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新版・世界の七不思議 18 - 南アメリカと「ティキ」の像

 イースター島(ラパヌイ)のモアイ像は、南太平洋(ポリネシア)に広く分布する「ティキ」という祖先像(図1)の一種だろう、という話は第14回で書いた。このティキ、またはモアイについて、「南アメリカの古代文化にルーツがあるのでは?」という説が結構、昔からある。今回はこの説を検討してみたい。

f:id:calbalacrab:20190318213419j:plain図1 マルケサスのティキ*1

 ティキ(モアイ)の南米起源説を唱えたのは、ノルウェーの人類学者で探検家のトール=ヘイエルダール*2(図2。1914~2002年)だ。ヘイエルダールポリネシア人そのもののルーツについても、「(少なくとも一部は)アジアじゃなくて、南米から来た」と説いていたらしい。でもこれは、いまでは遺伝子調査とかで、否定的な見方が有力だ*3

f:id:calbalacrab:20190319120709j:plain図2 ヘイエルダール*4

 ともあれ、南米原産のサツマイモが、ポリネシアで昔から栽培されてきたことは間違いない。島によっては、サツマイモは「クマラ kumala」と呼ばれてて、南米・ケチュア語の「クマル k'umar」(=サツマイモ)によく似ている。こうした事実から、
「少なくとも、ポリネシア人と南米人との間に、なんらかの接触はあったんじゃないの?(移住や植民までは行かなくても)」
 というとこまでは、広く認められているらしい*5

f:id:calbalacrab:20190915165046j:plain図3 サツマイモ*6

 でもここで問題にしたいのはサツマイモじゃなくて、
「ティキ像のルーツが南米にあったかどうか(その可能性がどれくらいあるか)」
 ということだ。ポリネシア人はサツマイモとともに、石像文化も南米から輸入しただろうか?

 ちなみにこの「ティキ南米起源説」は、ヘイエルダールの『コン・ティキ号探検記』*7という本の中に出てくる。ヘイエルダールの説は正確に言うと、
「南米先住民の一部がポリネシアへ移住し、このときティキ文化も伝わった」
 というものだった。彼がこの説を唱えたとき、
南アメリカには、太平洋を渡れる船も航海技術もないから、無理じゃね?」
 と、専門家に反対されたらしい。するとヘイエルダールは、当時のイカダでも太平洋を渡れることを証明するために、実際に航海してみせたんだから、見上げた根性だ。

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図4 コン=ティキ号
*8

 「コン=ティキ号」と名づけられたそのイカダ(図4)は、1947年4月28日にペルーのカヤオ港を出て、8月7日に太平洋のほぼど真ん中、トゥアモトゥ諸島へたどり着いた*9。その記録が『コン・ティキ号探検記』で、昔は子供向け読み物の定番だったんだが、いまも読まれているだろうか?

 でもこの航海で、みんなヘイエルダール説に納得したかと言えば、そうでもないらしい。例のサツマイモにしても、南米人がポリネシアに伝えたわけじゃなく、逆にポリネシア人が南米から持ち帰ったと考えられている*10。たしかに南米より、ポリネシアの航海術の方が優れていたわけで、そっちの可能性が高そうだ。そもそもコン=ティキ号は、自力でフンボルト海流*11を越えることができず、沖合80キロほどのところまで、ペルー海軍の船で引っぱってもらっている*12。少なくとも、南米から直接船出した場合、ポリネシアへ行くのは相当難しいことが、逆に証明されたとみることもできる。

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図5 ウィラコチャ神*13
 左は「ポンセ Ponce」、右は「フライレ Fraile」という愛称で呼ばれる。

 それはともかく、ティキ像のルーツとしてヘイエルダールが目をつけたのは、主にティワナク遺跡(ボリビア第3回参照)のウィラコチャ像(図5)だった。腹に手を当ててるところは、たしかにティキ像に似てなくもない。それに何より、このウィラコチャという神は、別名「コン=ティキ=ウィラコチャ」、「アプ=コン=ティキ=ウィラ=コチャ」などとも呼ばれていた*14(コン=ティキ号の名もこれにちなむ)。「ティキ」という言葉が入っているあたり、名前も太平洋のティキ像に一致してるとみていいだろう。

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図6 左:トゥクトゥリ/右:ポコティアの座像*15
 写真じゃわかりにくいが、トゥクトゥリも、両手を膝に乗せているらしい*16

 なお、ヘイエルダールは、「トゥクトゥリ」(図6左)という変わったモアイ像を発見したことでも知られている。トゥクトゥリは正座しているが、これと同じ姿勢の石像(図6右)も、ティワナクの南2キロほどにある「ポコティア Pokotia」という遺跡*17で見つかった。

 こうしてみると、そこそこ有力に思える「ティキ南米起源説」だが、学界じゃさっぱり認められてない。昔観たTVの特番でも、ティキやモアイとウィラコチャ(コン=ティキ)の像が比較され、「全然似てない」と評価されていた。そのとき使われた「3次元計測」による図解が、図7だ。 

