体について、思いつく限り仮説を立てようという話である。まずとり上げるのは、「②ヤマカガシの突然変異」説だ。この説を語るには、17年前の事件から始める必要がある。

 2000年5月21日、岡山県吉井町(現・赤磐市)で、太短い奇妙なヘビが目撃された。数日後に死体が発見され、いったん土に埋められたものの、「ツチノコだったんじゃないか」という話になって、掘り出された。死体はかなり損傷していたが、たしかにツチノコっぽい形ではあった。

 でも川崎医療福祉大学で鑑定してみると、これはヤマカガシの死体だった。ヤマカガシは、マムシやハブより強い毒をもつおっかないヘビだ。

 これだけなら、
「ヤマカガシが奇形か病気かで、たまたまツチノコっぽい形になっていたんだろう」
 ということで済む。でもヤマカガシとツチノコの関係を示す事例は、ほかにもある。

 中国・四国地方では、「トウビョウ」というヘビの妖怪の存在が語り継がれてきた。柳田国男によればこの妖怪、
「形はカツオ節と同じで、長さが短く、中ほどが非常に太い*1
 と言うから、ツチノコそっくりだ。

 でも、トウビョウについては一方で、「首に黄色の輪がある」という言い伝えもあって*2、これはヤマカガシによく似ている。ヤマカガシも、
「頸部背面には黄色の帯があり、幼体でより鮮やかで、成長するにつれてくすんでくる」*3
 という。黄色い輪があるトウビョウは、ヤマカガシとみて間違いないだろう。

ここでヤマカガシの写真を貼りたいところだが、ヘビ嫌いな人は多いし、やめておく。平気な人はリンク先へどうぞ。

 つまりトウビョウは、ツチノコのようでもあり、同時にヤマカガシとしか思えない特徴ももっているのである。岡山の事件と合わせて考えると、ヤマカガシにはもしかして、
「突然変異で、ツチノコっぽい形になりやすい」
 という特性があるのではないか? ツチノコ(ノヅチ)は、ヤマカガシの突然変異がベースになって、生まれた妖怪かもしれない。ノヅチが(多分)縄文時代から、姿を変えていないことも、これで一応説明がつく。

 ここで終わってもいいのだが、もう1つ仮説を立てておこう。「③ツチノコ=元型的イメージ」説である。

 元型的イメージは、ユング心理学で使われる言葉だ。カール=グスタフ=ユングは、現代人の夢や幻覚に、古い神話によく似たイメージがちょいちょい現れることに気づいた。で、
「人間の精神の中には、全人類が共有する領域(「集合的無意識」)があるのではないか」
 という仮説を立て、その集合的無意識に、イメージの源(「元型」)が貯蔵されてるとみたのである。元型的イメージとは元型が、夢や幻覚として現れたものだ*4。要するに、頭で想像したものではなく、「本能と言うか、DNAに刻まれたイメージ」のことだと思えばいい。

 ツチノコも、この元型的イメージの一つではないか? 人類(特に、日本人の一部?)には、「太短いヘビ的なもの」という元型が共有されており、たまにその幻覚を見ることもあるんじゃないのという見方だ。

 もちろん、集合的無意識も元型も、手にとって見せられるもんじゃないから、証明しようのない話である。下手したら、
「よくわからないものの正体を説明するために、さらによくわからないものをもち出す」
 というよくあるパターン*5になりかねない。

 でも私的には3つの仮説の中で、これが一番アリなんじゃないかと思っている。というのは昔、その裏づけになりそうな夢を見たことがあるからだ。

 小学校の高学年か、中学生のころだ。夢の中で、山中の斜面を歩いていた。たしか右手が登り坂、左が下り坂で、斜面を横切ってゆくのである。で、右の斜面の上から次々と、丸太みたいにヘビが転がってくる。2メートルくらいはあるヘビで、胴体が太い(そのせいで転がりやすいのだろう)。これが途中でバウンドし、頭にぶつかるくらいの高さで飛んでくるのである。頭を下げてやり過ごしたり、ときどきぶつかったりしながら、歩き続けるという夢だった。

