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新版・世界の七不思議 23 - モアイの「たまたま」そっくりさん

 以前、たしかツイッターか何かで、
「モアイの『たまたまそっくりさん』とか、結構あちこちにある」
 的なことを書いた。言いっぱなしというのもちょっとアレなので、知ってる限りのモアイのそっくりさんを、ランキング形式で発表してみたい。ランキングと言っても5つしかないし、大して長くはならないと思う。

第5位 ウィラコチャボリビア) 

f:id:calbalacrab:20200311114524j:plain図1 ウィラコチャ*1

 南米のティワナク遺跡には、「ウィラコチャ」という神の石像(多分)がいくつかある。図1はその1つで、「フライレFraile」(司祭)という愛称で呼ばれているそうだ。
 子供のころ本で見たときは、「モアイみたいだな」と素で思ったのだが、いま見るとそんなに似ていない。強いて言えば、「ちょっと面長なとこ」と、「腹に手を当ててるとこ」が共通点か?
 でかい石像と言ったらモアイくらいしか知らないお年ごろだったから、ちょっとでも似たところがあれば、モアイを連想してしまったんだろう。ちなみに、ウィラコチャ像とモアイとの関係(正確に言うと、なんの関係もなさそうなこと)は、第19回で書いておいた。

第4位 トルハルバン済州島) 

f:id:calbalacrab:20200311115228j:plain図2 トルハルバン*2

 済州(チェジュ)島と言えば、朝鮮半島南岸沖のかなり大きな島だ。1845km2だそうだから、佐渡島(854.76km2)の倍以上、沖縄本島(1206.99km2)の約1.5倍というところか。余談だが、天気予報でよく「済州島沖合いを通過し……」とかなんとか言っている気がする。
 トルハルバン(돌하르방/Dol hareubang)は、済州島のシンボル的な石像で、島のあちこちにあるらしい。村の守護神ということで、その入口に置かれていることが多い。
 顔とかは別にモアイっぽくないが、頭に乗せた帽子の形や(モアイのは、帽子じゃなくて髪型らしいけど*3)、脚がないところ、両手を腹に当ててるところは割と近い(図3参照)。ただ、トルハルバンの手は、モアイと違ってたいていの場合、左右の高さがずらしてある。

f:id:calbalacrab:20200311192934j:plain図3 モアイ*4

 トルハルバンは1754年に初めて造られたそうだから*5、モアイ(1250年ごろ~*6)とくらべても、結構新しい。済州島に固有かと言うとそうでもないようで、朝鮮半島本土にもよく似た石像がある(図4)。これは境界の守り神で、「チャンスン」(장승/Jangseung*7)という。日本で言うと、道祖神みたいなものだろう。チャンスンと道祖神については、「道祖神と近親相姦」の2ページ目あたりで書いたから、そっちも参照してもらえるといろいろありがたい。

f:id:calbalacrab:20200311191709j:plain図4 石のチャンスン*8
 韓国全羅北道南原市、實相寺실상사/Silsangsa)にある。


 記録によればチャンスンは、759年には、すでに造られていたようだ*9。チャンスンは普通木製で(図5)、古いものは現存していない。石で造られたものとしては、雲興寺(全羅南道羅州市)にある1719年のが古いらしい*10済州島のトルハルバンも、本土の石チャンスンの影響で、造られるようになったものだろう。

f:id:calbalacrab:20200311194239j:plain図5 木のチャンスン*11

第3位 人頭石奈良県高取町) 

f:id:calbalacrab:20200311194554j:plain図6 人頭石*12

 第10回でもとり上げた、「飛鳥の謎の石造物」の1つだ。顔の輪郭とか耳の長さとか、こうなると、かなりモアイに近いと言っていいと思う。飛鳥のほかの石造物と同じく、7世紀に造られたものだろうし、モアイの時代よりかなり古い。
 ちなみに現在は、光林寺という寺で手水石代わりになっている。顔の右側は、削りとられたような平面で、何も彫刻されていない(図7)。もともと左側から見るもので、右は造ってないのかもしれない。

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図7 人頭石(正面)*13

第2位 万治の石仏(長野県下諏訪町) 

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図8 万治の石仏*14

 その名の通り石仏なんだけど、仏像感はかなり低い。頭の部分は、体が彫られた巨岩の上に乗っているだけだ(いまは落っこちないように、金具か何かで留めてあるらしい)。巨岩の方に銘文があり、江戸時代前期、万治3年(1660年)の作だということがわかる。

f:id:calbalacrab:20200311200200j:plain図9 万治の石仏(頭部)*15

 目から下の部分が長いこと、口を微妙にすぼめてるように見えるところなど、たしかにモアイ風ではある(眉毛らしきものが彫られている点は違うが)。耳も長いけど、これは仏像だからあたりまえだ。
 小説家の新田次郎はこれに触発されて、「万治の石仏」という短編を書いた。イースター島からモアイの頭部が運ばれ、巨岩の上に置かれたというぶっ飛んだ話になっているらしい。未読だが、後学のために読んでみたいという気もする。

第1位 カラヒア遺跡(ペルー) 

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図10 カラヒアの柩*16

 カラヒアKarajía遺跡はインカ帝国(1438~1533年)以前、ペルー北部で栄えたという「チャチャポヤスChachapoyas文化」の遺跡だ。断崖絶壁に、人型の像がならべてある。
 「ペルーのモアイ」とも呼ばれているだけあって、たしかにこれが一番モアイに似ていると思う。特に、
「眉毛の部分が庇(ひさし)状になり、そこからとがった鼻が伸びる」
 という造形センスが瓜二つだ。でかいのは2.5メートルもあるそうで、モアイほどではないけど、巨像である。
 ただ、モアイと違って石像ではなくて、主に粘土でできているらしい。この像は実は柩であり、中にミイラがしまってある。モアイはむろん柩ではないが、その台座である「アフ」からは、人骨が見つかることが多い(第14回)。「死」や「墓」とのかかわりが深いとこも、カラヒア遺跡とモアイとの共通点の1つと言えそうだ。
 カラヒアは15世紀の遺跡だそうだから*17、モアイが造られ始めたころ(1250年ごろ)よりかなり新しい。似てるのはたまたまだろうけど、楽しい偶然の一致である。

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図11 クエラップ遺跡*18

 ちなみにチャチャポヤス文化と言えば、「クエラップKuélap」という城塞都市遺跡(図11。主に900~1100年ごろ*19)を築いたりもしている。最近まであまり知られていなかった遺跡だそうだけど、写真の通り、なんかすごそうだ。

 古い石像と言えば、モアイが圧倒的に有名で、ヴィジュアルも印象的である。そのせいか、素朴な石像を見ると無意識にモアイと比較する癖が、現代人(その一部)にはある気がする。あらぬ場所でモアイを見つけたら、「そんな言うほどモアイかな?」と、一度は疑った方がいい。