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新版・世界の七不思議 20 - 「長耳風習」は南米から?

f:id:calbalacrab:20190925224328j:plain図1 モアイの耳*1

 モアイと言えば、耳が長いことで知られている(図1)。顔が長いから、その分耳も長くなったのかと思えば、そうでもないらしい。イースター島(ラパヌイ)には実際に、耳たぶを長く伸ばした人々がいた(図2)。

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図2 耳の長い男女*2

f:id:calbalacrab:20190925225536j:plain図3 ホッジス*3

 イギリス海軍のジェームズ=クックが1774年、イースター島へ立ち寄ったとき、ウィリアム=ホッジス(図3)という画家もいっしょだった。そのホッジスが描いた絵だし、嘘ではないだろう。イースター島では少なくとも18世紀まで、耳を長くする風習が行われていたことになる。

f:id:calbalacrab:20190926013603j:plain図4 マルケサスのティキ*4

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図5 耳の長い(?)ティキ*5
 ヒヴァ=オア島(マルケサス諸島の1つ)にあるらしい。

 モアイのルーツが「ティキ」という祖先像にあることは、第14回その他で書いてきた。ティキは普通長耳じゃないが(図4)、木村重信氏によれば、オーストラル諸島などのティキ像の中には、耳が長いのもいくつかあるそうだ*6。実際、たとえば図5のティキなどは、微妙に耳が長いという気もする(ほんとに微妙だし、ただのデフォルメともとれるが)。となると、太平洋のほかの島々にも、「長耳風習」はあったのかもしれない。

f:id:calbalacrab:20190915220111j:plain図6 ウィラコチャ*7

f:id:calbalacrab:20190926120513j:plain図7 ウィラコチャの耳*8

 トール=ヘイエルダールはこの長耳風習についても、「南アメリカの古代文化にルーツがある」と主張した*9。が、第1819回で書いた通り、ヘイエルダールがティキやモアイのルーツとしたのは、ティワナク遺跡(ボリビア)のウィラコチャ像(図6)だった。ウィラコチャの耳は普通サイズだし(図7)、ヘイエルダールの仮説には合わないようにみえる。

f:id:calbalacrab:20190926120912j:plain図8 インカの立像*10

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図9 インカの耳飾り*11

 が、イースター島と同じく南米にも、耳を長くする風習があったのは事実だ。たとえばインカ帝国時代(1438~1533年)の金属製の立像には、長い耳をもつものが多い(図8)。なんでもインカの貴族たちは、大きなスタンプ状の耳飾り(図9)を耳たぶに着けていたらしい。若いころに穴を開け、少しずつ耳飾りを大きくすることで、穴を広げてゆくのだろう。耳飾りをはずせば図8のように、びろんと垂れ下がるというわけだ。スペインの侵略者たちはこれを見て、インカの貴族たちを「オレホネス Orejones」(大耳)と呼んでいたという*12

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図10 シカンの仮面と耳飾り*13
 この耳飾りは滑車状で、相当穴を広げてないと着けられない。

 もちろんインカ帝国の時代には、モアイはすでに造られていたはずだから、年代が合わない*14。でも南米では、シカン文化チムー王国の遺跡からも、でっかい耳飾りを着けた人物像が発見されている(図10)。どっちもインカ帝国より古く、それぞれ800~1375年ごろと、1100~1470年ごろに栄えていたそうだ*15。また、ブラジルのサンタレン Santarém文化(1000~1550年ごろ*16)の土器や土偶にも、長耳の人物を表すものが多い(図11)。インカ帝国ができる以前から、南米先住民(その一部)は、あの手この手で耳たぶを伸ばしていたらしい。

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図11 サンタレン文化の人物像*17

 南米原産のサツマイモがいつの時代にか、南太平洋(ポリネシア)に伝わっていたことは、第18回で書いた。このときに、シカンなどの長耳風習がいっしょに伝わったとしても、一応おかしくはないだろう。

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図12 カヨー族
*18

 ただ問題は、この長耳風習という奴が、大して珍しくはないことだ。ポリネシア人は基本的に、アジアから来たと考えられてるが*19、そのアジアにも、同じ風習は普通にある。たとえばタイ北部、カレン系カヨー Kayaw族の女性も図12のように、耳たぶを長く伸ばしている。この耳飾りは滑車型で、シカン(図10)と似たやり方だ。

f:id:calbalacrab:20190926203108j:plain図13 ダヤク族*20

 アジアの長耳風習と言えば、圧巻はボルネオ島インドネシア)のダヤク Dayak族(図13)だろう。写真は女性だが、男たちもやっていたらしい*21。インカの貴族あたりもダヤク族にかかれば、
「え? そんなもんで『大耳』とか言ってるんですか?」
 と、鼻で笑われそうだ。「環状の耳飾りの重さで耳たぶを伸ばす」という方式で、同じ東南アジアでも、カヨー族とはかなり違う。

 ほかには中国の海南島にも、長耳風習があったらしい。『後漢書』(5世紀)の「南蛮西南夷列伝」によれば、海南島の有力者たちは、耳に穴を開けて耳飾りを着け、肩に3寸ほど垂らしていたという*22後漢時代の「寸」は約2.304センチだから*23、3寸は7センチ弱というところだ。耳飾りを含めた長さかもしれないが、ダヤク族の例を見ると、耳自体が肩に7センチかかってても、それほどおかしくない気がする。

