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新版・世界の七不思議 17 - イースター島「大戦争」

 「モアイを掘り下げてみる」シリーズの3回目は、「③ 戦争はあったの、なかったの?」だ。第14回で書いた通り、伝説によればイースター島(ラパヌイ)では、かつて大きな戦争があった。1722年まではアフ(台座)に立ってたモアイ像もこの戦争で、すべて倒されたと言われている。

 でもこの話、いまではかなり疑問視されていることも書いた。大量殺人の形跡や、殺傷力の高い武器などが、イースター島の遺跡から出てこないからだ(ここ参照)。

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図1 ポイケの戦い(想像図)*1

 たとえば伝説では、「ポイケ・ディッチ」と呼ばれる溝で多くの人が焼き殺されたことになっている。でもこの溝を発掘調査しても、人骨はまったく見つからない。考古学者たちはこの話を、眉唾とにらんでいるらしい*2

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図2 ポイケ・ディッチ(真ん中の黒い線)*3

 ともあれ、イースター島の村同士(そのリーダー同士)に、かなり強烈なライバル意識があったのはたしかだ。モアイの巨大化もそれが原因だろうと前回で書いたが、巨大化競争にはおのずと限界がある。いくら有力者でも、巨大なモアイの製作費や、運んで立てるための手間賃を毎回出すのは痛手だろう。この手の見栄張り競争は、「どっちが先に音を上げるか」というチキンレースのようなものだ。
「いっそ戦争でライバルを殺すか、降参させれば、こんな競争はしなくて済む。」
 いよいよとなれば、そんな考え方をする輩も出るだろう。近代でも、軍拡競争で財政がパンクしそうになり、やぶれかぶれで戦争突入、というのはよくあるパターンだ。

 でもこの場合、モアイの製作中止と戦争は、ほぼ同時期に起こるだろう。モアイ競争の行きづまりが、戦争の引き鉄になったはずだからだ。でも実際は、モアイが倒れた(倒された?)のは、モアイ造りが止まってからかなり後のことだったらしい。

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図3 倒れているモアイ*4

 モアイが造られなくなった年代については諸説あるが、遅く見積もる人でも、だいたい1680年ごろとされている*5。約40年後の1722年、オランダのロッヘフェーンがイースター島を訪れたときは、モアイはまだ倒れていなかった。それから100年くらいの間に、バタバタと倒れていったらしい(必ずしも抗争とかじゃなく、地震が原因かもしれない。 ここ参照 )。

 モアイ造りが止まってから、40年後にモアイが倒れるというのは、時間が空きすぎだ。こうなると、「モアイの巨大化競争から、戦争に発展」という線もあんまりありそうにない。少なくとも、「戦争でモアイが倒された」という伝説に乗るなら、そういうことになる。

 でもやはり、激しい戦争を語る伝説が記録されてるのは事実であり、「ただのつくり話」で片づけるのもちょっと気が引ける。そこで一応、伝説が生まれた背景について、2通りの仮説を立ててみた。第1の仮説は、
「『戦争の話が聞きたいんだろうな』と察した島民が、ある程度話を合わせてくれた」
 というものだ。

 イースター島を訪れた学者たちには多かれ少なかれ、島の歴史について、先入観があったのではないか? 何しろさほど大きくもない島に、巨大な石像がゴロゴロしてる上、造りかけで止まった像も多い。
「ここにはかつて、よほど高度な文明があり、何かのきっかけで突然滅んだんだろう。」
 そんな想像をかき立てるには充分だ。そして「何かのきっかけ」は自然災害か、でなければ戦争とみるのが普通だろう。学者たちの多くは程度の差こそあれ、戦争の話を聞きたがっていたんじゃなかろうか。

「だからって、わざわざ調子合わせて戦争の話をつくったり(または大幅に誇張したり)はしないだろう」
 と思うかもしれない。でもそれは、取材する側の理屈である。取材される側にしてみれば、相手は遠路はるばるやって来てくれた「お客さん」だ。
「期待通りの話を聞いて、満足して帰ってもらいたい」
 と、思うのは普通のことである。

 もちろん学術調査だから、正確なところを言ってもらわないと、本当は困る。でもそんなことは、よほど念入りに説明しない限り、取材される側にはわからない。これは理解力の不足とかじゃなく、文化の問題だ。「学術調査」という文化をもたない人間は、まさか相手が、
「どんなに期待外れな話でもいいから、正確なことを言ってもらいたい」
 などと、思ってるとは夢にも思わない*6

f:id:calbalacrab:20190708205612j:plain図4 イエティの想像図*7

 これは実は、文化人類学的な調査では、ちょいちょい問題になるところである。たとえばヒマラヤの雪男・「イエティ」は、もともとは姿のはっきりしない精霊みたいなものだったらしい。ある調査隊が安直に、「こういうの知らない?」と想像図(図4)を見せたもんだから、「サルみたいな生き物」というイメージが、逆に定着してしまったのだ*8

 こういう調査では、相手に先入観を与えないように、調査する側が細心の注意を払う必要がある。でなければ、調査対象の何気ないサービス精神で、情報が歪んでしまうのだ。イースター島でも過去の歴史をめぐり、似たようなことがあったのかもしれない。

