神話とか、古代史とか。

日本をはじめあちこちの神話や古代史、古代文化について、考えたこと、わかったこと、考えたけどわからないことなど。

釣手土器の話 35 (終) - 文様は読める

 釣手土器について、語りたいことは語り終えたので、今回でひとまず終わりである。最初から(途中からでも)最後まで目を通してくれた人がいるのかどうかわからないが、もしいたとしたら感謝に堪えない。

 ちょいちょい脱線もしたが、このシリーズ(?)の眼目は、釣手土器の文様解読だ。デザインの系譜をさかのぼることで、文様の意味を明らかにしようという手をよく使った。特に図1~3の比較例は、われながらなかなかいいと思う。

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図1 左:御所前出土/右:曽利出土第4回より)

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図2 左:御所前出土/右:穴場出土第13回より)

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図3 左:井荻三丁目出土/右:札沢出土第23回より)

 見ておわかりの通り、このやり方は特に難しくない。縄文文化の研究者諸氏には、大いに活用してもらいたい。ある程度の数の研究者がこの手を使いだせば、縄文の謎の多くが解けてゆくのではないかと、あらぬ期待をしているところもある。

 ここで白状しておくと、この文様解読のやり方は、さほど目新しいわけでもない。「デザインをさかのぼると、もともとの意味がわかってくる」というのは、ときと場合によっては考古学で、普通に使われてきたものだ。たとえば有名な「遮光器土偶」(図4)をとり上げてみよう。

f:id:calbalacrab:20171028150951j:plain図4 亀ヶ岡出土*1

f:id:calbalacrab:20171028151527j:plain図5 遮光器*2

 遮光器土偶の「遮光器」とは、いわゆる雪メガネのことである。雪原の反射光で目を傷めないように、シベリアなどでは昔から、板や革製の雪メガネ(図5)が使われてきた。1891年、人類学者の坪井正五郎が、
「この土偶の異様にでかい目は、遮光器を表してるんじゃね?」
 という仮説を立てたので、遮光器土偶という名になったのだ。実際、土偶の目と遮光器はぱっと見、よく似ている。

 でもこの仮説、いまではほぼ否定されている*3。実はこの手の土偶の目は、古いタイプではずっと小さくて、全然遮光器に似ていない(図6)。デフォルメが進んで目ばかり強調された結果、たまたま遮光器に似たというのがほんとのとこらしい*4

f:id:calbalacrab:20171028152134j:plain図6 二月田貝塚出土*5

 この顛末は考古学で、一つの教訓として語られる。
「いま目の前にあるデザインだけを見て、『ああでもない、こうでもない』とやったら、間違える。デザインのルーツをさかのぼり、古い型式を押さえておくことが大切だ」
 ――というのは、大学などで考古学の講座に入ったら、割と最初の方で学ぶことである。

 「釣手土器の話」(ひいては、「吊手土器の象徴性」という論文*6)で使ってきた文様解読は、この考え方を応用したものだ。特に異端的というわけでもなく(理屈が通ってれば、別に異端でもいいのではあるが)、むしろ正統派と言ってもいいくらいだと、胸など張っておくことにしたい。

 

 さて。ここからなかなかの余談だが、遮光器の話が出たついでに、「トラロック」という神についても触れておこう。

 遮光器土偶は実際には、雪メガネをかけてはいなかった。でも世の中には本当に、メガネ(と言うか、ゴーグル)を着けた神像の例がないでもない。古代中米の雨の神・トラロックがそれだ。この神は、なぜかたいていゴーグルを身に着けた姿で表される(図7)。

f:id:calbalacrab:20171028201907j:plain図7 トラロック*7

 一見、「仮装大会でスベって凹んでるメガネの少年」に見えなくもないが、多分トラロックの像だろう。ちなみに、マヤの古代都市・コパンの初代王である「キニチ=ヤシュ=クック=モ」という人物も、やはりゴーグルを着けている(図8)。これもどうやら、トラロックに扮しているらしい。

f:id:calbalacrab:20171028202159j:plain図8 ヤシュ=クック=モ*8

 雪が降るわけでもなかろうに、何のためのゴーグルだったのか? なんにせよ、中米以外ではちょっと見られない独特の造形センスが楽しい。

「比較民俗学会」の大会に出てきた

 論文を載せてくれる(数少ない)学会――比較民俗学会の大会(11月4~5日)に参加し、発表もしてきた。

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http://norinagakinenkan.com/whats/hikaku2017.html