 胴体が太いところはツチノコっぽいが、2メートルもあるヘビだから、そのときはツチノコと結びつけて考えなかった。江戸時代の『信濃奇勝録』に、
「ノヅチ(ツチノコ)は斜面を横切ろうとすると、転がってしまって進めない」*6
 と書いてあることを知ったのは、かなり後の話である。

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図1 信濃奇勝録*7

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図2 *8
『想山著聞奇集』(1850年)の「(ぜんじゃ)」。夢に出てきたヘビは、これに近い。ちなみにこの本によれば、ノヅチもの仲間である*9

 「ツチノコは横に転がる」という話を全然知らないのに、なぜ夢の中に、「横に転がる胴の太いヘビ」が出てきたのか? これはやはり、本能に刻まれたイメージ(元型的イメージ)の中に、そういうものがあるからじゃないかと思うのだ。

 もちろん夢の話だから、実際そんな夢を見たという証明はできない。夢を見る前に、「横に転がるヘビ」の話をたまたま聞いていて、その記憶が再現されただけ――という可能性もなくはないだろう。
 でも見たことは事実だし、『信濃奇勝録』くらいにしか載ってない話を、事前に知りえた確率は低い。というわけで、せめてこの場では*10、「ツチノコ=『横に転がるヘビ』=元型的イメージ」説を、やんわり推しておきたいと思う。

*1:原文は、「其形は鰹魚節と同じく、長短くして中程が甚だ太い。」

*2:以上、伊藤龍平『ツチノコ民俗学青弓社 2008年 91~96ページ。

*3:ヤマカガシ - Wikipedia

*4:たとえば、C・G・ユング『空飛ぶ円盤』筑摩書房 1993年 219ページ参照。

*5:謎の古代遺跡について、「宇宙人の仕業」で片づけたりする例のアレだ。

*6:原文は、「岨(そば)坂を横きるときは、転(まろ)ひ落て行事ならす。」伊藤龍平『ツチノコ民俗学青弓社 2008年 13ページ参照。

*7:井出道貞『信濃奇勝録』巻1 1834年より。ここで閲覧できる。写真は「巻之1」、14コマ目。

*8:三好想山『想山著聞奇集』巻3 1850年より。ここから全文、ダウンロードできる。写真は「巻3後半」、11ページ。

*9:伊藤龍平『ツチノコ民俗学青弓社 2008年 29~30ページ。

*10:実際、ブログか呑み屋くらいでしか、主張できない説ではある。

釣手土器の話 26 - むしろノヅチの話(上)

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図1 札沢出土*1

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図2 ノヅチ - 上:『信濃奇勝録』/下:『野山草木通志』*2

 釣手土器――特に札沢遺跡のそれに乗ってる太短いヘビたち(図1)は、「ノヅチ」(ツチノコ)のプロトタイプじゃないのかなぁと、第21回で書いた。ちなみにノヅチとは、図2のようなヘビの妖怪だ。

 でもこの場合、ノヅチは4000年以上前から、ほぼ同じ姿でイメージされてたということになる。妖怪とは、普通そういうものではない。たとえば河童なども、現在の姿が定着したのは、江戸時代後期と言われている*3。それ以前には地方により、さまざまな姿があったらしい。

 ノヅチの外見はなぜ、妖怪の中でも珍しく安定してるのか? というわけで今回は、ノヅチ(ツチノコ)の正体について考えてみよう。結論を出すと言うよりは、いくつか可能性を検討するという形になると思う。

