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新版・世界の七不思議 14 - みんな大好き、モアイ像

 イースター島(ラパヌイ国立公園)については第2回でもとり上げたが、ごく簡単に紹介しただけだ。今回は特にモアイ(図1)について、もうちょっと掘り下げてみたいという気がする。

f:id:calbalacrab:20180912223637j:plain図1 モアイ*1

 ただ何しろモアイと言えば、「石でできた謎」と言ってもいいくらい、いまでもわからないことが多い。まずは最低限、いまだいたいわかってること、わからないことを整理しておこう。いつになく長くなったから、今回は目次をつけてみた。

 

1. 目の穴を開けてあるモアイが完成品。

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図2 ラノ=ララク*2

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図3 「アフ」に立つモアイ*3

 モアイはラノ=ララクという火山(図2)のふもとで彫られ、村の近くまで運ばれて、台座に立てられるものだったらしい(図3)。ラノ=ララクのモアイ像の写真だけを見て、モアイは基本、顔だけの像だと思ってる人をたまに見かけるが、むろんそんなわけないのである。

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図4 左: 目の穴があるモアイ/右: ないモアイ*4

 モアイが立っている台座を、「アフ」という。アフ上のモアイには、ほとんどの場合目の穴があるが、ラノ=ララクのモアイにはない(図4)。アフに立てる前後の段階で、初めて穴が開けられたのだろう。

f:id:calbalacrab:20190318210728j:plain図5 モアイの目玉*5

f:id:calbalacrab:20190319151344j:plain図6 目を入れたモアイ(復元)*6

 1978年、モアイの目玉(図5)が発見され、目の穴にはめられてたものだということがわかった。つまりどうやら図6が、完全体モアイということになるが、ぶっちゃけ目玉がない方がかっこいい気がする。
 この目玉、ふだんははずされてたとも言われている*7。大事な儀式のときとかだけ、はめるものだったのかもしれない。全部のモアイにこういう立体の目玉があったわけじゃなく、顔料で目を描いたりもしてたらしい*8
 ちなみに一部のモアイには「プカオ」といって、赤い帽子みたいなものが乗せてある(図6)。これは15世紀以降の流行だそうで、古いモアイにはない。帽子じゃなくて、結い上げた髪とする説がいまは有力だ*9。 

2. モアイのルーツは多分、「ティキ」の像。

f:id:calbalacrab:20190318213041j:plain図7 ニュージーランドのティキ*10

f:id:calbalacrab:20190318213419j:plain図8 マルケサスのティキ*11

  ニュージーランドには、「ティキ」と呼ばれる祖先像(図7。最初の人間を表してるそうだ)を造る風習がある。南太平洋の島々にも似たような祖先像があって(図8)、マルケサス諸島では「ティキ」、タヒチでは「ティイ」などと呼ばれている*12。形はそれぞれちょっとずつ違うが、名前からみて、ルーツは同じだろう。ニュージーランドを含め、太平洋の人々は主にマルケサスやソシエテ諸島タヒチを含む)から広まったと考えられてるし*13、ティキ文化のルーツも多分、そのあたりだ。

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図9 アフとティイ(ソシエテ)*14

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図10 祭壇上のティキ(マルケサス)*15

 特にソシエテ諸島では、祭壇は「アフ」と呼ばれており、イースター島と同じである。ライアテア島(ソシエテ諸島の1つ)では、アフの前にティイが立ててあり*16(図9)、立地はモアイにかなり近い*17。また、マルケサス諸島のヒバ=オア島では、「メアエ」という祭壇の上にティキがある(図10)。これもまた、アフの上にモアイを立てるというイースター島の流儀によく似ている*18
 大きさはだいぶ違うけど、モアイもティキの信仰から生まれたという見方が有力だ*19。となるとモアイもティキと同じく、遠い祖先の姿なんだろう。

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図11 左: モアイ/右: ティキ*20
 耳に注目。

f:id:calbalacrab:20190319105731j:plain図12 モアイの手*21

 ティキはしかし、モアイのモアイらしい特徴をいくつか欠いている。たとえばモアイは、耳が異様に長いが、ティキは違う(図11)。でも腹に両手を当ててるとこは、モアイとティキの共通点である。モアイにもよく見るとちゃんと手があって、やっぱり腹に当ててるのだ(図12)。

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図13 腹に手を当てた石像*22
 左から、日本(飛鳥)/韓国(済州島)/インドネシアスラウェシ島)/ボリビア(ティワナク遺跡)

f:id:calbalacrab:20190319113726j:plain図14 腕のない石像*23
 左は「ミロのヴィーナス」、右は「モツィアの若者」。

 腹に手を当てた石像は結構どこにでもあって(図13)、別に珍しいもんではない(腕を体から離した石像は造りにくく、また壊れやすいから、こういうポーズが多くなるらしい。実際古い石像には図14のように、腕がとれてるものが多い)。が、そもそもアフの風習が、ソシエテやマルケサスから来たのなら、ティキもいっしょに入ってきただろう。モアイの直接のルーツはやはり、ティキ像にあるということでよさそうだ。 

3. モアイは墓標みたいなもの、なのか?