 特にとちりもせずしゃべれたのはいいが、発表の後会場が、「きょと~ん」な空気になったのはなぜだ。

 発表後の昼食ではなぜか、
「『相棒』の杉下右京はなんのために、高所から紅茶を注ぐのか?」
 が話題になる。ティーポットに湯を注ぐ段階なら、「茶葉をジャンピングさせるため」だろうが、カップに注ぐときにやる意味は、言われてみればよくわからない。

 後で調べたら、「適温に冷ますため」説が有力視されているらしい。紅茶は沸騰したお湯で淹れるから、少し冷ました方がいいそうだ。

釣手土器の話 34 - 2つの「ホト」の釣手土器

 第32回で、「3面(裏が双面)の釣手土器」(図1)と富士の噴火には、関係があるんじゃないか、的なことを書いた。火口も女性器も、古い言葉では「ホト」という。火口=性器なら、複数の火口から火を噴く富士は、女神が増殖したように見えたかもしれないという解釈だ。

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図1 左:穴場出土/中:東吹上出土/右:岡田出土*1

 では実際、複数のホト(性器)をもつ釣手土器はあるのかと言えば、これがまた、しっかりと発見されている。以前何度かとり上げた、北原遺跡の釣手土器(図2)だ。

f:id:calbalacrab:20170926213657j:plain図2 北原出土*2

 第23回でもちらっと書いた通り、このデザインは、井荻三丁目遺跡や札沢遺跡の釣手土器(図3)の流れをくんでいる。つまり「3角形に円」のパターンだが、北原釣手土器の場合、このパターンが左右に2つ並んでるところに特徴がある。

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図3 左:井荻三丁目出土/右:札沢出土*3

 「3角形に円」(その真ん中の丸窓)が、女性器の表現だという話はすでに書いた(第23回)。普通3面釣手土器は、顔が左右に並んでいるのだが(第14回)、北原例はその性器バージョンということになる。この中にもし火をともせば、2つの「ホト」から火を噴いてるように見えるだろう。

 ほんの思いつきのような仮説だが、こうなると、ちょっと捨てがたい気もしてくる。見慣れたはずの富士山に、2つ(またはそれ以上)の火口が現れたのを見て、縄文人はびっくりしただろう。で、こんな解釈をする人もいたのではないか?

「実は富士山の女神さまは、死ぬと2人(複数)になるのだよ。わしは前から知っておった(大嘘)。」

 この場合、「死ぬと(子供を産むなり、なんなりして)増殖する女神」という観念が、のちのイザナミ神話に受け継がれてないのも一応、説明がつく。あくまでも、縄文中期の富士の姿から生まれたものなので、これを実際見ていない人々にとっては意味不明だ。富士の噴火を目撃した縄文人の間でだけ、地域限定(時代も限定)で流行したのだろう。

 3面釣手土器の解釈としてはいまのところ、これくらいしか手持ちがない。もっといい仮説を思いつくか、人に教えてもらえるまで、「複数火口に触発された説」をひとまず採用しておきたい。

*1:左:諏訪市博物館の絵はがきより。/中:『東吹上遺跡』群馬県立博物館 1973年より。/右:http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/206871

*2:上川名昭『甲斐北原・柳田遺跡の研究』巌南堂書店 1971年より。

*3:左:江坂輝彌ほか編『古代史発掘(3)土偶芸術と信仰』講談社 1974年より。/右:『長野県立歴史館研究紀要』5号 1999年より。

釣手土器の話 33 - ヘビと火山

f:id:calbalacrab:20170913114333j:plain図1 井荻三丁目出土*1

 前回、井荻三丁目遺跡の釣手土器(図1)について、「噴火する火山そのものに」見えるとした。ところでこの井荻釣手土器には、ヘビの頭が4つついている。これは多分、死の象徴としてのヘビだろうが(第20回)、火山活動(溶岩流など)をヘビとして表現した例もないではない。余談だが、ここでいくつか紹介しておこう。