 ツチノコの正体と言えば、このところアオジタトカゲの見間違い」説が、一部で信じられているようだ。アオジタトカゲ(図3)はインドネシアなどの生き物で、見た目はたしかに似ているが、ツチノコとは関係ないだろう。そもそも図2のイラストが描かれたのは、江戸時代後期(19世紀)だ。そんな時代にインドネシアから、わざわざ苦労してトカゲを輸入するバカはいない。

f:id:calbalacrab:20170715155427j:plain図3 アオジタトカゲ*4

 しかも図2の上段が載ってるのは、『信濃奇勝録』という本である。万に一つ、数匹のアオジタトカゲが国内に入っていたとして、内陸の長野県(信濃国)までその噂が広まったりはしないだろう。江戸時代に出た本の中に、ちゃんと脚のあるアオジタトカゲの絵が1枚もないのに、「ヘビと見間違えた」ものだけが残るというのも奇妙である。

 トカゲ説よりなんぼかありそうなものとして、まずは「①イノシシとヘビの融合生物(キメラ)」説が挙げられる。
 縄文人たちは、「全体的にはヘビで、鼻先はイノシシ」という神か妖怪(図4。通称「イノヘビ」)を妄想(?)してたらしいと、第24回で書いた。イノシシとヘビを合体させるなら、
「鼻先だけじゃなく、胴体も少しイノシシに似せて、もっと丸っこくしてみるか」
 と、考える人もいそうである。ツチノコ(ノヅチ)とは、このアイディアから生まれた妖怪ではないか? と、いう見方だ。

f:id:calbalacrab:20170630211939j:plain図4 イノヘビ*5

 結構いけそうな説ではあるが、ちょっと疑問がないでもない。この考え方だとノヅチとは、縄文土器を造る人々の造形上の工夫から生まれた妖怪ということになる。この手の妖怪は、実際にノヅチ(そのフィギュア的なもの)を造らなくなれば、たちまち忘れ去られてしまうのではないか?

 ノヅチっぽいヘビは、関東・中部地方の縄文土器に、一時的に現れただけだ。その後は江戸時代にいたるまで、4000年間一度も描かれず、彫刻などにされた節もない。「イノシシとヘビを融合させて、縄文人が、新たな妖怪を開発した」ということが実際あったとしても、そのデザインを4000年、口だけで語り継ぐのは普通に無理だろう*6。「ツチノコ=イノシシとヘビの融合生物」説は面白いが、あるかないかで言えば、ないと思う。

 ほかに可能性がありそうなのは、「②ヤマカガシの突然変異」説などだが、それらについては今度書こう。

*1:『長野県立歴史館研究紀要』5号 1999年より。

*2:上:http://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F765064&contentNo=14&outputScale=1/下:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%81%E3%83%8E%E3%82%B3#/media/File:Suizan_Nozuchi.jpg

*3:小澤葉菜「「河童」のイメージの変遷について」(『常民文化』34号 2011年)。ここから全文、ダウンロードできる。

*4:https://www.sauria.info/pb/lizards/img/DSC09646_2s.jpg

*5:『茅野和田遺跡』茅野市教育委員会 1970年より。

*6:あくまでも、「デザイン」を語り継ぐのが無理という話。「物語」とかならアリだろう。

釣手土器の話 25 - 顔面把手とイノシシの鼻

 釣手土器の世界では、ヘビは「死」、イノシシは「生」の象徴だったんじゃないかと、前回で書いた。釣手土器の表(窓が1つしかない方)は「生」の世界だから、主にイノシシが現れる。一方裏は「死」の世界だから、ヘビが強調されておるのだろう、という解釈だ。

 今回は、顔面把手についてもある程度、同じことが言えそうだという話である。

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図1 富士見台出土*1

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図2 比々多神社蔵*2

 顔面把手の裏側にも、釣手土器ほどではないが、ちょいちょいヘビが顔を出している。たとえば富士見台例(神奈川県川崎市。図1)の裏側が多分ヘビだということは、第11回で書いた。神奈川県伊勢原市、三之宮比々多神社所蔵の顔面把手(図2)の裏も、よりあからさまにヘビである。