  この点が、実はまだいまいちわからない。かなり有望そうな説で、以下のような証言もある。 

モアイ像は、島内にある各地域の首長を祀るための墓標として建造されたと考えられている。

モアイ像の近くからは首長と考えられる人物絵が刻まれた頭蓋骨が発掘されており、モアイ像が立つ「アフ」と呼ばれる土台も、タヒチの聖域マラエにある石垣「アフ」と同じ名前。

タヒチのアフは首長の墓としてつくられたものであることから、イースター島の方も同じ目的でつくられた可能性が高いという。

 ――本条達也氏(「イースター島のモアイ像」より)

モアイは未だに謎だと言われていますが、“モアイは墓標”だという説は間違いなさそうです。なぜそう言えるかというと、立っているモアイの下には必ず台座があるんですが、その台座の中から大量の人骨が見つかっているんですね。なので、台座は墓だったんじゃないかといわれています。そして、イースター島はハワイとニュージーランドを三角形に結ぶポリネシア圏の文化があるんですね。そのポリネシア圏の文化は“祭壇の中に墓を作ること”があって、イースター島でも墓標を立てたことがモアイの始まりだといわれています。

 ――野村哲也(「未だ謎に包まれているモアイ像」より)

 本条氏や野村氏は考古学者ではないが、専門家に近い立場にある。だったらこれでほぼ決まりだろうとは思うのだが、1つ問題がある。「モアイ=墓標説」がメジャーなのは、調べた限りでは日本語サイトだけで、英語だとヒットしないのだ。

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図15 アフの下の人骨*24

 「アフ」とか「マラエ」とか呼ばれる太平洋諸島の祭壇について調べても、「聖域」だとは書いてあるが、墓だという話はほとんどない。タヒチのマラエからは人骨も出たが、これは生贄の骨と言われているようだ*25イースター島のアフからも骨は出てくるが、写真(図15)を見る限り、ごろごろ無造作に置かれてて、有力者の墓らしくない(祭壇を後から墓として再利用したとみえなくもない)。
 英語サイトなら信用して、日本語だったら信用しないとか、そういうことではない。ただ、モアイについて有力な仮説があったとして、英語より先に日本語で情報が流れる可能性は、低いんじゃないのという話だ。
 そんなわけで、この仮説についてはいまのとこ、態度を保留しておきたい。
「すごくありそうなんだけど、全面的に賛成するには、ちょっとだけ不安」
 という感じだ。

4. 顔はだんだん、長くなった。

f:id:calbalacrab:20190319114958j:plain図16 四角い顔のモアイ*26

 第2回でも書いたけど、モアイはそんなに古いもんじゃない。だいたい1250年から1500年あたりまで造られてたと言われている*27。最初から例の極端な「モアイ顔」だったわけじゃなく、だんだん細長くなったらしい。実際、古いタイプ(多分)のモアイの顔は、四角くてなんだかモアイらしくない(図16)。

f:id:calbalacrab:20190319115941j:plain図17 トゥクトゥリ*28

 モアイらしからぬモアイと言えば、「トゥクトゥリ」と呼ばれる非常に珍しいタイプもある(図17)。ノルウェーのトール=ヘイエルダール(図18。『コンチキ号漂流記』で有名)らが、1955年に発掘したものだ。普通のモアイと違って頭が丸っこく、ちゃんと脚もある(正座してる)。よく見ると、あごひげを生やしているらしい。

f:id:calbalacrab:20190319120709j:plain図18 ヘイエルダール*29

 昔はこれ、モアイのプロトタイプと思われてたし、いまでもそう書いてあるサイトもある*30。でもいまは、どうやら一番新しいタイプ(下手したら、最後に造られたモアイ)だろうと考えられているそうだ*31
 ちょっと下世話な話だが、モアイのあの形(特に顎のライン)は、ぶっちゃけペニスを表してるという説もある。実際現地には、モアイは「われわれの体の下の方についているモアイ」を参考に造られたという言い伝えがあったりするそうだ*32。でもそれがほんとなら、モアイのプロトタイプとして、ペニスそのものを表した彫像もないとおかしいし、どうも眉唾という気がする。様式化されたモアイの姿がたまたまちょっとそれっぽかったから、後づけで生まれた物語なのではなかろうか。