 ヘビと火山と言えば、まずはギリシア神話の怪物・テュポンが挙げられる*2。テュポンは首から上に、100匹のヘビの頭が生えてる蛇神だった。ゼウスに敗けた後、エトナ火山*3の下敷きにされているそうだ。エトナ山が火を噴くのはそのせいだというから、テュポンは火山の神格化(むしろ、怪物化?)でもあるのだろう。「火のついた岩を投げつつ」攻め寄せたというのも、火山弾のこととみて間違いなさそうだ。

 また、イランの神話には、「アジ=ダハーカ」という3ツ首の竜(またはヘビ)が登場する。英雄・スラエータオナに敗れたダハーカは、ダマーヴァンド山に幽閉されたという*4。ダマーヴァンドは活火山であり、ダハーカも、火山を象徴する蛇神だろう。

 ちなみにダハーカは歴史伝説では、「ザッハーク」という暴君として登場する。アニメ観ただけであまりくわしくはないが、田中芳樹の小説『アルスラーン戦記』でも、「デマヴァント山に封印された蛇王・ザッハーク」が、いろいろ鍵になっているらしい。

 ここまでは海外の事例だが、日本にも、特に溶岩をヘビにたとえた記録がある。
 まず『日本三代実録』(901年)では、871年の鳥海山*5の噴火が次のように描写されている。

 2匹の大蛇があり、長さは10丈ばかり*6。ともに流れ出て海に入る。数知れぬ小蛇もこれに従った*7
(貞観13年5月16日)

 また『長門本平家物語』(巻4)にも、霧島山*8の噴火(10世紀?)について、以下のような記述がある。

 周囲が1、2丈、長さ10丈あまりの大蛇が、枯れ木のような角を生やし、目を日月のように輝かせて、大変怒っている様子で現れた*9

 どちらの大蛇も、普通に溶岩のことだろう。

 なお、物理学者の寺田寅彦はヤマタノヲロチについても、
「火山からふき出す溶岩流の光景を連想させる」
 と唱えている*10。ヲロチがいたという鳥髪山(船通山)は火山ではないから、あまり有力とは言えないが、ちょっと捨てがたい説ではある*11

*1:江坂輝彌ほか編『古代史発掘(3)土偶芸術と信仰』講談社 1974年より。

*2:テュポンについては、アポロドーロス『ギリシア神話岩波書店 1953年 39~40ページと、ヒュギーヌス『ギリシャ神話集』講談社 2005年 216ページ。ヘシオドス『神統記』岩波書店 1984年 103ページも参照した。

*3:イタリア南部、シチリア島の山。

*4:ジョン=R=ヒネルズ『ペルシア神話』青土社 1993年 83~84ページ。

*5:山形・秋田県境の山。

*6:1丈は約3メートル。

*7:原文は、
「有両大蛇。長十許丈。相流出入於海口。小蛇随者不知其数。」

*8:鹿児島県と宮崎県にまたがる火山群。

*9:原文は、
「廻り一二丈そのたけ十餘丈ばかりある大蛇の、角はかれ木の如くおほひかゝり、眼は日月の如くかがやきて、大にいかる様にて出來給ふ。」
(『平家物語 長門本国書刊行会 1906年 132ページ。)

*10:寺田寅彦随筆集(4)』岩波書店 1948年 150ページ。

*11:島田荘司『出雲伝説7/8の殺人』でも、ヲロチ=溶岩説がとり上げられている。

釣手土器の話 32 - 火山噴火と釣手土器

 多分釣手土器は、
「火を出産して死に、死後の世界の支配者になる」
 というタイプの女神を表している。第3回以来、これはもう何度も書いてきた。のちのイザナミに連なる神なので、仮に「プロト=イザナミ」と呼んでおこう。

 ところで釣手土器は、縄文時代中期(だいたい5千~4千年前)、中部・関東地方の遺物であり、特に長野県でよく見つかる。プロト=イザナミは長野あたりで生まれ、のちに全国区に成り上がった神なのだろうか?

