神話とか、古代史とか。

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スサノヲとナマハゲ 13 - 大歳の客

 蘇民将来伝説(第11回)や「厄病神」(前回)は要するに、
「神々が人里を訪ねたとき、冷たくした者は罰を受け、もてなした者は(それなりに)報われる」
 という話である。日本の昔話研究では、この手の物語は「大歳の客」と呼ばれている。たとえば沖縄本島には、こんな話がある。

 大晦日の夕刻、みすぼらしい旅の老人が、金持ちの家を訪ねた。一夜の宿を乞うたが、追い払われ、貧しい老夫婦の家に泊めてもらう。老人は実は神であり、老夫婦を若返らせてくれた。

 先の金持ちはこの話を聞くと、あわてて老人を連れ戻し、「自分たちも若返らせてほしい」と言う。老人は、金持ち夫婦を猿にしてしまった*1

 似たような話はあちこちにあって、古代ローマの詩人・オウィディウス(紀元前43~後17年ごろ)の『変身物語』によればこうだ。

 昔ゼウスとヘルメスが、旅人の姿でフリュギア(トルコ中部)を訪ねた。どの家も門を閉ざす中、ピレモンとバウキスという貧しい老夫婦だけは、親切にもてなしてくれた。神々は、他の家をすべて水底に沈め、老夫婦を神殿に住まわせた*2

 「泊めてくれなかったら皆殺し」なあたり、蘇民将来伝説によく似ており、同じ流れをくむ神話だろう。この手の話がいつ、どこで生まれたかは不明だが、ローマから日本まで広まっているくらいだし、古いもんだということはわかる。

 日本では、沖縄県石垣島にこんな話もある。

 節祭(シチィ)*3の日、貧しい身なりの旅人が、仲間村を訪れた。一夜の宿を求めたが、どの家も相手にしてくれない。「南風野(はえの)屋」という貧しい家だけが泊めてくれた。

 旅人は「マユンガナシ」といって、神の使いだった。その後南風野屋は神の恵みにより、豊作続きになったという*4

 f:id:calbalacrab:20180401210607j:plain図1 マユンガナシ*5

 マユンガナシ(図1)と言えば、石垣島の来訪神である。蓑と笠は「クバ」(=ビロウ)という植物製だから*6、植物仮装でもあるわけだ。

 マユンガナシと同じくスサノヲも、「大歳の客」型の物語(蘇民将来伝説)で主役を張っていた。ここでもやはりスサノヲは、植物仮装来訪神(マユンガナシなど)と、近い関係にあるのである。

*1:伊波南哲ほか編『日本の民話(26)沖縄・八丈島篇』未来社 1979年 95~99ページ。

*2:オウィディウス『変身物語(上)』岩波書店 1981年 336~341ページ。バウキスとピレーモーン - Wikipediaも参照した。

*3:旧暦9月(新暦10月)ごろ。石垣島の暦では、祭の初日が大晦日にあたる。

*4:福田晃編『日本伝説大系(15)南島編』みずうみ書房 1989年 157~158ページと、萩原秀三郎『稲と鳥と太陽の道』大修館書店 1996年 220ページ。

*5:https://pbs.twimg.com/media/ByeFx1vCQAAje4d.jpg

*6:萩原秀三郎『稲と鳥と太陽の道』大修館書店 1996年 220ページ。