新版・世界の七不思議 19 - ティキとウィラコチャは「他人の空似」
前回、
「ポリネシア(南太平洋)のモアイやティキ像のルーツは、ティワナクに代表される南米古代文化にあるのだろう」
というヘイエルダールの仮説を紹介した。たしかに、ティキと南米のウィラコチャ像などはそこそこ似ているし(図1~3)、ウィラコチャの別名が「コン=ティキ」なのも、ヘイエルダール説を裏づけているようにみえる。
図1 ティキ*1
※ 左はヒヴァ=オア島(マルケサス諸島)、右はライヴァヴァエ島(オーストラル諸島)のティキ。
図2 ウィラコチャ*2
※ どっちも南米・ボリビアのティワナク遺跡にある。
図3 左:トゥクトゥリ/右:ポコティアの座像*3
※ トゥクトゥリはイースター島のちょっと変わったモアイ。ポコティア遺跡はティワナクと同じく、ボリビアにある。
でも前回も書いた通り、ティキとウィラコチャは実際は、赤の他人だった可能性が高い。今回はその根拠を挙げていこう。
① 腹に手を当てた石像は全然、珍しくない。
ティキとウィラコチャの像を比較した場合、一番似てるのは、腹に手を当てたポーズだろう。でも第14回でも書いた通り、こういう石像は結構、どこにでもある(図4)。腕を体から離すと壊れやすいから、この姿勢が多くなるらしいと、これもそのときすでに書いた。
図4 腹に手を当てた石像*4
※ 左から、日本(飛鳥)/韓国(済州島)*5/インドネシア(スラウェシ島)。
腕を体の横にぴったりつけてもよさそうだが、それやると正面から見たときに、胸から腹までが「余白」になる。絵を描いたり、彫刻造ったりする人なら経験があると思うけど、自分の作品にのっぺりとした空間があると、つくり手は物足りない気分になりがちだ(そのせいでつい余計なものを描き足して、失敗したりということも多い)。そこで空白を埋めるため、手を腹などに当てさせるのだろう。
図5 ワカ=ソナとティキ*6
ちなみに石像ではないが、ポーズ的に一番ティキに近いのは、「ワカ=ソナ Waka Sona」と呼ばれるバウレ Baoulé族(西アフリカ・コートジボワール)の祖先像だろう(図5左)。腹に手を当てているだけでなく、中腰の姿勢もよく似ている。むろんアフリカからだと、西へ行っても東へ行っても、ポリネシアまでは遠すぎるし、関係があるとは思えない*7。この程度の類似は偶然でも、充分ありうるということだ。
② ティキ像は涙を流してない。
ティワナクのウィラコチャ像をよく見ると、目の下に帯状の模様が描いてあり(図6)、涙を表しているそうだ。ウィラコチャには嵐の神としての性格があり、この涙は、雨を象徴しているらしい*8。
図6 ウィラコチャの涙*9
※ 左は風化で、ちょっとわかりにくい。
一方ティキやモアイには、涙らしきものはまったく描かれない(図7)。
図7 ティキとモアイ*10
ウィラコチャ像を造る上で、涙は「雨の神」としての性格を表す重要なモチーフだったはずだ。ポリネシア人が真似して造るとき、うっかり省くというのはありそうもない。
③ ティキやモアイは手ぶらである。
ウィラコチャ像はよく見ると、両手に何か棒状か、箱状の物を持っている(図8)。これも嵐の神としてのアイテムで、雷電を表してるらしい*11。
図8 ウィラコチャの手*12
図9 モアイの手*13
もちろんティキやモアイの手は、腹に添えられてるだけで、何も持ってない(図1・9)。これも涙と同じく、あっさり省略していいようなものとは思えない。
④ ティキ像は「両左手」じゃない。
第3回でも書いたけど、ウィラコチャ像の手は両方とも、なぜか左手になっている(図8)。これもまた、ティキやモアイにはない特徴だ。
こうしてみると、ウィラコチャの特徴的なモチーフが、ティキには何一つ見られない。ポリネシア人はウィラコチャ像を真似しておきながら、これらをことごとく無視したのか? いくらなんでも、オリジナルへのリスペクトがなさ過ぎるのではなかろうか。
⑤ 名前も完全には一致しない。
すでに書いたけど、ウィラコチャは別名「コン=ティキ」であり、名前はティキとほぼ同じだ。ほかがどんなに似ていなくても、名前が同じというのはやはり、無視できない一致という気がする。たとえば「イエス=キリスト」と呼ばれる絵があれば、見た目が多少アレだったとしても、それはやっぱりイエスだろうと認めざるをえない。
でもこれも、よく調べてみると、完全に一致してるわけではないらしい。ウィラコチャの正式名称はアルファベットだと、"Apu Kun Tiqsi Wiraqucha*15"などと書く。"Tiqsi"は多分「ティクシ」と読むんだろうし、ティキとは微妙に違ってくる。実際ルイ=ボーダンは、
「ペルーの神の正式な名前は"Tiqsi"だから、ポリネシアの神とは、名前が違うよね」