 これはしかしあんまり、ありそうもない。なぜかと言えば、「胎内から火を産み出す女神」の神話が日本周辺では、南太平洋の島々(メラネシアポリネシア)に多いからだ。つまりこのタイプの神話は、どちらかと言うと南方から、日本列島へ伝わったらしい*1。このとき、西日本を完全にスルーして、長野へ入ったりはしないだろう。西日本でもプロト=イザナミは、古くから信仰されていたはずである。

 でもそれにしては、この女神が土器としてヴィジュアル的に表現されたのは、長野やその周辺の地域だけだ。なぜこの時代、このあたりでだけ、人々はプロト=イザナミに、釣手土器という形を与えたのか?

 これはもちろん1つには、中期縄文文化の中心地(その1つ)が、長野県だったからだろう。土器製作に優れた技術をもつからこそ、釣手土器のようなゴージャスな女神像を産み出すことができた。

 さらにもう1つ、「火山の噴火」もきっかけになったんじゃないかと思っている。火を産み出す女神――イザナミを火山の神とする見方は、割と定説に近い*2。実際、「母なる大地の女神」と言えば、普通はただの平地ではなく、山としてイメージされるものだ。それが「火の神を産む」とくれば、火山を連想しないわけにもいかない。

 じゃ、釣手土器の時代、関東や中部で火山が噴火したことがあったのか? という話だが、これが実際にあるのである。特に富士山は、縄文時代中期、かなり荒ぶっていたらしい。たとえば、荒牧重雄ほか『日本一の火山 富士山』(山梨県環境科学研究所 2008年)*3によればこうだ。

 この時期(川谷注:5600~3500年前)、富士山では山頂火口のほか北西~南東斜面や南西斜面で、側火山が次々と誕生しました。噴火の規模は中規模が多く、溶岩や降下テフラを噴出させました。また、火砕流や火砕サージも発生し、噴出物が南東~南西斜面などに堆積しました。
(中略)
 富士山は、この中期溶岩の流出によって山体を大きく成長させ、ほぼ現在の規模となりました。
(52ページ)

 ちなみに降下テフラとは、
「火山噴火で空中に放出された砕屑物(さいせつぶつ)が、降り積もってできる堆積物」。
 火砕サージは、
「噴火によって放出された火山灰が、空気と混ざり合って急速に流れる現象」
 だそうだ*4

 8000年前からの2400年間は、割とおとなしかった富士山だが、5600年前になると、活動期に入っていたのである。5600~3500年前と言えば、縄文時代中期がまるごと含まれる。中部地方縄文人たちは、火を噴く富士山を目撃していたにちがいない。その恐ろしい姿が釣手土器のモチーフになったのではないか?

 ちなみに中部地方では浅間山も、縄文中期に噴火したらしい*5。でもこれは「加曾利E式期」だから、中期後半に入っている(関東の加曾利E式は、中部の曽利式とほぼ同時代)。釣手土器はすでにつくられ始めてるし、浅間山の噴火が釣手土器を産み出したということはなさそうだ。やはり直接のきっかけは富士の噴火だろう。

 イザナミが火山の女神なら、その信仰が一番盛り上がりそうなのは、もちろん火山が噴火したときだ。縄文中期の中部地方は、この条件にうまく当てはまる*6

 プロト=イザナミを表す土器が中部や関東でつくられ続けたのも、理由のないことではないのだろう。こうなると、特に井荻三丁目遺跡の釣手土器(図1)などは、噴火する火山そのものに見えてくる。

f:id:calbalacrab:20170913114333j:plain図1 井荻三丁目出土*7

 この真ん中の窓は性器であるとともに(第23回参照)、噴火する火口をも表しているのかもしれない。日本の古語で、女性器のことを「ホト」という。噴火口もやはり「ホト」であり、語源も同じだと言われている*8

 最後にちょっとついでながら、「裏が双面の釣手土器」(第14回前回参照)についても触れておこう。先ほどの『日本一の火山 富士山』によれば、縄文中期の富士は山頂の火口だけでなく、側火山からも噴火したらしい。3面釣手土器はもしかして、これと関係あるのではないか?

