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新版・世界の七不思議 22 - 長耳風習②アメリカ・オセアニア編

 前回に続き、「長耳風習」の話である。今回も各地の長耳風習について、「プラグ式か、ウェイト式か」「結果型か、目的型か」「男女どちらがやってるか」に注目してみていくことにしたい。ちなみに、それぞれの用語の意味は、以下の通り。

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図1 左:プラグ式/右:ウェイト式*1

プラグ式: 耳たぶの穴に、筒形か皿形、または滑車状の物を入れる。これを少しずつ大きくすることで、穴を広げてゆく方式。
ウェイト式: 耳環を着け、その重さで穴を広げる方式。

結果型: よりゴージャスな耳飾りを着けようとして、結果的に耳が長くなる場合。耳を長くすること自体が目的ではない。
目的型: 「長い耳たぶがカッコいい」という美意識があり、これが目的になっている場合。

 前回も書いたが、厳密には区別できないことも多く、あくまで便宜的な分類というところもある。じゃ、まず北米から行ってみよう。

① チェロキー族アメリカ)

f:id:calbalacrab:20200213145940j:plain図2 ジョージ=ロウリー*2

 アメリカ大陸の先住民と言えば、ちょっと前までは「インディアン」(直訳すると「インド人」)というけったいな名前で呼ばれていた。自分がたどり着いた土地をコロンブス(図3)が、「インドだ!」と言い張ったせいで、ややこしいことになったらしい。まぎらわしい上に、先住民とインド人、どっちに向いても失礼な話ということで、いまは「ネイティヴ・アメリカン」と呼ぶことが多い。

f:id:calbalacrab:20200213231222j:plain図3 コロンブス*3

 それはともかく、特に北アメリカ大陸の先住民には、あまり長耳風習のイメージがない。でもたとえば図2を見る限り、まったくないこともないようだ。この図はジョージ=ロウリーGeorge Lowrey(1770ごろ~1843年)という人で、チェロキー族の副族長だった。スコットランド人とのハーフだが、耳飾りや鼻環は、普通にチェロキーの文化だろう。チェロキーと言えば、ミシシッピ川流域の先住民であり、少なくともそのあたりには、長耳風習があったということだ。
 ただこの肖像画をよく見ると、耳たぶの穴を長く(広く)する普通の長耳とは、どうも様子が違っている。耳たぶと言うより、耳の外側の縁――「耳輪(じりん)」の部分を切り離し、これを伸ばしているようなのだ。

f:id:calbalacrab:20200213152421j:plain図4 アッタクラク*4

 ロウリーより前のチェロキーの族長に、「アッタクラクラAttakullakulla」(1708ごろ~1777年)という人がいて、この人の耳も同じに見えるから(図4)、チェロキーの伝統なんだろう。このブログでとり上げてきた長耳風習とは、かなり毛色が違うわけだけど、これも長耳には違いなかろうということで、一応紹介することにした。
 ちなみに穴の形的に、プラグをはめるのは無理だろうし、多分ウェイト式だと思う。特にロウリーの耳飾りはかなりでかいから、どっちかと言うと結果型だろう。見つけた肖像画はどれも男のもので、女性もやってたかどうかはわからない。

② メソアメリ(中米)
 マヤ文明とかアステカ帝国とか、中米の古代文明をひっくるめて「メソアメリカ文明」という*5。マヤ・アステカのほかにも、オルメカ・サポテカ・トトナカ・ワステカなど、いろんな民族やその文明があり(図5)、本来は、別々に扱うべきだろう。でも正直、そこまでやり出すと大変そうなので、まとめてとり上げることにした。

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図5 エル=タヒン遺跡*6
 多分ワステカ文明の遺跡。マヤのピラミッドと違って、壁龕(へきがん)がある。

f:id:calbalacrab:20200215150004j:plain図6 アステカの神像*7

f:id:calbalacrab:20200215143935j:plain図7 トトナカの女性像*8

 メソアメリカ文明の遺跡から出てくる人物像は、でっかい耳飾りを着けていることが多い(図6・7)。滑車状、または円筒状の耳飾り(図8)を、耳たぶの穴にねじ込む方式だったらしい。普通の耳たぶには当然着けられないし、やはり中米にも、長耳風習はあったということだ。