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図14 縄文の耳飾り*24

 あと、縄文時代の日本にも長耳風習はあった。遺跡から出てくる耳飾りは、シカンやタイと同じく滑車型だ(図14)。でかいのになると、直径9.8センチもあって*25、普通の耳たぶには当然、着けられない。

f:id:calbalacrab:20190926215513j:plain図15 仏像*26

 インドにも長耳の人がいたことは、仏像を見れば一目瞭然だ(図15)。仏像に限らず、ヒンドゥー教の神像にも図16のように、耳たぶの長いものがある。耳飾りの形からすると、ダヤク族(ボルネオ)と同じく、重さで伸ばすタイプだろう。

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図16 シヴァ神*27

 アフリカでも、ケニアのマサイ Maasai族(図17左)やエチオピアのムルシ Mursi族(同右)には長耳風習がある。どうもこの風習はあちこちに、それぞれ距離を置いて分布するようで、互いのつながりがよくわからない。比較的暑い地方に多い気がするが、これは多分、寒いところで耳の表面積を増やしたら、凍傷になりやすいからだろう。

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図17 左:マサイ族の男性/右:ムルシ族の少女*28

 考えてみれば、耳たぶは人体の中でも加工しやすく、しかも目立つ部位だ。顔のどこかに(なるべく安全に)手を加えたいと思ったら、誰でも真っ先に浮かぶのはやはり耳だろう。長耳風習はそれぞれの土地で、独自に生まれてもいっこうおかしくない。

 イースター島(及び太平洋諸島)の風習にしても、独立発生かもしれないし、東南アジアから伝わった可能性もある。南米に似たような風習があるというだけでは、文化交流の証拠としてはいかにも頼りない。「ティキ南米起源説」(第1819回)と同じく、長耳風習をめぐるヘイエルダールの説も、いまのとこ没でいいだろう。海洋冒険家としてならともかく、研究者としては、ヘイエルダールという人は、正直なかなかのポンコツだ。

*1:https://i0.wp.com/www.tuckstruck.net/wp-content/uploads/2016/04/IMG_0413Comp.jpg

*2:左:http://www.chauvet-translation.com/figures/Figure006.jpg/右:http://www.chauvet-translation.com/figures/Figure007.jpg

*3:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/41/William_Hodges_2.jpg

*4:https://philippebourgoinarttribal.files.wordpress.com/2014/07/tiki-c3aeles-marquises-mqb.jpg

*5:Catherine Chavaillon et d'Eric Olivier, Inventaire archéologique à Hiva Oa (Marquises), p. 115. ここで読める。

*6:木村重信ほか『南太平洋・南米の石造美術』大阪大学南太平洋学術調査・学術交流専門委員会 1989年 43~44、57、77ページ。

*7:左:https://4.bp.blogspot.com/_srTesFNulqc/TSUavtiqGVI/AAAAAAAAAOQ/EKBHMoYIjpQ/s1600/DSC_0302.JPG/右:http://wandermuch.com/wp-content/uploads/2014/09/tiwanaku_statue3.jpg

*8:https://lescoloriesaroundtheworld.files.wordpress.com/2015/06/img_8746.jpg

*9:トール=ヘイエルダール『海洋の人類誌』法政大学出版局 1990年 384~385、387ページ。

*10:左:https://www.metmuseum.org/toah/images/hb/hb_1974.271.7.jpg/右:http://media.puls-lifestyle.de/2014/05/orejon-Peru-Inka-Kultur-Imperiale-Phase-15.-16.-Jh.-Foto-Anatol-Dreyer-Linden-Museum-Stuttgart_4.jpg

*11:https://incaarthistory.weebly.com/uploads/1/8/3/4/18342427/2439620_orig.jpg

*12:友枝啓泰ほか編『大アンデス文明展:図録』朝日新聞大阪本社企画部 1989年 83ページと、Plug (jewellery) - Wikipedia

*13:上:http://www.latinamericanstudies.org/sican/gold-mask-4.jpg/下:http://www.pompanon.fr/photos/sd/z/l/y/4f48842dd8acd.jpg

*14:モアイは1250年ごろから造られ始めたと言われている。参考: Moai - Wikipedia

*15:古代アンデス文明展 展示内容

*16:Santarém Culture | Encyclopedia.com

*17:左:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/archive/9/9e/20150803081435%21Cultura_Santar%C3%A9m_-_Vaso_antropomorfo_representando_um_homem_sentado_01.jpg/右:https://1.bp.blogspot.com/_nhLd8MUAavo/Sl-1n9vgyzI/AAAAAAAAGpA/H2IO7cGorvc/s1600-h/com9394a_l.jpg

*18:https://i1.kknews.cc/SIG=1gikoo8/7o600084sn3rqp6r46s.jpg

*19:ポリネシア人 - Wikipedia

*20:https://i.pinimg.com/originals/3c/f6/4b/3cf64b566adad5837f27f3369de7feb4.jpg

*21:A Rare Portrait of Dayak tribe life in Borneo

*22:参考: 江川の耳 - てぃーえすのメモ帳

*23:中国各時代における単位表

*24:左:https://www.tnm.jp/uploads/fckeditor/exhibition/special/2018/20180703jomon/uid000233_201806011929189cba4edb.jpg/右:https://pds.exblog.jp/pds/1/201007/26/54/a0133354_103271.jpg

*25:史跡下布田遺跡 | 調布市

*26:https://www.burmese-art.com/assets/uploads/73876/old-wooden-throne-for-buddha-old-antique-16.jpg

*27:http://wadaphoto.jp/kikou/images3/ele25l.jpg

*28:左:https://farm9.static.flickr.com/8607/28396764001_51a07a55d5_b.jpg/右:https://farm5.static.flickr.com/4145/4993185617_2c7d59707d_b.jpg