 富士山を神(女神)と崇める人々にとって、ふだんの富士山は、当然1柱の女神だろう。でもこれが噴火を始めると、複数の火口(ホト)が現れる。縄文人にしてみれば、1人だったはずの女神が、いきなり増殖したように思えたのではなかろうか? 「女神は死ぬと、2人(複数)になる」という観念は、案外こんな現象から着想されたのかもしれない。

*1:大林太良「日本神話の比較民族学的考察」(『日本神話』有精堂出版 1970年所収)24~25ページ参照。

*2:たとえば、深沢佳那子「記紀神話における性器の描写」188ページ(2枚目)。

*3:ここからダウンロードできる。

*4:https://gbank.gsj.jp/geowords/glossary/ka.html#top

*5:矢口裕之「関東平野北西部、前橋堆積盆地の上部更新統から完新統に関わる諸問題」25ページ(5枚目)。能登健「考古遺跡にみる上州の火山災害」(新井房夫編『火山灰考古学』古今書院 1993年所収)60~61ページも参照した。

*6:イザナミ神話と火山噴火、そして釣手土器の結びつきについては、星野之宣の漫画でもとり上げられている。『宗像教授異考録(12)』小学館 2009年、「生と死の女神」。

*7:江坂輝彌ほか編『古代史発掘(3)土偶芸術と信仰』講談社 1974年より。

*8:深沢佳那子「記紀神話における性器の描写」188ページ(2枚目)。

釣手土器の話 31 - ここで双面の件

 第14回で、「裏が双面の釣手土器」(図1)にちょっとだけ触れた。今回は、もう少し突っ込んで考えてみたい。と言っても、のっけから残念なお知らせでアレだが、特に目覚ましい仮説はいまのところない。第25回27回と同じく、「こうかもしれないし、違うかもしれない」などと言いながら、なんとなく終わっていくと思う。 

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図1 左:穴場出土/中:東吹上出土/右:岡田出土*1

 裏が双面の釣手土器も、表の顔は1つである。つまりこの手の土器にはたいていの場合、3つの顔があるということだ。

 3つの顔をもつ神の像は、海外にもそこそこ例がある。たとえばインドのシヴァ神にも、ときとして3つの顔がある(図2)。またヨーロッパのケルト民族も、3面の神の彫像をいくつか残している(図3。右はちょっとわかりにくいが、この裏にもう1つ顔がある)。

f:id:calbalacrab:20170903222155j:plain図2 シヴァ*2

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図3 ケルトの3面神*3
図2は、多分6世紀。図3左は紀元前後、右は1~2世紀の作。

 なお、図3左はフランス、右はアイルランドで見つかったものだ。大陸と島に分かれてはいても、ケルト語族つながりで、文化的には近いらしい*4

 が、3面の釣手土器は、インドやケルトの3面神とはちょっと違う。海外の例は、3つの顔が3つとも同じ方向から見えるか、または3つとも、均等に別の方向を向いている。釣手土器の場合、表に顔1つ、裏に顔2つと、1:2の配分になっているところが珍しい。

 釣手土器に似た例としては、善行寺(石川県金沢市)に伝わる「三面鬼」(三面相)のミイラがある。やはり表裏で1:2の3面だが、これは多分江戸時代につくられたもので、釣手土器とは関係ないだろう。

 江戸時代のミイラ(見世物としてつくられた)には、ちゃちなものが多い。でもこの三面鬼は、その中ではかなりできがよく、ぶっちゃけ怖い(笑)。どんと来いな方は、こちらからどうぞ。

 表の顔は1つなのに、裏に回ると顔が増えるのはなぜか? ヒントになりそうなのは、表の人物像がたいていの場合、「出産する女性」を表していたらしいことだ(第4回参照)。表に出産中の女性がいて、裏に回ると2人になっている。となると謎の2人目は、女性が産んだ子供とみるべきではないか?

