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新版・世界の七不思議 4 - モヘンジョ=ダロとか、カッパドキアとか

 「世界の七不思議」候補のうち、ここからは「クラスB」を紹介していこう。ちなみにクラスBと言っても、
「クラスA(第2回3回参照)よりもしかして、異論が出やすいか?」
 くらいの話で、遺跡としての質が劣るとかそういうアレではない。

 クラスBの顔ぶれは以下の通り。

マルタ島の巨石神殿マルタ共和国
モヘンジョ=ダロパキスタン
カッパドキアの地下都市(トルコ)
ナン=マドールミクロネシア連邦
ギョベクリ=テペ(トルコ)
⑥ エル=ミラドールグアテマラ
カルナック列石(フランス)
ネムルト=ダウ(トルコ)

 今回は③、カッパドキアの地下都市までを紹介する。

マルタ島の巨石神殿マルタ共和国) 

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謎度: ☆☆☆☆☆
びっくり度: ☆☆☆☆☆
古さ: ☆☆☆☆☆
知名度: ☆☆☆

 マルタ島は、地中海のほぼど真ん中にある。これを中心とする島国がマルタ共和国で、総面積は316km2*1シンガポール(719km2)の半分もないが、普通に独立した国家である。
 マルタの巨石神殿と言えば、ハジャール=イム(ハガル=キムとも。図1)など4つの神殿群だが、「ハル=サフリエニの地下墳墓」という遺跡もある。本来は神殿だったようだし、これも含むということにしよう。

f:id:calbalacrab:20180921020348j:plain図1 ハジャール=イム神殿*2

 4つの中ではジュガンティーヤ神殿が古く、紀元前3600年ごろできたらしい*3。前3600年と言ったら、メソポタミア文明がようやく生まれたころか、下手したらそれより古かろう。そんな大昔からなぜかマルタでは、みんなして巨石を運んでは、神殿など建ててたことになる。
 ちなみに、ヨーロッパには巨石記念物がいくらでもあるが(第2回ストーンヘンジとか)、マルタ島みたいな神殿建築になってるものはない。どうもこのやり方は、マルタで独自に発達したらしい。5600年くらい前、この島で何かよほどのことがあったにちがいない。ちがいないとは思うが、ほんとのとこ何があったのか、何もわからないからもどかしい。

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図2 マルタ島の女神像*4

 マルタの神殿からは図2のような、ぱんぱんにふくれた女神像(多分)も出土する。体形からみて、豊穣の女神といったところだろう。何はともあれ、この手の女神が信仰されていたことは間違いなさそうだ。

f:id:calbalacrab:20180920200607j:plain図3 ハル=サフリエニ*5

 ところで例の地下墳墓とは、こんな感じ(図3)の遺跡である。紀元前4000年ごろできたというから*6、これまた恐ろしく古い。もちろん金属器はないわけで*7、岩盤をこんな美しく掘り抜くのは至難だったろう。
 なお図3の部屋は、「至聖所」(英語でHoly of Holies、ラテン語でSancta Sanctorum)と呼ばれているそうだ。昔読んだ本では「聖にして聖なる部屋」と、やけにかっこよく訳されてた。

モヘンジョ=ダロパキスタン

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謎度: ☆☆☆☆☆
びっくり度: ☆☆☆
古さ: ☆☆☆☆☆
知名度: ☆☆☆☆☆

 インダス文明の遺跡であり、世界史の教科書にも載ってる。モヘンジョ=ダロとは、「死者たちの丘」的な意味だそうだ*8。同じインダス文明の「ハラッパー遺跡」と違って、名前からなんかお洒落である。
 インダス文明は、いわゆる四大文明*9の中で唯一、文字(図4)が解読されていない。そのせいで、いまだに一番謎が多い文明のままになっている。

f:id:calbalacrab:20180921151622j:plain図4 インダスの印章*10

 モヘンジョ=ダロは、紀元前2500年ごろ建てられたらしい。一定のサイズの煉瓦(日干し煉瓦ではなく、窯焼き煉瓦)が使われ、都市自体も計画的に設計されている。当然強力なリーダーがいたはずだが、その割に「宮殿」っぽい建物がないのも謎の1つである(貴族階級の居住地らしきものはある*11)。
 だいたいメソポタミアでもエジプトでも、王というのは自分の功績を碑文とかに残したがるものだ。でもインダス文字は、小さなスタンプにばかり使われて、長文はさっぱり出てこない。これだけの規模の遺跡(推定人口約4万*12)なのに、見上げるような神像とか、王の肖像とかが出ないのも妙だ。有名な「神官王」と呼ばれる胸像(図5)も造りは立派だが、高さ17.5センチと小さい。インダス文明の都市群は、一風変わった思想と体制で運営されていたらしい。

f:id:calbalacrab:20180921162117j:plain図5 神官王*13

f:id:calbalacrab:20180923095756j:plain図6 仏塔*14

 「七不思議」としての弱点は、モヘンジョ=ダロと言われて誰もが思い浮かべるような、シンボリックな建物がないところか。モヘンジョ=ダロの写真にたいてい写ってる低い円形の塔(図6)は、2、3世紀ごろの仏塔で、本来この遺跡の一部じゃない。強いて言えば「大浴場」*15(図7)が有名だが、ヴィジュアル的に地味ではある。

f:id:calbalacrab:20180921205424p:plain図7 大浴場*16

③ カッパドキアの地下都市(トルコ)

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謎度: ☆☆☆☆☆
びっくり度: ☆☆☆☆☆
古さ: ☆☆☆
知名度: ☆☆☆

 カッパドキアと言えば、キノコみたいな奇岩(図8)で有名だが、これはもちろん自然地形。その下に、「デリンクユ」「カイマクル」をはじめとする地下都市群が広がってる。

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図8 カッパドキアの奇岩*17

 最初は多分紀元前8~7世紀、フリュギア族の手で築かれたものだ。ローマ帝国の時代以降、キリスト教徒たちが隠れ家として、拡張したと言われている。特に8世紀、アラブ・東ローマ戦争の戦火が及んだときは、大いに活用されたらしい*18
 規模的に一番でかいのはデリンクユで、深いところは地下60メートルに達し、2万人を収容できるという。図9はその大まかな地図だけど、見ての通りなんかものすごい。

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図9 デリンクユの見取図*19

 カッパドキアの地下の岩盤は、軟らかくて掘りやすいらしい。でもだからって、ここまでやらなくてもいい気がする。最初に都市をつくったフリュギア族は、何を思ってこれを始めたのか? 「地下の方が暖かい」(このあたり、結構寒いらしい)とか、案外そんなことだったら楽しい。
 紀元前からの地下都市なんてほかにはないだろうし、「七不思議」候補にふさわしい。あえて難癖をつけるなら、どこを切りとってもぱっと見はただの地下室で、すごさが伝わりにくいのが、弱点と言えば弱点だ*20