 今回特に注目したいのは、海戸遺跡(長野県岡谷市)の顔面把手付土器だ。第11回12回でもとり上げたが、改めて写真を貼っておこう(図3)。

f:id:calbalacrab:20170220221525j:plain図3 海戸出土

 横から見るとかなりしっかりと、ヘビがうしろからはい上がっている。でもこれ、正面から見てみると(図4)、どうも様子がおかしいのだ。

f:id:calbalacrab:20170708103335j:plain図4 海戸出土

 ヘビの口があるはずの場所に、それらしいものがないように見える。よく見れば、ヘビの口を表す線が途中で切れてしまい、正面に続いていないのだ。

 この時代のヘビの口は普通、こんなおかしな形ではない。同じタイプのヘビなら、たとえば多喜窪遺跡(東京都国分寺市)から出た土器(図5)のように、もっと口らしい感じになっているものだ。

f:id:calbalacrab:20170708104642j:plain図5 多喜窪出土*3

 海戸顔面把手のヘビの口だけが、なぜ途中で断ち切られたような形になっているのだろう? これはやはり、この把手でも表が「生の世界」、裏が「死の世界」とされていたからではなかろうか。「生の世界」である表側からは、ヘビが見えてはいかんということで、このデザインになったとみるのである。

 そう考えると、この顔面の鼻の形(図4)もまた、どうも意味ありげに見えてくる。これはイノシシの鼻ではあるまいか? こっち側は「生の世界」だから、「生」の象徴であるイノシシをまねて、こういう鼻にしたのだろう。

 こう書くと、ただのあてずっぽうみたいだが、実はそれらしい証拠もある。松山前遺跡(東京都あきる野市)の顔面把手(図6)には、頭上にイノシシ(多分)が乗っている。で、この顔面の鼻はどう見ても、頭上のイノシシとおそろいだ。

f:id:calbalacrab:20170708160405j:plain図6 松山前出土*4

 こうなると、顔面把手によくあるこのブタっぽい鼻は、やはりイノシシのまねだろう(ちなみに図2も同じ鼻である)。そもそも縄文人は、現代の日本人よりも、顔が「濃かった」と言われている(図7)。鼻柱も、むしろがっちりしてたはずで、図4のような鼻の人は、珍しかったにちがいない。顔面把手の鼻を意味もなく、わざわざこの形にはしないだろう。

f:id:calbalacrab:20170708213921j:plain図7 縄文人の想像図*5

 「生」の象徴であるイノシシの鼻と、「死」の象徴であるヘビが、同じ方向から見えてしまうのはよろしくない。多分そういうコンセプトで、海戸顔面把手のヘビの鼻先は、妙な形になっているのだろう。

 ここで終わりたいとこだが困るのは、このコンセプトが当てはまらない例もあることだ。たとえば神地遺跡(山梨県道志村)の顔面把手(図8)もその一つである。

f:id:calbalacrab:20170708212358j:plain図8 神地出土*6

 やはり鼻先はイノシシだが、頭上に乗ってるのはヘビだろう。で、こっちはヘビの鼻先(口)が、普通に正面から見えている。

 こっちがいくら法則性を見つけたつもりでも、世界は常に「その外側」をもっている。ということでこの件は、ややぐだぐだのうちに終わりである。

*1:拙論「吊手土器の象徴性(上)」(大和書房『東アジアの古代文化』96号 1998年)より。

*2:神奈川考古学会『考古論叢神奈河』17集 2009年より。

*3:http://uenogasuki.tokyo/wp-content/uploads/2015/10/E0047344.jpg

*4:http://image.tnm.jp/image/1024/C0015068.jpg

*5:http://static.xtreeem.com/matome/file/parts/I0000462/9b4451bd07c119eea4c87eb6201e0d52.jpg