 釣手土器裏側の「目ばかりの顔」は、死んだ女神を表すのだろうと、第20回で書いた。裏の双面は、どっちも同じ顔なので、多分2人とも死んでいる。つまりこの2人、死んだ母子の姿なのだろう。実際、出産中に母親が死ねば、子供もたいてい死んでしまう。

 釣手土器が、のちのイザナミ神話と関係があったらしいことは、第3回で書いた。『古事記』や『日本書紀』によれば、イザナミは火の神(カグツチ)を産んだため焼死したという(くわしくは第17回)。カグツチは無事に生まれたようだが、怒り狂った父親イザナギ)に斬り殺されてるから、結局は死後の世界へ行ったはずだ。縄文時代の神話には、
「母と子の死体が、ともに父親(夫)を追いかけてくる」
 というホラーな場面があったのかもしれない。

 いま思いつくのはこんなところだが、この仮説にはちょっと難がある。特に気になるのは、裏の双面が左右とも、まったく同じに見えることだ。片方が「死んだ母親」なら、もう片方も多分女性――すなわち、「死んだ娘」だろう。

 でも、イザナミ神話のカグツチ(火の神)は、男性だったはずだ。『日本書紀』に、カグツチは「埴山姫」(はにやまひめ)と結婚し、子供をつくったとはっきり書いてある*5。埴山姫は普通に女神なんだろうし、カグツチは男ということになる。

 もちろん、釣手土器の時代はいまから4千年ほど前のことだ(『古事記』『日本書紀』の時代からみても、2700年くらい前)。長いこと語り継がれるうちに、どこかで話が変わったのかもしれない。でも変わったという証拠もないから、これは単なる想像であって、われながら説得力がない。

 そんなこんなで、「3面釣手土器」の謎についてはいまのところ、あまり筋のいい仮説はない*6。何か思いついたという人がいれば、教えてもらいたい。それももったいないということなら、論文等にして発表した上で、読ませてもらえれば助かる。

*1:左:諏訪市博物館の絵はがきより。/中:『東吹上遺跡』群馬県立博物館 1973年より。/右:http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/206871

*2:http://www.bhavyaholidays.com/blogs/wp-content/uploads/2014/02/shiva-trimurti-elephanta-caves.jpg

*3:左:https://rokus01.files.wordpress.com/2011/05/triune-mercury-of-soissons.jpg/右:https://pbs.twimg.com/media/C3cizJyXUAA6HYz.jpg

*4:ただし近年、いわゆる「大陸のケルト」と「島のケルト」では、遺伝子的に遠いと言われている。ケルト語族はともかく、ケルト「民族」の存在は、ちょっと怪しくなったと言えそうだ。田中美穂「アイルランド人の起源をめぐる諸研究と『ケルト』問題」参照。

*5:岩波文庫日本書紀(1)』1994年 38ページ。

*6:その後ちょっと思いついたこともあるが、それについては次で書こう。

釣手土器の話 30 - 型式編年、その補足

 前回、「型式編年」の話をした。ところで伊集院卿ほか『日本ピラミッド超文明』(学習研究社 1986年)では、この型式編年が、けちょんけちょんにけなされている。

日本の考古学は、土器の編年に終始しているといってもよい。土器の編年というとたいへん聞こえはいいが、バカみたいな話である。
(中略)
 素人の素朴な疑問として、土器の形式が30年単位に細分できるかどうか多分に疑問である。またもしも、それが正しいとしても、2年で車を買いかえる人もいれば、10年も同じ車に乗っている人もいる。ましてや、古代のことであるから、今よりももっと大事に使ったにちがいない。同じ形式の土器が出土したからといって、同じ年代の遺跡であると断言することはおよそ不可能であり、実際には弥生時代になっても、縄文土器を使っていた人々もいたにちがいない。
(82・84ページ)

 タイトルでおわかりの通り、この『日本ピラミッド超文明』はトンデモ本である。「素人の素朴な疑問」でもって、「アカデミズムの迷妄」を斬るのは、トンデモ本の1つの醍醐味(?)だ。これがなければ、トンデモ本ではないと言ってもいい。