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図7 モアイ・ティキ・ウィラコチャ像の3次元計測*18
 左から、モアイ像・オーストラル諸島のティキ像・ティワナク遺跡のウィラコチャ像。

 簡単に言えば、
「太平洋のモアイやティキが曲面で構成されるのに対し、南米の石像は直線的で、四角柱に近い。基本的な造形がまったく違う」
 という趣旨だった。一見もっともらしいが、「ティキ南米起源説」を否定する根拠としては正直、薄弱だと思う。「曲線的か、直線的か」というのは要するに、彫刻技術の伝統とか、造形センスの違いが出やすい部分だろう。特に宗教的な偶像のルーツを考える場合、大事なのは「どう造ったか」(技術やセンス)じゃなくて、「何を表そうとしたか」(モチーフ)の方だ。これはたとえば、イースター島カトリック教会にある「聖母子像」(図8)を見るとわかりやすい。 

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図8 イースター島の聖母子像*19

 間違いなくキリスト教の偶像なんだけど、多分現地の彫刻家が造ったせいだろう。顔はほとんどモアイ像だし、その頭上にはごていねいに、キリスト教とはまったく関係ない「鳥人」(図9)の像*20まで乗っている(イースター島鳥人信仰については、第16回参照)。作風だけなら限りなく、「モアイ=カバカバ」(図10)に代表されるイースター島の伝統彫刻に近い。

f:id:calbalacrab:20190917001459j:plain図9 鳥人*21

f:id:calbalacrab:20190917002435j:plain図10 モアイ=カバカバ*22

 このように、聖母マリアであれ何であれ、イースター島民の手にかかれば、イースター島風になるのはあたりまえだ。ウィラコチャ(コン=ティキ)の像をポリネシア人が造るときも、やっぱり全体の造形は、ポリネシア風になるだろう。問題は、「ウィラコチャを表そうとした」形跡がどれくらいあるかということで、それにくらべたら、作風の違いとかは割とどうでもいい。そう考えると、わざわざ3次元計測で像の輪郭だけとり出しても、大して役立つとは思えない。

 ここまでなんとなく、「ティキ南米起源説」に肩入れした感じで書いてきた。じゃ、この仮説に賛成なのかと言えば、正直なところそうでもない。実はティキ像とウィラコチャ像には、なんの関係もなかろうと思っているのだが、その根拠は次回、書くことにしよう。

*1:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/81/Tiki_Marquesas_Louvre_MH_87-50-1.jpg

*2:昔は、「ハイエルダール」と書いてある本も多かったと思う。

*3:トール・ヘイエルダール - Wikipedia

*4:https://vadebarcos.files.wordpress.com/2014/10/thor-heyerdahl.jpg

*5:Pre-Columbian trans-oceanic contact theories - Wikipedia

*6:http://blog.lesgachesexplorentlemonde.fr/wp-content/uploads/2017/09/Kumara-Red-Gold-57648.jpg

*7:『コンチキ号漂流記』とか、いろんな邦題がある。

*8:https://cdn.britannica.com/33/179033-050-9AB32FC2/Kon-Tiki-Pacific-Ocean-1947.jpg

*9:コンティキ号 - Wikipedia

*10:トール・ヘイエルダール - Wikipedia

*11:南アメリカ大陸西岸を、南から北へ流れている。

*12:コンティキ号 - Wikipedia

*13:左:https://4.bp.blogspot.com/_srTesFNulqc/TSUavtiqGVI/AAAAAAAAAOQ/EKBHMoYIjpQ/s1600/DSC_0302.JPG/右:http://wandermuch.com/wp-content/uploads/2014/09/tiwanaku_statue3.jpg

*14:ビラコチャ - Wikipedia

*15:左:https://travelshopgirl.com/wp-content/uploads/2018/02/image_2018-02-11-231041-0000_1-633x1024.jpg/右:http://www.photo-andes.com/Fichiers_communs/Photos/Photos/1/Popups/20081123120257.jpg

*16:木村重信ほか『南太平洋・南米の石造美術』大阪大学南太平洋学術調査・学術交流専門委員会 1989年 77ページ。

*17:ポコティア遺跡については、佐藤吉文「先スペイン期ティワナク社会におけるヘビのシンボリズムとイデオロギー」(『共生の文化研究』7号 2012年)、144ページ参照。ここで読める。ティワナクから6キロとか、11キロとか書いてるサイトもあって、遺跡の場所はどうもはっきりしない。よほどマイナーな遺跡なんだろうか?

*18:木村重信ほか『南太平洋・南米の石造美術』大阪大学南太平洋学術調査・学術交流専門委員会 1989年 121ページ。

*19:左:http://4.bp.blogspot.com/-xluV8XlATCA/UheEQGnrF0I/AAAAAAAAA-I/G-pOsrf_BgI/s1600/DSC01198.JPG/右:https://islasdelpacifico.files.wordpress.com/2010/12/maria_de_rapa_nui.jpg

*20:鳥人と言うより鳥そのものだが、これも鳥人と呼ばれている。

*21:http://www.bradshawfoundation.com/easter/birdman/b2b.jpg

*22:http://www.karsten-rau.de/grafik/rapanui/moai_kavakava1.jpg