神話とか、古代史とか。

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新版・世界の七不思議 8 - サン=アグスティンと兵馬俑

 クラスCの第2回目は、「③サン=アグスティン(コロンビア)」と「④兵馬俑(中国)」の2つ*1

サン=アグスティン(コロンビア)

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謎度: ☆☆☆☆☆
びっくり度: ☆☆☆☆
古さ: ☆☆
知名度: ☆

 1970年代にNHKで放送された「未来への遺産」ではとり上げられてたが、それ以外、あまり名前を聞いたことがない。世界遺産ではあるのだが、TBSの「世界遺産」では、まだ扱われていないようだ。かなりマイナーな遺跡なのは、否定しにくいところである。
 墳丘墓とかの建造物もあるが、サン=アグスティンの「売り」は石像だ。でもこの石像が、どうにもわからんから悩ましい。
 石像群は、主に西暦50年ごろから造られ出したらしい*2。400ほど見つかってるそうで*3、ヴァリエーションもやけに豊富である。たとえば、「墓の番人っぽい男」(図1)。「頭が三角で、牙が生えてる人」(図2)。「ヘルメットみたいな頭の怪物」(図3)。「子供(多分)を両手で持って、ニタニタしてる人」(図4)。「なんだかわからない何か」(図5)、などなどだ。

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図1 墓の番人*4

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図2 三角で牙*5

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図3 ヘルメット頭*6

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図4 ニタニタ*7

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図5 ?*8

 こういう石像が出てくると、研究者たちはまぁ当然、「これ、何を表してるんだろう?」と考えてみる。「神の像だろう」「むしろ祖先では」「王の肖像という線も」とか、いろいろと想像するわけだ。文字があり、またそれが解読されてれば、割と簡単に答が出る*9。文字がなかったり、未解読だったりしても、たいていは状況証拠から、ある程度推定することはできる。
 でもサン=アグスティンの石像については、そういう推論はちょっとできにくい。もちろん南米の文化だから、文字がないのは仕方がない*10。ともあれ特徴的なデザインで、一見手がかりは多そうにみえる。でもその特徴がぶっちゃけ変過ぎて、逆にわからなくなるのである。
 たとえば、紹介写真の3体の石像は、多分墓の番人なんだろう。左右の人が棍棒みたいなものを持ってるのも、番人らしいという気がする。でもこの、頭上からぬるっと下りてきてる怪物(図6)はいったい何なのか……?

f:id:calbalacrab:20181013114322j:plain図6 頭上の怪物*11

 似たようなデザインは、サン=アグスティンのほかの石像にもある。たとえば図7の人物も、頭に怪物を乗せている。で、この怪物はよく見ると、尻の方にも顔があるらしい。

f:id:calbalacrab:20181011232638j:plain図7 怪物と男*12

 さすがにここまでやられると、後世の人がデザインの意味を推測することは難しい。たいていの遺物については、どこでもある程度似たものがあって、そこから類推することで、意味がわかってくるのである。あまりにオリジナリティ全開だと、造った本人に聞くしか手がなくなる。特徴がなさ過ぎるのもお手上げだが、ありすぎても困るということだ。
 というわけで「謎度」は高いのだが、謎の性質がちょっと小粒な気がするので、申し訳ないけどクラスCにした。

f:id:calbalacrab:20181105204729j:plain図8 四角い目と口*13

 ちなみに、サン=アグスティンの石像の中では私的に、目と口が四角い人(図8)を特に推しときたい。デジタル画像を千年ほど先どりしたような、幾何学的なデザインがお洒落だ。

兵馬俑(中国)

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画像URL
謎度: ☆
びっくり度: ☆☆☆☆☆
古さ: ☆☆☆
知名度: ☆☆☆☆☆

