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釣手土器の話 19 - ヘビの頭が消えてゆく

 というわけで今回は、「釣手土器裏面にちょいちょい現れる、逆立った髪の毛みたいなもの」(図1)が、ヘビかどうかという話である。

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図1 左:曽利出土/右:御殿場出土*1

 むろん曽利例や御殿場例だけなら、肝心のヘビの頭がないので(図2参照)、正直いかんともしがたい。

f:id:calbalacrab:20170518012408j:plain図2 御殿場出土(横から)*2

 が、似たようなタイプの釣手土器の中には、うまい具合にヘビの頭(らしきもの)が残ってる例がないでもない。一番わかりやすいのは、中道遺跡(長野県長和町)出土の釣手土器(図3)だ。

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図3 中道出土*3

 ちなみにこの土器は、図3のような完全な形で見つかったものでは全然ない。わずかな破片から復元されたもので、復元部分に横線を入れると、図4のような感じになる。

f:id:calbalacrab:20170518111318j:plain図4 出土したのは白い部分だけ*4

 たったこれだけの破片をもとに、ここまで復元していいのかと、心もとなさが止まらない。ともあれ幸いと言うべきか、よく見れば、復元に必要な部分はだいたい残ってる。特に裏側は、(てっぺんの部分はちょっと怪しいが)およそこの通りの形だったと思っていいだろう。「目ばかりの顔の周りに、髪の毛的なもの」というデザインは、曽利例などと同じである。

 で、問題のヘビの頭はどこなのかと言えば、それはもちろんこの部分(図5↓)だ。

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図5 中道出土 - ヘビとその頭

 これが頭? と思われるかもしれないが、縄文時代にヘビの頭と言えば、だいたい似たような形である(図6)。

f:id:calbalacrab:20170518111618j:plain図6 蛇身装飾 - 茅野和田出土*5

 中道例の場合、鼻先がないのがなんとも不思議だが、北原遺跡(山梨県甲州市)の釣手土器にも、やはり鼻先が平らになった3匹のヘビがとりつけられている(図7)。

f:id:calbalacrab:20170509205901j:plain図7 北原出土*6

 自分でヘビヘビ言っておいてなんだが、図5や7を見ただけでは、これがほんとにヘビなのか、正直かなりおぼつかない。鼻先が平らなだけならまだいいが(よくはないが)、ヘビにしては、胴体が太くて短すぎる。が、札沢遺跡(長野県富士見町)の釣手土器(図8)を見ると、これはやはりヘビだということがわかる。

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図8 札沢出土*7

 北原例と同じく、「胴体が太く短くて、しっぽの跳ね上がった」ヘビたちが、釣手土器の上に乗っている。ツチノコのような姿ではあるが、これはさすがにヘビ以外の何かには見えない。札沢・北原・中道の順に並べると、「だんだん胴体の丸さが強調され、頭が省略されていった」プロセスがはっきりみてとれる(図9)。さらに頭の省略が進むと、曽利例や御殿場例(図1・2)のようになるのだろう。

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図9 頭が消えてゆくの図

 縄文人は一般に、土器や土偶のデザインをデフォルメするのがやけに早い。たとえばいわゆる「遮光器土偶」も、最初はもう少し人間らしい姿だったのに、だんだん目ばかり大きくなったり、鼻や口が省略されたりで、シュールな造りになっていった(で、宇宙人などと呼ばれる羽目になる。図10)。釣手土器裏側のヘビも同じなりゆきで、だんだんヘビらしくなくなってしまったのだろう。

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図10 遮光器土偶 - 左:高森岱出土/右:亀ヶ岡出土*8
※左の方が古いタイプで、こっちにはちゃんと鼻が(胸も)ある。

 図1で「ヘビ?」と書いた例のパーツは、やはりヘビとみてよさそうだ。とすれば、釣手土器裏側の「目ばかりの顔」には、たいてい数匹のヘビたちがまとわりついていたことになる。これはやはり、「八雷神」(=ヘビ)をまとわりつかせたイザナミ神(死の女神としてのそれ)に近い。

*1:左:『井戸尻 第8集』富士見町井戸尻考古館 2006年より。/右:http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/158078

*2:http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/158078

*3:長門教育委員会長門町中道』1984年より。

*4:この横線は川谷が引いた。多分間違ってないと思う。

*5:『茅野和田遺跡』茅野市教育委員会 1970年より。

*6:http://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/topics/201-300/images/kenshi_turite_inoshishi001.jpg

*7:『長野県立歴史館研究紀要』5号 1999年より。

*8:左:http://livedoor.blogimg.jp/nara_suimeishi/imgs/2/c/2c0ed28b.jpg/右:http://www.tnm.jp/uploads/r_collection/LL_64.jpg