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釣手土器の話 32 - 火山噴火と釣手土器

 多分釣手土器は、
「火を出産して死に、死後の世界の支配者になる」
 というタイプの女神を表している。第3回以来、これはもう何度も書いてきた。のちのイザナミに連なる神なので、仮に「プロト=イザナミ」と呼んでおこう。

 ところで釣手土器は、縄文時代中期(だいたい5千~4千年前)、中部・関東地方の遺物であり、特に長野県でよく見つかる。プロト=イザナミは長野あたりで生まれ、のちに全国区に成り上がった神なのだろうか?

 これはしかしあんまり、ありそうもない。なぜかと言えば、「胎内から火を産み出す女神」の神話が日本周辺では、南太平洋の島々(メラネシアポリネシア)に多いからだ。つまりこのタイプの神話は、どちらかと言うと南方から、日本列島へ伝わったらしい*1。このとき、西日本を完全にスルーして、長野へ入ったりはしないだろう。西日本でもプロト=イザナミは、古くから信仰されていたはずである。

 でもそれにしては、この女神が土器としてヴィジュアル的に表現されたのは、長野やその周辺の地域だけだ。なぜこの時代、このあたりでだけ、人々はプロト=イザナミに、釣手土器という形を与えたのか?

 これはもちろん1つには、中期縄文文化の中心地(その1つ)が、長野県だったからだろう。土器製作に優れた技術をもつからこそ、釣手土器のようなゴージャスな女神像を産み出すことができた。

 さらにもう1つ、「火山の噴火」もきっかけになったんじゃないかと思っている。火を産み出す女神――イザナミを火山の神とする見方は、割と定説に近い*2。実際、「母なる大地の女神」と言えば、普通はただの平地ではなく、山としてイメージされるものだ。それが「火の神を産む」とくれば、火山を連想しないわけにもいかない。

 じゃ、釣手土器の時代、関東や中部で火山が噴火したことがあったのか? という話だが、これが実際にあるのである。特に富士山は、縄文時代中期、かなり荒ぶっていたらしい。たとえば、荒牧重雄ほか『日本一の火山 富士山』(山梨県環境科学研究所 2008年)*3によればこうだ。

 この時期(川谷注:5600~3500年前)、富士山では山頂火口のほか北西~南東斜面や南西斜面で、側火山が次々と誕生しました。噴火の規模は中規模が多く、溶岩や降下テフラを噴出させました。また、火砕流や火砕サージも発生し、噴出物が南東~南西斜面などに堆積しました。
(中略)
 富士山は、この中期溶岩の流出によって山体を大きく成長させ、ほぼ現在の規模となりました。
(52ページ)

 ちなみに降下テフラとは、
「火山噴火で空中に放出された砕屑物(さいせつぶつ)が、降り積もってできる堆積物」。
 火砕サージは、
「噴火によって放出された火山灰が、空気と混ざり合って急速に流れる現象」
 だそうだ*4

 8000年前からの2400年間は、割とおとなしかった富士山だが、5600年前になると、活動期に入っていたのである。5600~3500年前と言えば、縄文時代中期がまるごと含まれる。中部地方縄文人たちは、火を噴く富士山を目撃していたにちがいない。その恐ろしい姿が釣手土器のモチーフになったのではないか?

 ちなみに中部地方では浅間山も、縄文中期に噴火したらしい*5。でもこれは「加曾利E式期」だから、中期後半に入っている(関東の加曾利E式は、中部の曽利式とほぼ同時代)。釣手土器はすでにつくられ始めてるし、浅間山の噴火が釣手土器を産み出したということはなさそうだ。やはり直接のきっかけは富士の噴火だろう。

 イザナミが火山の女神なら、その信仰が一番盛り上がりそうなのは、もちろん火山が噴火したときだ。縄文中期の中部地方は、この条件にうまく当てはまる*6

 プロト=イザナミを表す土器が中部や関東でつくられ続けたのも、理由のないことではないのだろう。こうなると、特に井荻三丁目遺跡の釣手土器(図1)などは、噴火する火山そのものに見えてくる。

f:id:calbalacrab:20170913114333j:plain図1 井荻三丁目出土*7

 この真ん中の窓は性器であるとともに(第23回参照)、噴火する火口をも表しているのかもしれない。日本の古語で、女性器のことを「ホト」という。噴火口もやはり「ホト」であり、語源も同じだと言われている*8

 最後にちょっとついでながら、「裏が双面の釣手土器」(第14回前回参照)についても触れておこう。先ほどの『日本一の火山 富士山』によれば、縄文中期の富士は山頂の火口だけでなく、側火山からも噴火したらしい。3面釣手土器はもしかして、これと関係あるのではないか?

 富士山を神(女神)と崇める人々にとって、ふだんの富士山は、当然1柱の女神だろう。でもこれが噴火を始めると、複数の火口(ホト)が現れる。縄文人にしてみれば、1人だったはずの女神が、いきなり増殖したように思えたのではなかろうか? 「女神は死ぬと、2人(複数)になる」という観念は、案外こんな現象から着想されたのかもしれない。

*1:大林太良「日本神話の比較民族学的考察」(『日本神話』有精堂出版 1970年所収)24~25ページ参照。

*2:たとえば、深沢佳那子「記紀神話における性器の描写」188ページ(2枚目)。

*3:ここからダウンロードできる。

*4:https://gbank.gsj.jp/geowords/glossary/ka.html#top

*5:矢口裕之「関東平野北西部、前橋堆積盆地の上部更新統から完新統に関わる諸問題」25ページ(5枚目)。能登健「考古遺跡にみる上州の火山災害」(新井房夫編『火山灰考古学』古今書院 1993年所収)60~61ページも参照した。

*6:イザナミ神話と火山噴火、そして釣手土器の結びつきについては、星野之宣の漫画でもとり上げられている。『宗像教授異考録(12)』小学館 2009年、「生と死の女神」。

*7:江坂輝彌ほか編『古代史発掘(3)土偶芸術と信仰』講談社 1974年より。

*8:深沢佳那子「記紀神話における性器の描写」188ページ(2枚目)。