神話とか、古代史とか。

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新版・世界の七不思議 15 - ちょっと小さいモアイたち

 前回は「モアイ・基礎知識編」的なもので、実はここからが本番だ。前の記事も結構長かったが、何しろモアイは謎が深いので、語りたいことはまだまだある。主なテーマは、「① モアイは最初からでかかったのか?」「② そもそもモアイは、なぜ巨大化した?」「③ 戦争はあったの、なかったの?」の3つで行く予定だ。ほかに、「④ 南米古代文化との関係は?」とかも、書けたら書こうという気でいる。今回はその①、モアイ成長期の話をしてみよう。

f:id:calbalacrab:20190318213419j:plain図1 マルケサスのティキ*1

f:id:calbalacrab:20190319115941j:plain図2 トゥクトゥリ*2

 前回
「モアイのルーツは、南太平洋によくある『ティキ』という祖先像(図1)だろう」
 という説を紹介した。ただしモアイの細長い顔は、よその島々のティキたちにあまり似ていない。その中で、「トゥクトゥリ」(図2)というちょっと変わったモアイだけは、造形的にティキに近いから、古いタイプだろうと思われてた。でもこれは、実は最新型のモアイだったらしいと、これも前回書いた通りである。

f:id:calbalacrab:20190319114958j:plain図3 四角い顔のモアイ*3
 島の北東岸、アナケナ湾に面したアフ=アトゥレ=フキ Ahu Ature Hukiにある。

 前回紹介した中では、図3のような四角い顔のモアイが、比較的古いタイプらしい*4。でもこのモアイも、高さ6メートルくらいはあって、大きさはティキとはまるで違う。ティキは一番でかいのでも、2.67メートルくらいなのだ(図4)。

f:id:calbalacrab:20190612114626j:plain図4 最大のティキ*5
 ヒバ=オア島(マルケサス諸島)のティキで、「タカイイ Takaii」と呼ばれる。

 もちろん、ティキの文化が初めてイースター島(ラパヌイ)へ伝わり、モアイが造られ出したころは、こんなにでかくはなかったと思う。タヒチやマルケサスのティキみたいな小さいのから始まって、だんだんと巨大化したんだろう。でもその割に、でかくなる前の段階のモアイ――「成長途中のモアイ」はあんまり見たことない。多分TVや写真集の撮影スタッフは、見栄えのいい巨大モアイを撮るのに夢中で、小さいのにまで目を向ける暇はないのだろう。ともあれ、全然映像がないわけじゃないから、見つけたのをいくつか紹介しておこう。

f:id:calbalacrab:20190612115108j:plain図5 ポイケ半島のモアイ*6

 まずイースター島の東端、ポイケ半島には、やけに可愛らしい(サイズ的に)モアイがいくつかあるらしい(図5)。右のは約70センチしかないそうで、左のも同じくらいだろう。大きさからするといかにも古そうだが、問題は風化が激しくて、顔がはっきりしないことだ。これじゃデザインを比較して、普通のモアイ像とどっちが古いのか、たしかめることは難しい。
「そんなもの、年代測定でわかるんじゃないの?」
 と思われそうだけど、いまのとこ、石像自体の年代を科学的に(正確に言うと、「自然科学的な手法で」)割り出す方法はない。有名な「放射性炭素年代測定法」とかは、有機物にしか使えないのである。てなわけで、このミニモアイたちが本当に古いタイプかどうか、厳密にはちょっとわからない。

f:id:calbalacrab:20190612115848j:plain図6 ラノ=ララクのモアイ*7

 デザイン的にたしかに古そうなのは、ラノ=ララク火山にあるという図6の小さなモアイ(?)である。『イースター島の謎』(日本テレビ放送網)という本に写真が載ってただけで、くわしいことはさっぱりわからない。でもその小ささ(正確なサイズは載ってない)と目のデザインから、巨大化が始まる前の古いモアイとみて間違いないと思う。
 モアイは普通、目が「穴」として表現されていて、この点もティキ(図1や4)との違いである。図6のモアイは目が「凸型」で、他の島々のティキに近い。これがおそらく、最初期のモアイの1つだろう(サンティアゴのチリ国立自然史博物館にも、これに近いタイプのモアイがいくつかある。図7)。

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図7 その他のミニモアイ*8

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図8 モアイ=アロ=コレウ*9

f:id:calbalacrab:20190318221537j:plain図9 完成期のモアイ*10

 図6・7ほどではないが、図8のモアイもかなり古そうだ。イースター島の北岸にあって、「モアイ=アロ=コレウ Moai Aro Koreu」と呼ばれている。170センチくらいはあるそうで*11、これがもし人間ならそんなに小さくない(そりゃそうだ)。でもモアイとしては、これでも極端に小柄な方である。
 目はすでに「凹型」になってるが、全体的な造形の雑さ(よく言えば「素朴さ」)を見ると、これも間違いなく古かろう。特に顔や手のデザインは、たとえば図9のような巨大モアイたちにくらべたら、まだまだ洗練されてないと言うか、未完成な感じがある。