*6:http://www.vill.doshi.lg.jp/common/images/event120/p001.pdf

釣手土器の話 24 - イノシシなのか、ヘビなのか

 釣手土器の上にはだいたいにおいて、変なヘビたちが乗っている。中でも特に変なのは、北原遺跡(山梨県甲州市)の釣手土器(図1)だ。第19回以来何度かとり上げてきたが、あらためてフィーチャー*1してみよう。

f:id:calbalacrab:20170509205901j:plain図1 北原出土*2

 図1でおわかりの通り、どういうわけかこのヘビは、鼻がブタ鼻になっている。この時代、まだ家畜のブタはいないはずだから、多分イノシシの鼻だろう。
 実はこれ、穴場遺跡(長野県諏訪市)の釣手土器(図2)にもある特徴だ。北原例と並べるとほぼそっくりで、デザイン的に同じ流れをくんでいることがわかる(図3)。

f:id:calbalacrab:20170630203555j:plain図2 穴場出土*3

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図3 左:北原出土/右:穴場出土

 この手の、「全体的にはヘビなのに、鼻だけイノシシになってる」デザインは、このあたりの縄文土器ではときどきお目にかかる。たとえば茅野和田遺跡(長野県茅野市)の蛇身装飾(図4)などは、典型的でわかりやすい。

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図4 茅野和田出土*4

 もちろんこんなのが実在したとは思えないし、架空の動物なのだろう。縄文人のイメージの中には、イノシシとヘビが融合した姿の妖怪、または神様がいたということだ。ほんとの名前はもちろん不明だが、考古学者の渡辺誠氏は、これを「イノヘビ」と命名した*5

 ちなみに、ヘビとイノシシがペアと言うか、対をなす関係にあったらしいという形跡は、日本の神話・伝説にもある。『古事記』によれば、ヤマトタケルを呪い殺した伊吹山の神は、白いイノシシだった。一方『日本書紀』では同じ神が、なぜか大蛇として登場する。

 ところでヘビについては第20回で、「死の象徴」だろうと推測した。この場合、イノシシはこれと対照的な意味――すなわち、「生の象徴」という意味をもっていたのではなかろうか。

 実際、北原釣手土器の表側からは、イノシシの鼻が見えるだけで、ヘビたちは見えない。逆に裏からはヘビだけが見え、鼻先がどうなってるかは不明なのだ。これはつまり、釣手土器の表(窓が1つしかない方)は「生」の世界、裏は「死」の世界を表しているからだろう。だからこそ、「生」の象徴であるイノシシは表、「死」を象徴するヘビは裏からしか、見えないようになっているわけだ。

 もちろん、穴場例や札沢例、また井荻三丁目例では、表からもヘビが丸見えだし(図5)、全部が全部というわけではない。でも全体として、そういう傾向があることはたしかだ。

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図5 左:穴場出土/中:札沢出土/右:井荻三丁目出土*6

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図6 御殿場出土*7

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図7 曽利出土*8

 たとえば御殿場例や曽利例(図6・7)でも、裏はヘビまみれだが(第19回参照)、表からは一切、ヘビたちは見えない。
「裏(死の世界)に回ると突然、ヘビが現れる」
 という演出意図があるようにみえる。

 同じ仕掛けは釣手土器のほか、顔面把手付土器にもあるらしいのだが、長くなったから今度書こう。

*1:これ、「フューチャー」と言う人も多いが、フィーチャーが正しいらしい。

*2:http://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/topics/201-300/images/kenshi_turite_inoshishi001.jpg