と指摘した*16。
もちろん似た名前ではあるのだが、何しろティキとウィラコチャにはすでに見た通り、共通する要素がほとんどない。せめて完全に同名なら、「ティキ南米起源説」も捨てがたいと思えてくるのだが、それすら微妙ということになると、これは正直致命的だ。「ティキ南米起源説」はいまのとこ、ほぼ論外とみていいだろう。
⑥ トゥクトゥリは実は、新しい。
ヘイエルダールが自説の有力な根拠としてるのは、図3の「正座する像」(イースター島の「トゥクトゥリ」と、ポコティアの座像)だ。『アク・アク』という本の中で、ヘイエルダールはトゥクトゥリについて、次のように書いた。
……ゴンサーロと私とにとっては、これはまるで昔なじみといってもよかった。私たちは二人ともチアファナコに行ったことがあった。これはチチカカ湖のそばにある、最古の前インカ式礼拝所だ。私たちはそこでこの像に似た、ひざまずいた石の巨像を見たことがあった。それはこの像と同じ彫刻家の手で彫られたといってもよいほど形も顔も姿勢も似ていた。*17
文中の「チアファナコ」は、もちろんティワナクのことだ。実際はポコティア遺跡から出たものだが、この座像を「ティワナク(ティアワナコ)の石像」と紹介している本は多い*18。それはともかく、
「同じ彫刻家の手で彫られたといってもよいほど形も顔も姿勢も似ていた」
というのは、どうみてもさすがに言いすぎだ*19。
そもそもあたりまえだけど、正座はごくありふれたポーズである(図11)。ティキとウィラコチャを結びつける説がせめてもう少し有力なら、図3の正座像もその補強材料にはなるだろう。が、この説がほぼ成り立たないということになると、「正座」という姿勢だけを根拠に2つの像を結びつけるのはいかにも無理筋だ。
しかも第14回で書いた通り、トゥクトゥリは、実は新しいモアイだったらしい。最後のモアイ(その1つ)とも言われているくらいで、16~17世紀に造られたんだろう*21。
ポコティアの座像が造られた時期はよくわからないが、ティワナクと同時代か、それより古そうだ*22。となれば、どんなに遅く見積もっても、1100年ごろより前だろう(ティワナク文化は500~1100年ごろ*23)。つまりトゥクトゥリより、400年以上は古いわけで、直接的な関係があるとは思えない。
「ポリネシア人が南米を訪れたとき、たまたまこの像を見て、真似をした」
といったケースならあるかもしれないが、ポコティアは、内陸の山岳地帯にある。漂着したポリネシア人がわざわざ訪ねる可能性は、かなり低いのではなかろうか。
⑦ トゥクトゥリには蛇のモチーフがない。
ポコティアの座像をうしろから見ると、肩のところにヘビらしきものがへばりついている(図12)。
図12 ポコティア座像の背中*24
どうも、頭に巻きついてる紐みたいなものが、双頭のヘビを表しているらしい。同じタイプのほかの石像も、写真を見る限り、同じデザインになっているようだ(図13)。いまとなっては、どういう意味があったか不明だが、これを造った人々にとっては、重要なモチーフなんだろう。
図13 ポコティアの石像群*25
図14 トゥクトゥリの背中*26
もちろんトゥクトゥリの背中には、ヘビらしきものはどこにもない(図14)。ウィラコチャとティキの場合もそうだったが、ポコティアの座像を真似して造るなら、こんな(おそらく)重要なパーツを省略したりはしないだろう。トゥクトゥリも、やはり南米古代文化とは無関係とみてよさそうだ。
ちなみに、主婦の友社版『コンチキ号探検記』では、このトゥクトゥリについて、次のように解説されていた。
また、(川谷注: ヘイエルダールは)一九五五年には、ポリネシアのはずれの孤島、イースター島をおとずれ、この島の巨大な石像、モアイについて興味ある調査をおこなった。そして、ティアワナコの石像とほとんどおなじ型の石像を発掘し、イースター島へも遠いむかし、南アメリカからの移住者があったことを証明した*27。
昔愛読した本ではあるが、「証明はしてねえだろ」と、いまこそ強くツッコんでおきたい。
「腹に手を当てたティキ」も「正座したトゥクトゥリ」も、ポリネシアで独自に生まれた文化だろう。少なくとも、南アメリカの石像たちと結びつける根拠はまったくない。ヘイエルダールによれば、専門家たちは彼の説(「ティキ南米起源説」を含む)を、「素人の突飛な思いつき」として軽視した。よくある話だが、ふたを開ければ結局のところ、専門家の見立てが正しかった。
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*5:済州島の守護神のようなもので、「トルハルバン」という。一見ティキなどに似ているが、1754年ごろに初めて造られたと言われており、割と新しい文化である。参考: トルハルバン - Wikipedia