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図10 トンガリキのモアイたち*12

 ネットで画像を見ただけだが、図10の壊れたモアイたちも、いかにも古そうなデザインだ。特に前列右側の2つは、横幅の広い顔とか、腹を抱えた手の表現(その稚拙さ)からみて、間違いなく初期のモアイだろう。
 ちなみにこれ、島の南東岸に「トンガリキ」という場所があって、そこのアフ(モアイが乗っている台座。図11参照)が壊れたとき、その中から出てきたものだそうだ。つまりどうやらイースター島ではアフを造るとき、古いモアイを石材として再利用していたらしい。初期のモアイをあまり見かけないのは、単に「誰も写真を撮らないから」というだけじゃなく、再利用されてしまったせいなのかもしれない。

f:id:calbalacrab:20190318193357j:plain図11 「アフ」上のモアイ*13

 にしてもモアイと言えば、大切な祖先の像だろう。それをアフの石材にしたりして、罰が当たるんじゃないかとか、少しは心配しないもんだろうか?

 この件でヒントになりそうなのは、後藤明氏の『ハワイ・南太平洋の神話』(中央公論社)で紹介されていたイースター島の伝説だ。それによれば、イースター島にはその昔、よその村のモアイを盗んでくる風習があったらしい*14
 標準的なサイズのモアイ(12.5トンもある*15)を盗めと言っても無理だろうし、これは多分、小さい方のモアイの話だろう。石材として使われたのももしかしたら、よそから盗ってきたモアイだったのではないか? それなら待遇が雑なのも、ある程度納得いく気がする。

f:id:calbalacrab:20190613211335j:plain図12 道祖神*16

f:id:calbalacrab:20190613211519j:plain図13 タノカンサァ*17

 ちなみに日本でも、たとえば長野県には、道祖神(図12。民俗神の一種)の石像を盗んできて祀る風習があった*18。南九州にも、「タノカンサァ」(田の神様。図13)の石像を盗む風習があり、「タノカンサァオットイ」(「おっとる」=盗む)とか呼ばれていたらしい*19
 日本(その各地)とイースター島に共通する「神の石像を盗みだす」という行動には、どのような意味があったのか? その意味もやっぱり同じなのか、それとも場所により違うのか? いまのとこわからないけど、ぜひ知りたい。

*1:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/81/Tiki_Marquesas_Louvre_MH_87-50-1.jpg

*2:左: https://travelshopgirl.com/wp-content/uploads/2018/02/image_2018-02-11-231041-0000_1-633x1024.jpg/右: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Moai_Easter_Island_geod0095.jpg

*3:https://niesprzedawajcieswychmarzen.files.wordpress.com/2010/12/12-ahu-ature-huki-pierwsze-moai-na-wyspie-podnisione-przez-thora-heyerdahla-w-1958-roku.jpg

*4:野村哲也イースター島を行く』中央公論新社 2015年 12ページ。

*5:http://www.greenpanther.org/images/Hivaoa_2.JPG

*6:左: https://imaginaisladepascua.com/wp-content/uploads/2017/09/Pequeño-moai-en-Maunga-Parehe-Poike-Isla-de-Pascua.jpg/右: http://www.eisp.org/wp/wp-content/uploads/a06_ei89_2376.jpg 

*7:小松左京監修『イースター島の謎』日本テレビ放送網株式会社 1979年 60ページ。

*8:小松左京監修『イースター島の謎』日本テレビ放送網株式会社 1979年 140ページ。

*9:https://www.easterisland.travel/images/media/images/archaeology/basaltic-moai-north-coast.jpg

*10:https://www.bibliotecapleyades.net/arqueologia/eastern_island/images/moai2.jpg

*11:野村哲也イースター島を行く』中央公論新社 2015年 157~158ページ。

*12:https://ancientdan.files.wordpress.com/2018/07/2-83-2018-03-10-15-05-40.jpg?w=1920

*13:https://steinkatze.files.wordpress.com/2010/08/p1110930.jpg

*14:後藤明『ハワイ・南太平洋の神話』中央公論社 1997年 77ページ。

*15:Moai - Wikipedia

*16:https://www.rakuten.ne.jp/gold/good-toy/img/meoto.jpg

*17:https://scontent-lga3-1.cdninstagram.com/vp/c6eef9d3e6db3ae13283971e445b5c9d/5D8F790E/t51.2885-15/e35/52034001_606313569795153_496966509177891620_n.jpg?_nc_ht=scontent-lga3-1.cdninstagram.com

*18:伊藤堅吉ほか『道祖神のふるさと』大和書房 1972年 58~67ページ。

*19:参考: 早野慎吾「宮崎県諸県域における田の神信仰」『宮崎大学教育文化学部紀要. 人文科学』26号 2012年 36ページ。