 兵馬俑は、単体で見ると「遺物」である。でも兵馬俑の魅力はやはりこう、ずらっと並んでいてこそだろう。だからこれは、やはり遺跡とみていいのである。

f:id:calbalacrab:20181013151103j:plain図9 始皇帝*14

 有名な遺跡だがざっくり解説すると、兵馬俑は、秦の始皇帝陵の東方(約1.5キロ)に埋められてたものだ。始皇帝(図9)は紀元前221年、それまでいくつかの国に分かれていた中国(と言うか、中華文明圏)を統一し、史上初めて「皇帝」を名乗った。のちには不老不死の方法を探したりもした始皇帝だが、一方で、前247年ごろから墓の準備も始めていたらしい*15。まだ秦王として即位したばかりのころだから、13歳かそこらだろう。気の早いことだが、何しろ大規模な工事だし、それくらいでないと間に合わない。というわけで兵馬俑も、前3世紀の遺跡である。
 殷の時代(前17~11世紀)には王が死ぬと、これに仕えた人ら(兵士たちを含む)をいっしょに埋めちゃう、てなこともやられていたらしい。これはさすがにまずいということで、周(前11~3世紀)のころからだんだんと、木製・陶製の人形で代用されるようになった。その人形(陶俑)の中でも質量ともに、頂点に立つのが兵馬俑だ。つまりこれ、始皇帝の軍団を(形だけでも)そのまま地下へ持って行くために、わざわざ造られたものなのだ。

f:id:calbalacrab:20181013154540j:plain図10 兵馬俑*16

 もちろんモノは陶器だから、始皇帝の墓を盗掘から守ってくれたりとか、そういうことはない。あくまでも、「守ってますよ」感を演出するだけだ。そのために、超絶リアルな人形を(いま見つかってるだけでも)約8000体、造っちゃうんだから豪儀である。まぁこれだけの人馬を実際埋めるより、はるかにましなのは間違いない。
 ただこれ、「びっくり度」はたしかに高いけど、謎の要素はほとんどない。何しろ中国は、紀元前から主な出来事がほぼ記録され、普通に残ってる土地柄だ。文字がなかったり、未解読だったりする地域にくらべると、「謎度」はどうしても低くなる(もちろん歴史を調べる上では、謎が少ないに越したことはない)。そんなこんなで、すごい遺跡なのはたしかだが、「七不思議」的にはクラスCとした。

*1:クラスCの顔ぶれは、「 ①クノッソス宮殿ギリシャ)」「②ペトラ(ヨルダン)」「③サン=アグスティン(コロンビア)」「④兵馬俑(中国)」「⑤万里の長城(中国)」「⑥三星堆遺跡(中国)」「⑦オルメカの巨石人頭像(メキシコ)」「⑧飛鳥の石造物(日本)」「⑨メスカルティタン(メキシコ)」「⑩グラストンベリ=トール(イギリス)」。

*2:San Agustín Archaeological Park - Wikipedia

*3:サン・アグスティン - Wikipedia

*4:http://archeopasja.pl/wp-content/uploads/2017/01/Co4.jpg

*5:左:http://www.atri.de/colombia2008/tierra/tierra-Dateien/image-44.jpg/右:https://www.ancient-origins.net/sites/default/files/Megalithic-stone-figure-in-the-San-Agustin.jpg

*6:左:http://img.over-blog-kiwi.com/0/09/87/06/201304/ob_33c253ed818fb935e5490ec67528fcae_dsc00612.JPG/右:https://yaquestamos.files.wordpress.com/2013/12/p1010935.jpg

*7:左:https://yamunasun.files.wordpress.com/2013/07/dsc_0438.jpg/右:http://4.bp.blogspot.com/-xkbJfjyGK3Y/U6IrkhEZa0I/AAAAAAAADKg/C2IU4aPbtB8/s1600/P6104960.JPG

*8:https://www.voyage-colombie.com/IMG/arton309.jpg?1497468961

*9:もちろん、嘘が書いてある可能性もないわけじゃないが。

*10:南米の古代文明アンデス文明)にはなぜか、固有の文字がない。「アイマラ文字」や「パウカルタンボ文字」があるとも言われるが、いつごろのものかはっきりしていない。参考: 世界の文字「アイマラ文字」同「パウカルタンボ文字」

*11:http://3.bp.blogspot.com/-TDUd4IGZ_DQ/UmRzp84HDnI/AAAAAAAAJEA/nzqBNs3nap0/s1600/IMG_5957.JPG

*12:https://img.wikinut.com/img/2xeapoyec64-wz2s/jpeg/0/The-true-God-is-not-just-a-God-of-stone!.jpeg

*13:学習研究社『未来への遺産(2)』1975年。

*14:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/27/Qinshihuang.jpg

*15:始皇帝 - Wikipedia

*16:https://kellywalkerstudios.files.wordpress.com/2018/03/20180306_201902.jpg