スサノヲとナマハゲ 11 - 蘇民将来の話
「『スサノヲ=植物仮装来訪神』説に有利な神話を挙げていこう」シリーズもこれで5回目だ。最後にとり上げるのは、「蘇民将来」の神話である。これだけは、『古事記』『日本書紀』や『出雲国風土記』じゃなくて、『備後国風土記』の逸文に出てくる。
ちなみに「逸文」とは、「現物が残ってない本の引用文」である。『備後国風土記』自体の写本は(もちろん原本も)、いまのところ発見されてない*1。でも部分的にはほかの本に引用されてるから、そこだけかろうじて内容がわかる。その引用文が「逸文」だ。
奈良時代に編まれた古風土記は、全部で60冊くらいはあっただろう*2。でもいまじゃ、ほぼ完全なのは『出雲国風土記』だけ、だいたい残ってるのが常陸・播磨・肥前・豊後の4ヵ国分。あとはみな、歴史の闇に消えてしまっている。
というわけで以下の物語も、『釈日本紀』(鎌倉時代の本)に引用されたものだ。
疫隈(えのくま)という神社に伝わる話である。
昔北の海に、「武塔」という名の神がいた。南海の神の娘に求婚しに行ったが、途中で日が暮れた。
そこには兄弟がいて、兄は金持ちだが、弟の蘇民将来は貧しかった。武塔の神は兄の方に「泊めてくれ」と言ったが、兄はケチだから、泊めなかった。弟はこの神を泊めてやり、粟柄のござに座らせ、粟飯を出してもてなした。
その数年後のことである。武塔神は8人の子供とともに再訪し(プロポーズは成功したらしい)、蘇民将来に言った。
「こないだの礼がしたいんだけど、おまえ、子供とかいるの?」
妻と娘がいると言うと、「茅の輪(チガヤでつくった輪)を腰に巻かせとけ」とのことだ。
その晩、茅の輪を着けてない者を全滅させて、神は言った。
「俺は速須佐雄(はやすさのを)の神だ。疫病が発生したとき、『蘇民将来の子孫』を名乗り、茅の輪を腰に着ければなんともない*3。」
殺すのを免除されただけで、恩返しになってない気もするが、そういう話だから仕方ない。
ちなみに、いまでも祇園系の神社や寺(八坂神社など)では、「蘇民将来子孫也」云々と書かれた護符が売られている(図1)。勝手に子孫を名乗っていいのか? という気もするが、よく考えてみたらそうでもない。蘇民将来の家族以外はこのとき全滅したのだから、いま生きている人間はみな、蘇民将来の子孫なのだ。
さて。蘇民将来の話はほぼあからさまに、「人里を訪ねて福を授ける神」――来訪神の神話である。その神(武塔神)が自分で「スサノヲ」と名乗っているのだから、やはりスサノヲには来訪神的な性格があるということだ。
またこの神話では、「粟柄」のござに座らせ、「粟飯」でもてなしたと、アワが妙にフィーチャーされている。これは多分、スサノヲが穀物神(特にアワの神)だからだろう。
スサノヲに限らず、日本の古い穀物神には、アワと縁のある人が多い。たとえばスクナヒコナという神は、『日本書紀』によれば、
「淡嶋(あはのしま)でアワの茎にのぼり、弾かれて常世の国(あの世)へ渡った」
と言われている。「アワの嶋」という地名もこの神と、アワとの結びつきを示しているのだろう。
また、死体から穀物(など)を生み出した女神――オホゲツヒメ(前回参照)もアワと関係が深い。『古事記』によれば阿波国(いまの徳島県)は、別名を「大宜都比売(おほげつひめ)」という。「アワの国」=オホゲツヒメなのはこの神が、特にアワの神だからだろう。
この物語のスサノヲは、来訪神であるとともに、穀物神(植物神)としての顔も見せている。なんかもうこうなると、「スサノヲ=植物仮装来訪神」説に有利かどうかとか、そのレベルを超えている気がする。
図2 茅の輪くぐり*5
*1:「うちの土蔵にあるよ?」という人がいたら、博物館とかに売ってほしい。多分高値で買ってくれる。
*2:当時の日本には、64ヵ国と2島があったらしい。全国的に抜かりなく提出したとして66冊だ。
*3:神社の夏祭(夏越の祓=なごしのはらえ)で、「茅の輪くぐり」という厄払いの儀式(図2)に参加した人は、いまでも結構いるのではないか? あれもこの神話がもとになっている。
*4:http://www.geocities.jp/hgenko/images/somin-501.jpg
*5:http://www.kyoto-np.co.jp/picture/2017/08/20170801102238chinowa_450.jpg