 もう1つの仮説は、
「そもそも戦争のイメージそのものが、喰い違ってた」
 というものだ。つまり、イースター島民の言う「戦争」と、近代ヨーロッパ人がイメージするそれが、全然違ったという見方である。

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図5 藤田嗣治戦争画*9

 現代人が戦争と聞くと、
「国と国とが手段を選ばずにとことん殺し合う(または一方が他方を、徹底的に殺戮する)」
 という地獄絵図を連想しがちである。でもこれは、近代以降の戦争――特に第1次世界大戦(1914~18年)に始まる「国家総力戦」のイメージだ。それ以前の戦争ではそこまでのことは、あまり起こらなかったらしい。ないわけじゃないが、少なかったのだ。

 そもそも、いくら命令したところで、人と人とを殺し合わせるのは大変なことだ。特に古代の戦争では、何しろ相手との距離が近い。「敵」の顔がはっきり見える状態で殺し合うわけで、その心理的抵抗は、それはもうえげつないものだ。

 だから昔の戦争ほど、ちょっと旗色が悪くなると、兵士たちはとっとと逃げていた。「〇〇の決戦」とか、大げさな名前がついてても、実際の死者は数名ということもよくあるらしい*10。時代が下るとだんだん逃げなくなるが、それは「忠義」とか「〇〇国軍兵士の誇り」とか「愛国心」とかを、長い時間をかけて刷り込んできた「成果」である*11

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図6 アメリカン・フットボール*12
 どう見ても普通に殴ってるが。

 たとえば古代ギリシアの都市間戦争も、あまり人が死なないものだったらしい。古典学者のアーサー=ノックは、
「アメフトの試合よりは、ちょっとだけ危険だったんじゃね?」
 と言っていたそうだが*13、これもやっぱり兵士たちが、簡単に逃げたからだろう。戦争を指揮する人らはそれじゃ困るから、自軍の兵士を逃がさないために、いろいろと工夫を凝らしてきた。

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図7 ファランクス*14

 古代ギリシアの有名な「ファランクス」(密集方陣。図7)も一つには、味方を逃がさないための陣形だったらしい*15。何しろ密集してるから、一番外側の兵士以外は逃げ場がない。しかもファランクスでは、敵と直接ぶつかるのは最前列だけだ。後列は遠慮なく前進してくるから、前列は一度接敵すると、逃げようったって逃げられない。なかなかにえぐい戦法だが、兵士たちを殺し合わせるのは、それだけ難しいということでもある。

 要するに、イースター島民が実際に、
そりゃあもうひどい戦争だった
 と言ってたとしても、近代ヨーロッパ人がイメージするような戦争とは、全然違うものだった可能性があるということだ。島民的には、重軽傷者が10人も出れば、「滅多にないような大惨事」だったのかもしれない*16。脳内のイメージを直で見せ合うわけにはいかないし、このギャップにはなかなか気づけない。

 長年信じられてきた「イースター島大戦争」的なものは、多分実際にはなかった。にもかかわらず、それらしい伝説が生まれた原因は、上の2つのうちのどれかだろう。または両方の要素があいまって、話がさらにおかしな方向へ発展したのかもしれない。

*1:https://www.christies.com/lotfinderimages/d56361/d5636165a.jpg

*2:後藤明「モアイの『危機語り』」(『南山大学人類学研究所論集』3号 2016年)29ページ。ここで読める。

*3:https://c1.staticflickr.com/1/118/371201986_e253383d89_b.jpg

*4:https://detalhesdeviagens.files.wordpress.com/2017/07/ahu-vaihu-moai-ilha-de-pascoa-roteiro-o-que-fazer-pontos-turisticos-relatos-viagem.jpg?w=723

*5:野村哲也イースター島を行く』中央公論新社 2015年 60ページ。

*6:藤子・F・不二雄の「ニューイヤー星調査行」という短編では、このあたりの事情がわかりやすく描かれている。

*7:http://blog-imgs-53.fc2.com/r/u/s/russianemperor/20120718101244cd5.jpg

*8:参考: File-34 雪男“イエティ”の真実 後編

*9:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/c2/8772b71f3d6e758a4df303b702454cd7.jpg

*10:天空の城ラピュタ GUIDE BOOK』徳間書店 1986年 227ページと、『加藤周一著作集(24)歴史としての二〇世紀』平凡社 1997年 45~46ページ。

*11:加えて現代の軍隊には、兵士の人間性を破壊する仕掛けがいろいろある。参考: 「訓練で女性蔑視植え付け」

*12:http://blogs.e-rockford.com/applesauce/files/2013/04/fbc-notes-1-3-art-g0dl1mb9-1sugar-bowl-football-jpeg-0f040-jpg.jpg

*13:Dave Grossman, On Killing, Back Bay Books, 1996, p. 12. なおこの本は、『「人殺し」の心理学』(原書房 1998年)、または『戦争における「人殺し」の心理学』(筑摩書房 2004年)として邦訳されている。

*14:https://domainsofthechosen.files.wordpress.com/2016/08/the-macedonian-phalanx.png?w=640

*15:Edited by John A. Hall and Siniša Malešević, Nationalism and War,Cambridge University Press, 2013, p. 32.

*16:一応補足しておくと、昔の戦争は、いまほど危険じゃない分、起こりやすい。戦争の回数自体は多かっただろう。