5. モアイは全部、倒れていた。

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図19 左: ロッヘフェーン/右: クック*33

 イースター島を訪れたヨーロッパ人は、1722年のヤーコプ=ロッヘフェーン(オランダ人)が最初である。ロッヘフェーンらは、アフに立つモアイを目撃しているが、この時点では、モアイが倒れてたという話はない。その後1774年になると、イギリスのジェームズ=クックが、多くのモアイが倒されていると報告した。1868年、やはりイギリスのリントン=パーマーが訪れたときは、アフ上のモアイは1つ残らず倒れていたという*34。モアイの多くはいまも倒れたままであり*35、アフに立ってるのは、20世紀以降に復元されたものだ。
 1722年から146年の間に、すべてのモアイが倒れてしまったのは、部族間の戦争によると言われてきた。実際島民たちの伝説には、激しい戦争と、「フリ・モアイ(モアイ倒し)」の場面があるそうだ。モアイは村の守護神なので、敵のモアイを倒すことで、呪術的に優位に立てるということらしい。

f:id:calbalacrab:20190319121703j:plain図20 マタア*36

 でもこの話、ちょっと怪しいという見方もある*37イースター島の発掘調査では、戦争の跡は見つからないらしい。武器になりそうなのは「マタア」という石器(図20)くらいだが、殺傷力はきわめて低いという(参考: イースター島、人殺しの武器を作らなかったと新説)。モアイを造るほどの技術があるんだし、戦闘が激しくなってくれば、もっとそれ向きの武器をいくらでも造り出せそうなものだ。
 伝説も、どこまで信用できるのかわからないとも言われている。ピーク時には、3000人はいたと言われるイースター島民だが*38、1872年までに、111人に激減したからだ(主な原因は、ヨーロッパ人による奴隷狩りや、彼らがもちこんだ天然痘やら結核やら)*39。島の正確な歴史を知る者は、このとき死に絶えた可能性もある。
 そもそもモアイについては、「地震で倒れた」と言ってる島民もいたそうで*40、人の手で倒されたものがどれくらいあるかはよくわからない。モアイはもともと不安定な形ではあるし、台座のメンテナンスを怠れば、倒れやすいのはたしかだろう。そんなわけで、アフ上のモアイがすべて、一度倒れたことは事実だが、その理由にはまだ謎が多い。

6. 運び方はまだわからない。

 モアイはラノ=ララクで造られて、遠いところでは、20キロくらい離れたところまで運ばれてる*41。どうやって運んだかも謎の1つだが、どうも立たせた状態で運ばれたらしいというところまではわかっている。道の半ばで倒れてるモアイ(運ぶ途中で放棄された?)の状態からすると、寝かせて運ぶものではなかったらしいのだ(参考: イースター島のモアイ像)。

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図21 モアイを歩かせる実験*42

 立たせてどうやって運ぶかと言えば、図21みたく、左右から引っぱって「歩かせる」やり方が、かなり有力とされている。でもこれだと、モアイの底が摩擦で傷ついてしまうから*43、底の部分に何かかぶせていたのかもしれない。長井鉄也氏が考案したように*44、木の枠を使うやり方(図22)も、摩擦を減らすにはよさそうだ*45

f:id:calbalacrab:20190319142156j:plain図22 長井モデル*46
 下り坂だと、自分の重さでトコトコ歩き出す。

 ぶっちゃけ私は、「どうやって運んだのか」とか、「どうやって立てたのか」といった技術方面にあまり興味がなくて、自分で考える気力はない。

*1:http://1.bp.blogspot.com/-7o0-hqIObRs/USWfgA4ALcI/AAAAAAAAAD4/smNPxNOSECc/s1600/CHL_EasterIsland_2Moai_.jpeg

*2:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a2/Rano-Raraku-Panorama-2013.jpg/1200px-Rano-Raraku-Panorama-2013.jpg

*3:https://steinkatze.files.wordpress.com/2010/08/p1110930.jpg

*4:左: http://www.fondiesicav.it/wp-content/uploads/bfi_thumb/shutterstock_240290710-mpqvffeeuafsu09se3i0kw0t4rnlelhptftp47v2su.jpg/右: http://parkerlab.bio.uci.edu/pictures/photography%20pictures/rano%20raraku_2%20brothers.jpg

*5:http://www.astrosurf.com/lecleire/2010/100710_moai_eye.jpg

*6:https://classconnection.s3.amazonaws.com/250/flashcards/1298250/jpeg/24-145227F178F7B145B05.jpeg 

*7:Eric Kjellgren and others, Splendid Isolation, Metropolitan Museum of Art, 2001, p. 39.