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図8 アステカの耳飾り*9
 黒曜石でできているそうだが、ここまで薄くできるものか。

 耳飾りの形から、もちろんプラグ式だということはわかる。図7は明らかに女性だし、男女ともやっていたのだろう*10
 耳飾りはかなりでかいから、これを身に着けている限り、耳たぶ自体はあまり目立たない。そこだけみれば、結果型じゃないのという気がする。でも中には、耳飾りを着けてないように見える人物像もあり(図9)、目的型の側面も、全然ないとは言い切れない。

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図9 ワステカの人物像*11
 着けてるような、着けてないような。

③ トゥーラ=シココティトラン(メキシコ)

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図10 トゥーラ遺跡*12

 トゥーラ=シココティトラン(900~1150年ごろ*13)もメソアメリカの遺跡なんだけど、ちょっと珍しい特徴があるから、別にとり上げることにした。ちなみにトゥーラと言えば、「トルテカ帝国」の都とされてきたが、この話、ちょっと怪しくなってきてるらしい。
「トルテカというのは半ば伝説的な存在で、実際にトゥーラを建てたのは、オトミ族やマトラツィンカ族だったんじゃないの?」
 と言われているそうだ*14
 それはともかく、長耳風習との関連で注目したいのは、「ピラミッドB」の上に立つ柱像群(図11)である。

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図11 戦士の像
*15

 一見非常に細長い耳がついているみたいだし、その昔本で見たときも、
イースター島と同じで、この人たちにも長耳風習があったんだなぁ」
 と、妙に感心したものである。でもよく見ると、これはちょっと変ではなかろうか。顔のほかのパーツは比較的リアルに彫刻されてるのに、耳だけが、こんな角張ってていいものだろうか?
 で、改めてよく調べたら、真横からの写真(図12)が見つかった。

f:id:calbalacrab:20200216121804j:plain図12 戦士の像(横から)*16

 これ見ると、耳だと思ってたものは実際は、頭飾りか何かの一部らしい。そのうしろにほんとの耳があり、こっちはそれほど長くはない。ただ、耳たぶのうしろをよく見ると、くさび形(多分)の耳飾りが耳に刺さってるようだから、普通より長いのはたしかなんだろう。でもこれは、メソアメリカの平均的な長耳と大差なさそうだ。

f:id:calbalacrab:20200216151206j:plain図13 チャックモール*17
 生贄の心臓を乗せる台だったらしい。

 ちなみに、マヤの遺跡・チチェン=イッツァで見つかった「チャックモール」の像(図13)も、耳のところに似たようなものがついている。これも頭飾りのパーツだと思うが、横からの写真が見つからず、確認できなくてもどかしい。

④ サンタレン文化(ブラジル)
 ここからは南米大陸や、イースター島(ラパ=ヌイ)の話である。第20回でも軽く触れたけど、改めて紹介しておこう。

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図14 サンタレン文化の人物像*18

 サンタレンSantarém文化は、1000~1550年ごろのブラジルの文化で、洗練された土器や土偶を残している。文化の存在自体、最近知ったばかりだし、ぶっちゃけた話、くわしいことはよく知らない。でも土器のデザインを見ていると、何やら楽しげな人たちだったんじゃないかという気がする。
 図14を見る限り、男女とも、耳を長くしていたらしい。耳飾りを着けた状態の人物像はないようだから、まず間違いなく目的型だろう。プラグ式かウェイト式かは、手がかりがなくてわからない。

