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釣手土器の話 30 - 型式編年、その補足

 前回、「型式編年」の話をした。ところで伊集院卿ほか『日本ピラミッド超文明』(学習研究社 1986年)では、この型式編年が、けちょんけちょんにけなされている。

日本の考古学は、土器の編年に終始しているといってもよい。土器の編年というとたいへん聞こえはいいが、バカみたいな話である。
(中略)
 素人の素朴な疑問として、土器の形式が30年単位に細分できるかどうか多分に疑問である。またもしも、それが正しいとしても、2年で車を買いかえる人もいれば、10年も同じ車に乗っている人もいる。ましてや、古代のことであるから、今よりももっと大事に使ったにちがいない。同じ形式の土器が出土したからといって、同じ年代の遺跡であると断言することはおよそ不可能であり、実際には弥生時代になっても、縄文土器を使っていた人々もいたにちがいない。
(82・84ページ)

 タイトルでおわかりの通り、この『日本ピラミッド超文明』はトンデモ本である。「素人の素朴な疑問」でもって、「アカデミズムの迷妄」を斬るのは、トンデモ本の1つの醍醐味(?)だ。これがなければ、トンデモ本ではないと言ってもいい。

 たいていはただの難癖だが*1、上の一文は、その中ではいい線いっている方だ。実際、古いデザインがずっと残ったり、復活したりという現象は案外、少なくない。たとえばの話、彫刻について考えてみよう。

f:id:calbalacrab:20170829143208p:plain図1 古代ギリシアの彫刻*2

 図1の左と右とでは、右の方が新しそうだなと、誰でも見当はつくだろう。実際、左は紀元前2000年代の「キュクラデスの女性像」、右は紀元前100年ごろの「アルテミス像」だ。同じギリシアの遺物であり、どっちも古いけど、左の古さはケタが違う。

f:id:calbalacrab:20170922220459j:plain図2*3

 でもたとえば、図2の彫刻はどうだろう? 図1左によく似ており、同じころの遺物に見えなくもない。でも実際は、これは有名なモディリアーニの作品であり、20世紀の現代彫刻だ。ではなぜ、キュクラデスの古代彫刻に似てるのか? 実はモディリアーニは、キュクラデス美術が大好きで、そのスタイルを真似た作品をいくつもつくっているのである。

 このように、デザインは必ず同じ方向に変わり続けるわけではない。ルネサンスと言うか、「原点回帰」の動きはいつでも起こりうる。その意味で、デザイン「だけ」を頼りに時代を決めるのは、たしかに危なっかしいところがある。型式編年を行う人は、常にこの「ルネサンス」の可能性を頭に入れておくべきだろう。

 ただここで、1つ気をつけねばならないことがある。モディリアーニがキュクラデス美術を模倣できたのは、あたりまえだが、発掘された遺物を見たからだ。縄文人も同じように、(自分の時代より)古いタイプの土器を見れたのだろうか?

 考古学者がほかの遺物より、土器の型式編年に熱心なのは、実はそれなりに理由がある。その一つは、「土器は壊れやすい」ということだ。特に縄文土器は素焼きだから、陶器よりずっと壊れやすい。

 ガラスの破片ほどではないが、土器のかけらもやはり危ないから、とっておくことは難しい。壊れた土器はたいていは、そのまま捨てられたことだろう。実際、縄文遺跡のゴミ捨て場からは、土器の破片が大量に出てくることが多い。

 つまり縄文時代の土器製作者が、古いデザインの土器を参考にしたいと思っても、見られない場合が多かっただろうということだ。もちろん実際に見られなければ、ルネサンスなど起こりようがない。
「ある時代の縄文土器に、何世代も前のデザインが復活する」
 という現象が起こる可能性は、ゼロではないけど、かなり低い。やはり型式編年は、土器(それが出た遺跡)の時代を考える上で、充分参考になると思う。

 最後に、
「同じ形式の土器が出土したからといって、同じ年代の遺跡であると断言することはおよそ不可能であり……」
 のあたりにちょっと触れておこう。あたりまえだが、研究者であれ誰であれ、「断言する」必要なんてあるわけない。「その可能性が高い」と言えればそれで十分だ。

 トンデモ本では、これに似たレトリックがよく使われる。可能性が90%以上あるようなことでも、「100%じゃないだろ」「断定できないじゃないか」とけちをつけ、5%もなさそうな自分の仮説を押し通そうとする。でももちろん、100%じゃないのは同じでも、90%の仮説と5%のそれとでは、天と地ほども差があるのである(70%と20%、とかでも同じ)。

 学問的な場面に限らず、日常生活でも、「100%じゃないなら、みな同じ」的なことを言い出す人は、あまり相手にしない方がいい。それがほんとなら、たとえば理科の教科書にも、天動説と地動説を「両論併記」しないといけなくなる。

*1:素人のひらめきが、専門家の固定観念をくつがえした例はいくつかある。が、素人がしょうもない勘違いをして、専門家にさとされた例の方が、はるかに多いということも、同時に押さえておくべきだろう。

*2:左:http://www.thewestologist.com/arts/ancient-influence-on-modern-art/右:https://i.pinimg.com/736x/c0/8b/b3/c08bb33b2c02bdd02b90b1c9fa838b94--dea-artemide-artemis.jpg

*3:https://10172-presscdn-0-75-pagely.netdna-ssl.com/wp-content/uploads/2010/06/2010_0616_Modigliani_lead.jpg