*6:左:https://www.arts-ethniques.com/images/Image/statue_africaine_baoule_2017-104.jpg/右:https://assets.catawiki.nl/assets/2018/7/1/7/5/b/75b897b5-56c5-4298-afcf-88468c05b992.jpg
*7:もし関係があるのなら、中間地帯にも点々と、似たような偶像が残っているだろう。
*9:左:https://wallagrams.files.wordpress.com/2012/11/tiwanaku-statue-2.jpg/右:https://southamerica2up.files.wordpress.com/2012/06/dsc06609.jpg
*10:左:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/81/Tiki_Marquesas_Louvre_MH_87-50-1.jpg/右:http://g-ecx.images-amazon.com/images/S/amazon-dp.dpreview.com/sample_galleries/sony_slta55/51886.jpg
*12:左:http://2.bp.blogspot.com/-yq2-vjQ0vm0/UQLqsY7mBqI/AAAAAAAAUJg/utBXoC1iqp4/s1600/tiwanaku+ruins8+2779.jpg/右:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/72/Socha_Monolito_El_Fraile_-_Tiwanaku_-_panoramio.jpg
*13:https://www.bibliotecapleyades.net/arqueologia/eastern_island/images/moai2.jpg
*14:https://i.pinimg.com/736x/8d/84/35/8d8435d34911c704090161db1b0caddf--biblical-art-religious-art.jpg
*15:片仮名だと、「アプ=コン=ティクシ=ウィラコチャ」とでもするべきか?
*16:Louis Baudin, Daily Life of the Incas, Dover Publications, 2003, p. 21.
*17:ヘイエルダール『アク・アク(上)』光文社 1958年 134ページ。
*18:たとえば、石田英一郎ほか編『図説世界文化史大系(11)アメリカ大陸』角川書店 1959年 55ページや、木村重信ほか『南太平洋・南米の石造美術』大阪大学南太平洋学術調査・学術交流専門委員会 1989年 口絵26。
*19:ヘイエルダールの本にはこういうとき、なぜか写真が載っていない。
*20:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/22/-1725_Sobekhotep_V_anagoria.JPG/229px--1725_Sobekhotep_V_anagoria.JPG
*21:モアイ製作が終わったのは1500年ごろとも、1680年ごろとも言われている。Moai - Wikipediaと、野村哲也『イースター島を行く』中央公論新社 2015年 60ページ。
*22:ポコティア文化は、ティワナク文明に先行する「プカラ文化」の流れをくむと考えられている。佐藤吉文「先スペイン期ティワナク社会におけるヘビのシンボリズムとイデオロギー」『共生の文化研究』7号 2012年 144ページ。ここで読める。
*24:http://2.bp.blogspot.com/-0PdlxCndC18/TWrngZnQAJI/AAAAAAAAHAI/RvhHMg4FjO0/s400/makethumb400.jpg
*25:http://www.mupreva.es/dedalo/media/pdf/publicaciones/standar/mupreva194_mupreva153_499.pdf
*26:https://blog-imgs-93.fc2.com/p/a/i/paihenga/ranoraraku352s.jpg
*27:ハイエルダール『コンチキ号探検記』主婦の友社 1979年 108ページ。太字強調は引用者による。この部分、ヘイエルダールが書いたのを訳したものとも思えないし、「本文執筆」の水野耳人氏による解説か?