釣手土器の話 3 - 縄文土器とイザナミ神話
縄文時代の中期だから、いまからだいたい5000~4000年くらい前のことだ。関東・中部地方、特に長野県で、「釣手土器」というちょっと変わった土器がつくられた。
ランプとして使われていたようだが、実用品ではなく、お祭の道具とみられている。全体豪勢な土器であり、中でも顔面把手のついた大型のものはゴージャスだ(図1・2。それぞれ長野県伊那市御殿場遺跡と、同県富士見町曽利遺跡出土)。
図1 御殿場出土*1
図2 曽利出土(首から上は推定復元)*2
なおキャプションにも書いてあるが、曽利遺跡から出た釣手土器の方は、首から上が失われていた。いかにも縄文人が造りそうな顔面把手がついているが、これは想像による復元だ。御殿場遺跡のものとの比較から、顔面把手があったことは間違いあるまいが、どんな顔だったかはわからない。この土器を見るときは、よくよく注意していただきたい。
この手の「顔面把手付釣手土器」について、考古学者の田中基氏は、面白い仮説を唱えている*3。この土器は、「火を産み出す女神」を表しているというのである。
『古事記』『日本書紀』には、「イザナミ」という女神が登場する。イザナミは日本列島を産み出した神だが、最後に火の神(カグツチ)を産んだため、焼死したと言われている*4。その後は死後の世界を支配し、1日1000人をとり殺す死の女神に変貌したそうだ。
これと同じような神話が、縄文時代の日本にもあったのではないか? 釣手土器はその女神を表したものだと、田中基氏は推定する。たしかにこの土器に火をともせば、火を出産する女性のように見えるだろう。
さらに田中氏によれば、土器の裏側*5は、死んだ女神の姿である。死んで怪物になった女神の顔であり、逆立った髪のようなものは、ヘビを表しているという。髪の毛がヘビになっていたギリシア神話の怪物にちなみ、田中氏はこうした釣手土器を、「メデューサ型ランプ」と命名した*6。
なお、やはり考古学者の小林公明氏や、神話学の吉田敦彦氏も、ほぼ同様の仮説を唱えている*7。
めっぽう面白く、また画期的な説でもあるのだが、疑えばいろいろ疑える(もともと仮説とはそういうものだけど)。
この正面のデザインは、ほんとに出産の様子を表したものか? 単にランプの飾りとして、顔面把手をつけてみただけかもしれないだろ。
裏側も、これがなぜ顔だと言えるのか? 鼻も口もないのだから、2つの窓が目を表してると、言い切れる根拠はないはずだ。
髪の毛(のように見えるもの)にしても、ヘビの頭は見当たらない。頭がなければただの紐であり、ヘビだかなんだか知れたものじゃない。……
これらの論点について、「見える」「見えない」の水掛け論でなく、そこそこ客観性のある答を出すことはできないか? だいたいこういう流れから、釣手土器の文様の意味を解いてみようという話になるわけだ。
*1:http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/158078
*2:『井戸尻 第8集』富士見町井戸尻考古館 2006年より。
*3:このブログは読みやすさを優先するため、原則として個人に対し、尊敬語の類を使わない。
*4:火が女性の胎内から生まれたという神話は、メラネシアや南アメリカ大陸にもある。吉田敦彦『縄文宗教の謎』大和書房 1993年 116~121ページ。
*5:一応窓が1つしかない方を「表」、2つ以上あれば「裏」とする。
*6:田中基「メデューサ型ランプと世界変換」(『山麓考古』15号 1982年)。田中氏には、『縄文のメドゥーサ 』(現代書館 2006年)という著作もある。
*7:小林公明「新石器時代中期の民俗と文化」( 富士見町教育委員会『富士見町史 上』1991年)と、吉田敦彦『縄文の神話』青土社 1987年。