*8:小松左京監修『イースター島の謎』日本テレビ放送網株式会社 1979年 54ページ。

*9:Pukao - Wikipedia

*10:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8e/Tiki1905.jpg

*11:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/81/Tiki_Marquesas_Louvre_MH_87-50-1.jpg

*12:Tiki - Wikipedia

*13:ポリネシア - Wikipediaニュージーランドなら、オーストラリアの方が近いのに意外な気がするが。

*14:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/63/Taputapuatea_marae_Raiatea.jpg

*15:http://p1.storage.canalblog.com/14/79/883485/86784667_o.jpg

*16:特集『タプタプアテア』│TBSテレビ:世界遺産タプタプアテアのマラエ - Wikipedia

*17:どうもこのティイには脚がないようで、その点もモアイ風ではある。

*18:真ん中のティキ(「タカイイTakaii」と呼ばれる)は2.67mあるそうで、モアイほどではないけど、かなりでかい。

*19:ASIOS『謎解き 超常現象(4)』彩図社 2015年 249~250ページと、Mike Carson, Archaeology of Pacific Oceania, Routledge, 2018.

*20:左: http://digital.library.upenn.edu/women/routledge/easter/figure-58.jpg/右: https://cdn.tahitiheritage.pf/wp-content/uploads/2015/02/hiva-oa-hanapaoa-tiki-moeone-669x434.jpg

*21:https://www.bibliotecapleyades.net/arqueologia/eastern_island/images/moai2.jpg

*22:左から、https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/17/61/03/src_17610353.jpg?1281578589http://pds14.egloos.com/pds/200901/22/12/a0107712_49783a030df2e.jpghttps://i1.wp.com/www.roamindonesia.com/wp-content/uploads/2016/05/indonesia-sulawesi-palindo-megalith.jpghttps://www.lai.fu-berlin.de/e-learning/projekte/caminos/das_alte_amerika/bildergalerien/tiwanaku/tiwanaku_monolith.jpg?width=500

*23:左: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3d/Aphrodite_of_Milos.jpg/右: https://nabanassar.files.wordpress.com/2016/06/cropped-20160529_103041.jpg

*24:小松左京監修『イースター島の謎』日本テレビ放送網株式会社 1979年 12ページ。

*25:Marae - Wikipedia

*26:https://niesprzedawajcieswychmarzen.files.wordpress.com/2010/12/12-ahu-ature-huki-pierwsze-moai-na-wyspie-podnisione-przez-thora-heyerdahla-w-1958-roku.jpg

*27:Moai - Wikipedia

*28:左: https://travelshopgirl.com/wp-content/uploads/2018/02/image_2018-02-11-231041-0000_1-633x1024.jpg/右: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Moai_Easter_Island_geod0095.jpg

*29:https://vadebarcos.files.wordpress.com/2014/10/thor-heyerdahl.jpg

*30:イースター島のモアイ像など。

*31:Rano Raraku - Wikipediaと、Jan J. Boersema, The Survival of Easter Island, Cambridge University Press, 2015, p. 100.

*32:後藤明『ハワイ・南太平洋の神話』中央公論社 1997年 76ページ。小松左京監修『イースター島の謎』日本テレビ放送網株式会社 1979年 51~52ページも参照。

*33:左: https://whewellsghost.files.wordpress.com/2015/09/a-louis_antoine_de_bougainville-218x300.jpg?w=640/右: https://i.ytimg.com/vi/VcRffb0CuFk/maxresdefault.jpg

*34:モアイ - Wikipediaと、Peter Mason, The Colossal, Reaktion, 2013, p. 94.

*35:ラノ=ララクの(半分埋まってる)モアイ像は、まだ運び出す前だから別。

*36:https://www.heritagedaily.com/wp-content/uploads/2016/02/mata.jpg

*37:後藤明「モアイの『危機語り』」(『南山大学人類学研究所論集』3号 2016年)。ここで読める。

*38:後藤明「モアイの『危機語り』」(『南山大学人類学研究所論集』3号 2016年)の15枚目(35ページ)。

*39:イースター島 - Wikipedia

*40:Moai - Wikipedia

*41:未だ謎に包まれているモアイ像

*42:http://www.pleasuretime.it/wp-content/uploads/2016/10/rapa_nui-1.jpg

*43:ピーター=ジェイムズほか『古代文明の謎はどこまで解けたか(1)』太田出版 2002年 350ページ。

*44:歩くモアイの作り方

*45:ただしこっちでも、特に坂を上るときは、底部がかなりこすれると思う。

*46:http://www.tegakinet.jp/yourself.files/image001.jpg