*3:上:諏訪市博物館の絵はがきより。/下:『穴場ANABA(1)』諏訪市教育委員会 1983年。

*4:『茅野和田遺跡』茅野市教育委員会 1970年より。

*5:渡辺誠『よみがえる縄文の女神』学研プラス 2013年 100ページ。

*6:中:『長野県立歴史館研究紀要』5号 1999年より。/右:江坂輝彌ほか編『古代史発掘(3)土偶芸術と信仰』講談社 1974年より。

*7:http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/158078

*8:『井戸尻 第8集』富士見町井戸尻考古館 2006年より。

今年2本目

 『比較民俗学会報』171号に、「ウケヒと『競争的単性生殖』の神話」という論文を発表した。今年2本目の論文だ。

 『古事記』『日本書紀』には、
「アマテラスとスサノヲの姉弟が、『ウケヒ』という呪術でそれぞれ子をつくり、その結果で優劣を決める」
 という、よくわからない場面がある。そのウケヒ神話を、国外のいろんな神話(特に「ヤズディ教神話」)と比較したものだ。ちなみにヤズディ教とは、クルド民族の一部が信仰するもので、知る人ぞ知る秘教である*1

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マラク=ターウース*2
ヤズディ教で特に信仰される大天使。『孔雀王』という漫画にも、「メレクタウス」という名で出てくるんだったか?

 そのうちまた、PDF化して公表すると思う。

釣手土器の話 23 - 一風変わった釣手土器

 札沢遺跡出土の釣手土器(図1)には、ノヅチ(ツチノコ)関係でこのところお世話になっている。今回はヘビだけでなく、土器全体のデザインに注目してみよう。

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図1 札沢出土*1

 釣手土器の裏側(窓が複数ある方)は、たいてい「目ばかりの顔」になってると、これはもう何度も書いてきた。でも札沢釣手土器は、どうもそういう感じではない。「三角形(むしろ、半円形?)の中に円」みたいなデザインで、少なくとも顔ではないだろう。

f:id:calbalacrab:20170614115454j:plain図2 北原出土*2

 ちなみに北原遺跡の釣手土器(図2)も、よく見ると同じコンセプトだ。ただしこちらは、「三角形に円」が左右に2つ並んだような形になっている。これは第14回で触れた、「裏が双面の土器」と同じ理屈だろう。釣手土器の裏側はどういうわけか、同じデザインを左右に並べた形になることがある。

 この「三角形に円」のデザインは、何を表してるものなのか?

 この問題は、過去に何度かとり上げた井荻三丁目遺跡の釣手土器(図3左)と比較すれば、割と簡単に答が出る。

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図3 左:井荻三丁目出土/右:札沢出土*3

 井荻釣手土器も、札沢や北原のと同じく、「三角形に円」のパターンだ。そしてこちらは、その上に顔がついている。顔との位置関係からみて、この真ん中の窓はぶっちゃけた話、女性器を表すものだろう。
 ちなみに井荻例の窓のまわりのパーツは、よく見るとヘビの頭である。いまは1つが欠けているが、もともとは5つあったのだろう。ヘビにまみれているところも、井荻例と札沢例はよく似ている。

 井荻例の真ん中の窓が性器なら、顔のすぐ下に性器があるということになる。一見妙なデザインだが、曽利遺跡出土の土器(図4左)も、だいたい似たような形である。

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図4 左:曽利出土/右: 井荻三丁目出土*4

 やはり顔(多分)のやや下に、股間にぶら下がるように性器がある。全体的なデザインも井荻例によく似ており、特に頭上の「上に向かって口を開けたヘビ」がそっくりだ(くわしくは第10回参照)。

 曽利遺跡の土器と、井荻や札沢、また北原の釣手土器はデザイン的に、同じ流れをくんでいるのだろう。そのつもりで曽利土器と札沢釣手土器をくらべると、曽利例で性器に向かってる謎の矢印*5が、札沢の「性器をのぞきこむヘビ」そっくりに見えてくるのも楽しい(図5)。

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図5 左:曽利出土/右:札沢出土

*1:『長野県立歴史館研究紀要』5号 1999年より。

*2:http://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/topics/201-300/images/kenshi_turite_inoshishi001.jpg

