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釣手土器の話 26 - むしろノヅチの話(上)

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図1 札沢出土*1

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図2 ノヅチ - 上:『信濃奇勝録』/下:『野山草木通志』*2

 釣手土器――特に札沢遺跡のそれに乗ってる太短いヘビたち(図1)は、「ノヅチ」(ツチノコ)のプロトタイプじゃないのかなぁと、第21回で書いた。ちなみにノヅチとは、図2のようなヘビの妖怪だ。

 でもこの場合、ノヅチは4000年以上前から、ほぼ同じ姿でイメージされてたということになる。妖怪とは、普通そういうものではない。たとえば河童なども、現在の姿が定着したのは、江戸時代後期と言われている*3。それ以前には地方により、さまざまな姿があったらしい。

 ノヅチの外見はなぜ、妖怪の中でも珍しく安定してるのか? というわけで今回は、ノヅチ(ツチノコ)の正体について考えてみよう。結論を出すと言うよりは、いくつか可能性を検討するという形になると思う。

 ツチノコの正体と言えば、このところアオジタトカゲの見間違い」説が、一部で信じられているようだ。アオジタトカゲ(図3)はインドネシアなどの生き物で、見た目はたしかに似ているが、ツチノコとは関係ないだろう。そもそも図2のイラストが描かれたのは、江戸時代後期(19世紀)だ。そんな時代にインドネシアから、わざわざ苦労してトカゲを輸入するバカはいない。

f:id:calbalacrab:20170715155427j:plain図3 アオジタトカゲ*4

 しかも図2の上段が載ってるのは、『信濃奇勝録』という本である。万に一つ、数匹のアオジタトカゲが国内に入っていたとして、内陸の長野県(信濃国)までその噂が広まったりはしないだろう。江戸時代に出た本の中に、ちゃんと脚のあるアオジタトカゲの絵が1枚もないのに、「ヘビと見間違えた」ものだけが残るというのも奇妙である。

 トカゲ説よりなんぼかありそうなものとして、まずは「①イノシシとヘビの融合生物(キメラ)」説が挙げられる。
 縄文人たちは、「全体的にはヘビで、鼻先はイノシシ」という神か妖怪(図4。通称「イノヘビ」)を妄想(?)してたらしいと、第24回で書いた。イノシシとヘビを合体させるなら、
「鼻先だけじゃなく、胴体も少しイノシシに似せて、もっと丸っこくしてみるか」
 と、考える人もいそうである。ツチノコ(ノヅチ)とは、このアイディアから生まれた妖怪ではないか? と、いう見方だ。

f:id:calbalacrab:20170630211939j:plain図4 イノヘビ*5

 結構いけそうな説ではあるが、ちょっと疑問がないでもない。この考え方だとノヅチとは、縄文土器を造る人々の造形上の工夫から生まれた妖怪ということになる。この手の妖怪は、実際にノヅチ(そのフィギュア的なもの)を造らなくなれば、たちまち忘れ去られてしまうのではないか?

 ノヅチっぽいヘビは、関東・中部地方の縄文土器に、一時的に現れただけだ。その後は江戸時代にいたるまで、4000年間一度も描かれず、彫刻などにされた節もない。「イノシシとヘビを融合させて、縄文人が、新たな妖怪を開発した」ということが実際あったとしても、そのデザインを4000年、口だけで語り継ぐのは普通に無理だろう*6。「ツチノコ=イノシシとヘビの融合生物」説は面白いが、あるかないかで言えば、ないと思う。

 ほかに可能性がありそうなのは、「②ヤマカガシの突然変異」説などだが、それらについては今度書こう。

*1:『長野県立歴史館研究紀要』5号 1999年より。

*2:上:http://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F765064&contentNo=14&outputScale=1/下:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%81%E3%83%8E%E3%82%B3#/media/File:Suizan_Nozuchi.jpg

*3:小澤葉菜「「河童」のイメージの変遷について」(『常民文化』34号 2011年)。ここから全文、ダウンロードできる。

*4:https://www.sauria.info/pb/lizards/img/DSC09646_2s.jpg

*5:『茅野和田遺跡』茅野市教育委員会 1970年より。

*6:あくまでも、「デザイン」を語り継ぐのが無理という話。「物語」とかならアリだろう。