 たいていはただの難癖だが*1、上の一文は、その中ではいい線いっている方だ。実際、古いデザインがずっと残ったり、復活したりという現象は案外、少なくない。たとえばの話、彫刻について考えてみよう。

f:id:calbalacrab:20170829143208p:plain図1 古代ギリシアの彫刻*2

 図1の左と右とでは、右の方が新しそうだなと、誰でも見当はつくだろう。実際、左は紀元前2000年代の「キュクラデスの女性像」、右は紀元前100年ごろの「アルテミス像」だ。同じギリシアの遺物であり、どっちも古いけど、左の古さはケタが違う。

f:id:calbalacrab:20170922220459j:plain図2*3

 でもたとえば、図2の彫刻はどうだろう? 図1左によく似ており、同じころの遺物に見えなくもない。でも実際は、これは有名なモディリアーニの作品であり、20世紀の現代彫刻だ。ではなぜ、キュクラデスの古代彫刻に似てるのか? 実はモディリアーニは、キュクラデス美術が大好きで、そのスタイルを真似た作品をいくつもつくっているのである。

 このように、デザインは必ず同じ方向に変わり続けるわけではない。ルネサンスと言うか、「原点回帰」の動きはいつでも起こりうる。その意味で、デザイン「だけ」を頼りに時代を決めるのは、たしかに危なっかしいところがある。型式編年を行う人は、常にこの「ルネサンス」の可能性を頭に入れておくべきだろう。

 ただここで、1つ気をつけねばならないことがある。モディリアーニがキュクラデス美術を模倣できたのは、あたりまえだが、発掘された遺物を見たからだ。縄文人も同じように、(自分の時代より)古いタイプの土器を見れたのだろうか?

 考古学者がほかの遺物より、土器の型式編年に熱心なのは、実はそれなりに理由がある。その一つは、「土器は壊れやすい」ということだ。特に縄文土器は素焼きだから、陶器よりずっと壊れやすい。

 ガラスの破片ほどではないが、土器のかけらもやはり危ないから、とっておくことは難しい。壊れた土器はたいていは、そのまま捨てられたことだろう。実際、縄文遺跡のゴミ捨て場からは、土器の破片が大量に出てくることが多い。

 つまり縄文時代の土器製作者が、古いデザインの土器を参考にしたいと思っても、見られない場合が多かっただろうということだ。もちろん実際に見られなければ、ルネサンスなど起こりようがない。
「ある時代の縄文土器に、何世代も前のデザインが復活する」
 という現象が起こる可能性は、ゼロではないけど、かなり低い。やはり型式編年は、土器(それが出た遺跡)の時代を考える上で、充分参考になると思う。

 最後に、
「同じ形式の土器が出土したからといって、同じ年代の遺跡であると断言することはおよそ不可能であり……」
 のあたりにちょっと触れておこう。あたりまえだが、研究者であれ誰であれ、「断言する」必要なんてあるわけない。「その可能性が高い」と言えればそれで十分だ。

 トンデモ本では、これに似たレトリックがよく使われる。可能性が90%以上あるようなことでも、「100%じゃないだろ」「断定できないじゃないか」とけちをつけ、5%もなさそうな自分の仮説を押し通そうとする。でももちろん、100%じゃないのは同じでも、90%の仮説と5%のそれとでは、天と地ほども差があるのである(70%と20%、とかでも同じ)。

 学問的な場面に限らず、日常生活でも、「100%じゃないなら、みな同じ」的なことを言い出す人は、あまり相手にしない方がいい。それがほんとなら、たとえば理科の教科書にも、天動説と地動説を「両論併記」しないといけなくなる。

*1:素人のひらめきが、専門家の固定観念をくつがえした例はいくつかある。が、素人がしょうもない勘違いをして、専門家にさとされた例の方が、はるかに多いということも、同時に押さえておくべきだろう。

*2:左:http://www.thewestologist.com/arts/ancient-influence-on-modern-art/右:https://i.pinimg.com/736x/c0/8b/b3/c08bb33b2c02bdd02b90b1c9fa838b94--dea-artemide-artemis.jpg

*3:https://10172-presscdn-0-75-pagely.netdna-ssl.com/wp-content/uploads/2010/06/2010_0616_Modigliani_lead.jpg