*3:左:江坂輝彌ほか編『古代史発掘(3)土偶芸術と信仰』講談社 1974年より。

*4:左:『井戸尻 第6集』富士見町教育委員会 1988年より。

*5:言うまでもなく、男根を表すものだろう。

釣手土器の話 22 - 野雷と書いてノヅチと読む

 釣手土器の話と題してるが、今回は釣手土器あまり関係ない。八雷神の1柱である「野雷」をノヅチと読んで、いいのか悪いのかという話だ。

 まず、岩波文庫の『日本書紀(1)』を見ると、普通に「のつち」とルビが振ってある(54ページ)。厳密にはノチじゃなくてノチだが、日本語は濁点に関してアバウトだし、ここは気にしなくていいだろう。講談社学術文庫の『日本書紀(上)』も、ルビはやっぱり「のつち」である(31ページ)。

 問題は中央公論社の『日本書紀(上)』で、これだけは何を思ったか、「ののいかずち」と読ませている(100ページ)。多数決なら2対1でノツチ(ノヅチ)の勝ちだが、学問ではそういうわけにもいかない。ノヅチ説とノノイカヅ(ズ)チ説、どっちの読み方が正しいのか? ノノイカヅチだと、八雷神とツチノコ(ノヅチ)はほぼ無関係になってしまうから、結構重要な問題だ。

 まず、岩波や講談社の『日本書紀』をよく読んでみると、おかしな点があることに気づく。八雷神のうちの6柱――たとえば「土雷」や「火雷」については、「つちのいかづち」「ほのいかづち」などと読ませているのである。たしかに考えてみれば、ここで雷を「つち」と読むと、土雷は「つちつち」になってしまう。でも「山雷」のルビは「やまつち」で、「野雷」は「のつち」。雷=「つち」なのはこの2柱だけだ。

 同じ八雷神なのに、6柱は「いかづち」、2柱は「つち」と、違う読み方をさせるのは一見無理がある。全部「いかず(づ)ち」で通した中央公論社の方が、筋は通っているのである。こうしてみるとノヅチ説は、非常に不利に思えてくる。

 でもこれは、あくまで八雷神のくだりだけ読んだ場合の話だ。『日本書紀』を通して読んでみると、ノノイカヅチはやはり間違いで、ノツチ(ノヅチ)が正しいということがわかる。なぜか?

 実は「山雷」という言葉は『日本書紀』で、ここにだけ出てくるわけではない。あと2ヵ所にも登場し、どっちもノヅチと対になっている。

 まず、アマテラスが天岩戸に隠れたとき、なんとか引っぱり出そうと神々が協力する場面は次の通り。

また山雷者(やまつち)をして、五百箇(いほつ)の真坂樹の八十玉籤(やそたまくし)を採らしむ。野槌者(のづち)をして、五百箇の野薦(のすず)の八十玉籤を採らしむ。

 次に、イハレヒコ(神武天皇)が戦勝祈願をする場面は、こうだ。

薪の名をば厳山雷(いつのやまつち)とす。草の名をば厳野椎(いつののづち)とす。

 どっちも明らかに、山雷はノヅチとペアである。そしてこの関係は、八雷神が出てくる場面でも同じなのだ。

手に在るは山雷といふ。足の上に在るは野雷といふ。

 前の2つと同じパターンで、「山」と「野」がセットになっていることがわかる。そして大事なのは、前の2つ――「野槌」や「野椎」は、「ノヅチ」としか読めないということだ。

 『日本書紀』で3度くり返される「山雷」と「野~」のペアの中で、少なくとも2つは明らかに、「ヤマツチ」と「ノヅチ」だ。となれば当然、八雷神中の山雷・野雷も、ヤマツチ・ノヅチと読まれるべきだろう。ここだけ「ヤマノイカヅチ」「ノノイカヅチ」だったら、その方がよほど変である。

 というわけで、イザナミの死体にまとわりついてた野雷は、やはり「ノヅチ」でいいのである。これが太短いヘビの妖怪――ノヅチ(ツチノコ)につながる可能性(前回参照)も、やっぱりあるということでいい。