⑤ リクバクツァ族(ブラジル)

f:id:calbalacrab:20200217005526j:plain図15*19

 図15はブラジルの先住民・リクバクツァRikbaktsa族のおっさんだ。数ある長耳風習の中でも、これはさすがに頂点と言うか、雲の上の世界である。とにかく耳たぶの長さ(穴のでかさ)が並み大抵じゃない。これで耳たぶが切れないんだから、この耳飾り、よほど軽い素材でできてるのか?
 見ての通りのプラグ式で、耳飾り自体の装飾性はあまりなさそうだから、多分だけど目的型だろう。ネットで写真を見た限りでは、女性はやっていないらしい。ちなみにサンタレン文化のパラー州と、リクバクツァのいるマットグロッソ州はお隣同士だが、両者の長耳風習に関係があるかはわからない。

⑥ プレ=インカ(ペルーなど)

f:id:calbalacrab:20200217121928j:plain図16 シカンの仮面*20

f:id:calbalacrab:20200217122156j:plain図17 チムーの儀礼用ナイフ*21

 アンデス文明(南米古代文明)のうち、インカ帝国(1438~1533年)より古いのを、ひとまとめに「プレ=インカ」と呼ぶ。そのうち、特にシカン文化(800~1375年ごろ)やチムー王国(1100~1470年ごろ)の人物像は、大きな耳飾りを着けていることが多い(図16・17)*22。耳飾りは滑車状、またはスタンプみたいな形だったようで(図18・19)、メソアメリカのパターンに近い。

f:id:calbalacrab:20200217122558j:plain図18 シカンの耳飾り*23

f:id:calbalacrab:20200217122648j:plain図19 チムーの耳飾り*24

 耳飾りの形からみて、もちろんプラグ式。耳飾りをはずした人物像は見当たらないことだし、結果型だろう。のちのインカ帝国では男女ともやってたようだから、プレ=インカの時点でも、多分同じではあるまいか。

インカ帝国(ペルーなど)

f:id:calbalacrab:20190926120912j:plain図20 インカの立像*25

 インカの時代になると、耳飾りをはずした状態の人物像(図20)もみられるようになる。インカの耳飾りはプラグ式で(図21)、貴族の間では、男女ともやっていたらしい*26

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図21 インカの耳飾り*27

 わざわざ耳飾りがない像をつくってるくらいだし、結果型から目的型に移行しつつある感じだろう。古代インドの場合(前回参照)と似たようなもので、
「本来は、耳飾りがステイタスシンボルだったけど、『その耳飾りを着けられる長い耳』の方も、だんだんと地位の象徴になってきた」
 といったところではなかろうか。

イースター島(チリ)

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図22 イースター島の男女*28

 モアイの耳が長いのはよく知られてるし、18世紀の肖像画(ウィリアム=ホッジス作)にも、長耳の男女(図22)が描かれてる。イースター島(ラパ=ヌイ)に長耳風習があったのは、まず間違いないところだろう。
 図22の右は女性だし、当然男女ともやっていた。どっちも盛装に見えるのに、耳飾りがないところをみると、耳に装身具を着けることは、大して重要じゃないらしい。となるとやはり、目的型だろう。

f:id:calbalacrab:20200217152209j:plain図23 モアイ(耳に注目)*29

f:id:calbalacrab:20200217152350j:plain図24 モアイ=カバカバ*30

 モアイの中には、耳飾りを着けてるように見えるものもあり(図23)、イースター島の木彫り男性像「モアイ=カバカバ」も同じである(図24)。耳たぶの先端に着けてるようだから、これが耳飾りなら、ウェイト式だったことになる。

 なお、南太平洋ではイースター島のほかに、マルケサス諸島にも長耳風習があったと言われたりもする*31。でもこれについてはいまのとこ、たしかな証拠もないようだから、ここではとり上げないことにしよう。

 さて。
イースター島の長耳風習は、プレ=インカから伝わった」
 という説があることと、これがあまりあてにならなさそうなことは、第20回で書いた。
 ここで改めて、プレ=インカとイースター島の長耳風習を比較してみると、まず(多分)男女ともやっていたことは同じである。が、プレ=インカの長耳は結果型、イースター島のは目的型だったらしいから、この点は違う。耳の延ばし方も、前者は間違いなくプラグ式で、後者は多分ウェイト式だろう。プレ=インカからイースター島へ伝わった風習にしては、共通点が少なすぎる。やっぱりこの両者の長耳風習は、それぞれ別物とみた方がいい。

