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徳川家康、出生の奇説 5 (終) - 「替え玉説」の難しさ

 前回の改良版「替え玉説」は、自分で言うのもアレだが、村岡素一郎氏のそれ(第3回参照)よりかなりましではある。じゃこの仮説、結構いい線いってるのかと言えば、正直なとこそうでもない。改良版の「替え玉説」(「人質時代すり替え説」)には、だいたい以下のような弱点がある。

 順番に解説していこう。

 

① 松平元康の家来たちは何をしてたのか?

  いきなりでなんだが、これが一番致命的ではある。あたりまえだが元康は、何も1人で人質をやってたわけじゃない。人質時代から、三河出身の家来たちがいて、元康に仕えていたのである。名前がわかっているだけで、「鳥居元忠」「酒井忠次」「石川数正」「平岩親吉」などがいたはずだ。

f:id:calbalacrab:20200806115359j:plain図1 鳥居元忠*1

 人質時代の終わりごろ、元康が駿河で急死したとしよう。今川家がその死を秘密にし、「替え玉用意するから、よろしく~」などと、無茶を言い出したらどうなるか? 家来たちが、指をくわえてこの茶番を見てるとは到底思えない。彼らは「松平家の若殿」に仕えているのであって、ぽっと出の替え玉相手に主従ごっこをしてやる義理なんかないのである。

 駿河にいる間は、脅してなんとか黙らせたとしても、三河へ戻ってしまえば今川家のプレッシャーはもう届かない。
「こいつは、今川義元が連れてきたニセモノだぞ。そんなのに仕えていられるか!」
 と、1人も言い出さないのは謎すぎる。

f:id:calbalacrab:20200806190038j:plain図2 石川数正*2

 特にまずいのは、人質時代からの家来たちの中に、石川数正もいたことだ。数正は1585年、家康を裏切り、秀吉に乗り換えたことで知られている。数正が真相を暴露するなら、このときだって遅くはない。
「家康? あぁアレ、松平家とはなんの関係もない替え玉君だからw
 とアピールすれば、自分の裏切りを充分に正当化できたはずなのだ*3

 村岡素一郎氏の説にケチをつけたとき、「真相を知ってる人が多すぎる」のが弱点だと書いた(前回)。「人質時代すり替え説」だと、たしかに目撃者はかなり少なくてすむ。でも少数でも、決定的な証言をするはずの目撃者はやはりいたのである。「替え玉説」ではこの点を説明することが非常に難しい。

 

② 元康の「一時帰郷」をどうするか?

  松平元康は十代半ばごろ、先祖の墓参り(または「軍初め」=初陣*4)のために、いったん故郷(三河岡崎城)へ帰ったことがあるとされている。1556年(弘治2)だから、「人質時代すり替え説」でのすり替えの時期(1559~1560年)より、前のことだ。

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図3 松平八代墓*5

 これが事実なら、元康は当然この時点で、大勢の家来たちの前に姿を現しているはずだ。その後で、ニセモノとのすり替えなどできるわけがない。急遽用意した替え玉が、たまたま「双子レベルのそっくりさん」だったとか、そんな奇跡でも起こらない限り無理だろう。

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図4 映画「仮面の男」より*6
 ルイ14世には双子の兄弟がいたという設定。

 ただ、この一時帰郷の話は、『伊束*7法師物語』などに出てくるものらしい*8。この本は、いつごろ書かれたかも不明ということで、史料価値はかなり低そうだ。その意味では、ほんとに里帰りがあったかどうか、怪しいところがないでもない。

 

③ 家康は、「9歳で」売られたはずなのでは?

  「替え玉説」の主な根拠の1つは、家康が『駿府政事録』で、
「500貫で売られて、9歳から18、9歳まで駿河にいたんだよ~」
 と言っていることだ(第2回)。公式の伝記には出てこない話であり、
「家康には、何か隠された過去があるのではないか?」
 と、疑う理由にはなるだろう。

f:id:calbalacrab:20200806115957j:plain図5 『駿府政事録』*9

 でも前回の「替え玉説」だと、家康(ニセ元康)が今川義元に買いとられたのは、17歳(満年齢。数え年*10だと、18~19歳)のころ。9歳(満7歳くらい)で売られたという発言と矛盾してしまう。

 7歳で売られたというのがほんとなら、買い手は育ての親である源応尼だとしか思えない。でもその場合、500貫なんて高値で売れた理由の説明がつかなくなる*11

 

④ そもそも根拠が少なすぎる。

  「替え玉説」の根拠はだいたい、以下のようなものだ。

・家康の母方の祖母である源応尼の素性に謎が多い。
・源応尼は、家康の戦国デビュー(桶狭間の戦い)直前に死んだとされている。
・家康は、「昔駿河に500貫で売られた」と言っていたらしい。
・徳川家の系譜をつくるとき、松平親氏(流浪の身だったとされている)を始祖にした理由がはっきりしていない。
・築山殿と松平信康(嫁と長男)に対し、家康は妙に冷淡だ。

f:id:calbalacrab:20200730095609j:plain図6 源応尼*12

 どれも間接的な情況証拠という奴であり、家康が途中で別人になったことを直接裏づけるものではない。情況証拠でも、積み重なれば充分な証拠になることもあるが、これだけじゃどうにも不足だろう。なにしろ1人の人間が、途中から赤の他人に入れ替わるというのは、めったにないような異常事態である。そんな突拍子もないことがほんとに起こったのだと言い張るには、その「突拍子もなさ」に見合うだけの証拠が必要だ。


 そんなこんなでいまのところ、「替え玉説」は、やはり成り立たないと思ってよさそうだ。トンデモ系の仮説を唱える人はこういうとき、「でも、可能性がゼロとは言えないじゃないか」「まったくありえないとは言い切れないじゃないか」などと言い出すことが多い(ド素人に限らず、専門家にもよくあるパターンだ)。でもそれを言うなら、
徳川家康は、実は宇宙人だったんだよ!」
 とかいう説(?)だって、可能性はゼロじゃないのである*13

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図7 家康と……宇宙人(?)*14

 そもそも新説というものは、
「すでに知られてる説と同程度か、それ以上に可能性が高い」
 くらいでないと、発表する意味があまりない。
「従来説とくらべて確率的に、ず~っと劣る」
 と、はっきりわかるような仮説では、学問的にほとんど無価値なのだ。

 ということで、長々と語っておいてなんだけど、「徳川家康替え玉説」は、ときどき小説や漫画のネタになるくらいのポジションでちょうどいい。もちろん、
「家康は1度死にかけて、それを境に、何やら別人のようになった
 とか、そういう古文書が出てきたらまた、話は別だろう。それらしいのが家にある人は、焚きつけとかにする前に、新聞社やTV局に一報してほしい。