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釣手土器の話 35 (終) - 文様は読める

 釣手土器について、語りたいことは語り終えたので、今回でひとまず終わりである。最初から(途中からでも)最後まで目を通してくれた人がいるのかどうかわからないが、もしいたとしたら感謝に堪えない。

 ちょいちょい脱線もしたが、このシリーズ(?)の眼目は、釣手土器の文様解読だ。デザインの系譜をさかのぼることで、文様の意味を明らかにしようという手をよく使った。特に図1~3の比較例は、われながらなかなかいいと思う。

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図1 左:御所前出土/右:曽利出土第4回より)

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図2 左:御所前出土/右:穴場出土第13回より)

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図3 左:井荻三丁目出土/右:札沢出土第23回より)

 見ておわかりの通り、このやり方は特に難しくない。縄文文化の研究者諸氏には、大いに活用してもらいたい。ある程度の数の研究者がこの手を使いだせば、縄文の謎の多くが解けてゆくのではないかと、あらぬ期待をしているところもある。

 ここで白状しておくと、この文様解読のやり方は、さほど目新しいわけでもない。「デザインをさかのぼると、もともとの意味がわかってくる」というのは、ときと場合によっては考古学で、普通に使われてきたものだ。たとえば有名な「遮光器土偶」(図4)をとり上げてみよう。

f:id:calbalacrab:20171028150951j:plain図4 亀ヶ岡出土*1

f:id:calbalacrab:20171028151527j:plain図5 遮光器*2

 遮光器土偶の「遮光器」とは、いわゆる雪メガネのことである。雪原の反射光で目を傷めないように、シベリアなどでは昔から、板や革製の雪メガネ(図5)が使われてきた。1891年、人類学者の坪井正五郎が、
「この土偶の異様にでかい目は、遮光器を表してるんじゃね?」
 という仮説を立てたので、遮光器土偶という名になったのだ。実際、土偶の目と遮光器はぱっと見、よく似ている。

 でもこの仮説、いまではほぼ否定されている*3。実はこの手の土偶の目は、古いタイプではずっと小さくて、全然遮光器に似ていない(図6)。デフォルメが進んで目ばかり強調された結果、たまたま遮光器に似たというのがほんとのとこらしい*4

f:id:calbalacrab:20171028152134j:plain図6 二月田貝塚出土*5

 この顛末は考古学で、一つの教訓として語られる。
「いま目の前にあるデザインだけを見て、『ああでもない、こうでもない』とやったら、間違える。デザインのルーツをさかのぼり、古い型式を押さえておくことが大切だ」
 ――というのは、大学などで考古学の講座に入ったら、割と最初の方で学ぶことである。

 「釣手土器の話」(ひいては、「吊手土器の象徴性」という論文*6)で使ってきた文様解読は、この考え方を応用したものだ。特に異端的というわけでもなく(理屈が通ってれば、別に異端でもいいのではあるが)、むしろ正統派と言ってもいいくらいだと、胸など張っておくことにしたい。

 

 さて。ここからなかなかの余談だが、遮光器の話が出たついでに、「トラロック」という神についても触れておこう。

 遮光器土偶は実際には、雪メガネをかけてはいなかった。でも世の中には本当に、メガネ(と言うか、ゴーグル)を着けた神像の例がないでもない。古代中米の雨の神・トラロックがそれだ。この神は、なぜかたいていゴーグルを身に着けた姿で表される(図7)。

f:id:calbalacrab:20171028201907j:plain図7 トラロック*7

 一見、「仮装大会でスベって凹んでるメガネの少年」に見えなくもないが、多分トラロックの像だろう。ちなみに、マヤの古代都市・コパンの初代王である「キニチ=ヤシュ=クック=モ」という人物も、やはりゴーグルを着けている(図8)。これもどうやら、トラロックに扮しているらしい。

f:id:calbalacrab:20171028202159j:plain図8 ヤシュ=クック=モ*8

 雪が降るわけでもなかろうに、何のためのゴーグルだったのか? なんにせよ、中米以外ではちょっと見られない独特の造形センスが楽しい。