*1:左:https://www.syl.ru/misc/i/ai/72626/91839.jpg/右:https://i.pinimg.com/originals/4c/64/88/4c6488101a4aefe302a089bc5e5623b6.jpg

*2:https://secureservercdn.net/45.40.155.145/5e3.341.myftpupload.com/wp-content/uploads/2015/04/024-George-Loweryw.jpg

*3:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c2/Portrait_of_a_Man%2C_Said_to_be_Christopher_Columbus.jpg

*4:https://i.pinimg.com/originals/7e/e2/d5/7ee2d5e0a7ae21c99e925c0628a1a786.jpg

*5:古代と言っても、アステカ帝国が栄えたのは1428年ごろ~1521年だが。

*6:https://mexnavi.com/wp-content/uploads/2017/04/MG_4836.jpg

*7:https://i.pinimg.com/originals/f5/7a/52/f57a5264bd04b21a115405aefa15af28.jpg

*8:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f3/Totonaque_Auch_4.jpg

*9:https://images.metmuseum.org/CRDImages/ao/original/1979.206.1089.jpg

*10:「トトナカ族の女性はやってたが、〇〇族は男だけ」とか、そういうこともあるかもしれないが。

*11:https://i.ytimg.com/vi/1foHbtOo3dg/maxresdefault.jpg

*12:https://cdn.britannica.com/83/121383-004-4B4B6509.jpg

*13:Jennifer C Ross; Sharon R Steadman, Ancient Complex Societies, Routledge, 2017, p. 324.

*14:トルテカ文明 - Wikipedia

*15:https://www.trazeetravel.com/wp-content/uploads/2016/09/Tula-Mexico-%C2%A9-Jerl71-Dreamstime-22837766-e1475002657805.jpg

*16:https://live.staticflickr.com/8810/28673373306_20e435e124_b.jpg

*17:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/64/2015-07_k1_CDMX_830.jpg

*18:左:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/archive/9/9e/20150803081435%21Cultura_Santar%C3%A9m_-_Vaso_antropomorfo_representando_um_homem_sentado_01.jpg/右:https://1.bp.blogspot.com/_nhLd8MUAavo/Sl-1n9vgyzI/AAAAAAAAGpA/H2IO7cGorvc/s1600-h/com9394a_l.jpg

*19:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/79/Rikbaktsa.jpg

*20:http://www.latinamericanstudies.org/sican/gold-mask-4.jpg

*21:https://i.pinimg.com/originals/4a/c1/3f/4ac13f90113b767236543a6f7a4ab2e2.jpg

*22:年代観については、古代アンデス文明展 展示内容参照。

*23:http://www.pompanon.fr/photos/sd/z/l/y/4f48842dd8acd.jpg

*24:https://i.pinimg.com/736x/d9/a1/88/d9a188496c06237918a24f9223d6cbfa.jpg

*25:左:https://www.metmuseum.org/toah/images/hb/hb_1974.271.7.jpg/右:http://media.puls-lifestyle.de/2014/05/orejon-Peru-Inka-Kultur-Imperiale-Phase-15.-16.-Jh.-Foto-Anatol-Dreyer-Linden-Museum-Stuttgart_4.jpg

*26:The History of Stretching - Bodyartforms

*27:https://incaarthistory.weebly.com/uploads/1/8/3/4/18342427/2439620_orig.jpg

*28:左:http://www.chauvet-translation.com/figures/Figure006.jpg/右:http://www.chauvet-translation.com/figures/Figure007.jpg

*29:https://travelswithsheila.com/wp-content/uploads/2014/04/Tongariki-top-knot-5.jpg

*30:https://www.christies.com/img/LotImages/2019/PAR/2019_PAR_17505_0063_000(la_statue_moai_kavakava_hooper_the_hooper_moai_kavakava_figure_rapa_nu).jpg

*31:トール=ヘイエルダール『アク・アク(下)』光文社 1958年 211ページ。 第20回も参照されたい。