新版・世界の七不思議 9 - 万里の長城と三星堆
⑤ 万里の長城(中国)
中国(中華文明圏)は長いこと、北から侵入してくる遊牧騎馬民族に悩まされてきた。で、これを防ぐためのバリケードが万里の長城だ。この手の壁は、紀元前7世紀からちょっとずつ建てられてたらしいが、これらをつなげてひと連なりの建物にしたのは、例によって秦の始皇帝である。前214年のことで、これ以降を「万里の長城」という。前100年ごろ、漢の武帝のときにはさらに拡張され、総延長約2万里(7930km)に達した。現在残ってるものはそれより短いが、それでも6259.6kmもある*1。
この遺跡はまぁなんと言うか、ただもう圧倒的にでかい。日本列島の南北の長さが約3020kmだから、長城はその倍以上だ。ちなみに3020kmというのは、択捉島の北端から、沖ノ鳥島までの直線距離である。北海道から九州までの4島に限れば、知床岬~佐多岬で、だいたい1964kmというところだろう。万里の長城は、優にその3倍(武帝のころなら、4倍)に達する。古代はもちろん現代でも、「世界最大の建造物は何か?」と聞かれたら、「万里の長城」と言っとけば間違いなさそうだ。ただでかいだけとかそういうのは普通、あまり評価しないタチだけど、ここまででかけりゃ話は別である。
なお、いま残ってる長城はほぼ、明の時代に築かれたものだ*3。甘粛省の嘉峪関*4(図2)がその西端に当たる。東端は秦皇島市*5で海へ突出し、「老龍頭」と呼ばれている(図3)。武帝のころの西端は玉門関(図4。甘粛省敦煌市)だったが、いまでは孤立した状態で、長城の一部とは言えない。
図2 嘉峪関*6
図3 老龍頭*7
図4 玉門関*8
兵馬俑(前回)のときもそうだったが、万里の長城も、問題は「謎度」が低いことだ。いつ、誰が、どこを造ったかなど、大事なことはだいたい記録からわかる。これは前回も書いたけど、記録があるのは本来いいことだ。マヤ文明のように、侵略者たちに文書を焼かれたせいで、謎が多くなるのは悲劇である。ただ、「七不思議」を選ぶという場合、わからないことが多い遺跡の方に、ポイントを高くつけざるをえない。
⑥ 三星堆(中国)
昔は中国の古代文明と言えば、黄河文明だった。でもいまは、北東部の「遼河文明」、中南部の「長江文明」もあったとされている。三星堆は、長江文明を代表する遺跡だ*9。
紀元前1600年ごろには、都市として成立してたらしい*10。黄河文明の「殷」(「商」とも。前17~11世紀)とほぼ同時代だ。この時代、長江上流には「蜀」という国があったと記録されている(『三国志』の蜀と区別するため、「古蜀」と呼ぶことが多い)。時代も地域も一致するし、三星堆は古蜀の都市だろう。
ちなみに古蜀の建国王・蚕叢(さんそう)は、「縦目」だったと『華陽国志』(355年成立)にある。縦目とはなんのことだかよくわからなかったが、三星堆で目(と言うか、瞳)が飛び出た青銅の面(紹介写真)が出土してからは、「もしかして、これのことじゃない?」と考えられるようになった。蚕叢は王と言うよりも、古蜀で信仰された神の名前だったのかもしれない。なお、古蜀は前316年、秦の恵文王(始皇帝の祖先)に滅ぼされた*11。
1986年以降、三星堆からは大量の青銅器(図5)が出土し、その造形は世界を驚かせた(少なくとも私は驚いた)。黄河文明の美術作品とは、明らかに別物だったからだ。と言うか世界中、どことくらべても特異だろう。圧の高さという点では、中米(メソアメリカ)の古代美術にも匹敵すると思う*13。
三星堆をはじめ、古蜀地方の出土品には何か、記号っぽいものが描かれていることがある(図6)。これを「巴蜀文字」*15と呼ぶ人もいるが*16、ほんとに文字かどうかはわからない*17。文字だったとしても、もちろん未解読だ。甲骨文字のある黄河文明とくらべ、長江文明の謎は深い。
三星堆遺跡にはしかし、めぼしい建造物があるわけではない。優れた美術品は多数出土したが、これは「遺跡」ではなく「遺物」だから、「七不思議」のうちには入らない(当ブログにおける「七不思議」の条件の1つは、「動かせないこと」だ。第1回参照)。実際、これらの美術品は三星堆博物館に展示されており、遺跡に残ってるのは、城壁の痕跡くらいだろう*18。そんなわけでクラスCとした。
*1:万里の長城 - Wikipedia。壊れたままになってる部分もあるようだが。
*2:左:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/27/Qinshihuang.jpg/右:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e9/%E6%BC%A2%E6%AD%A6%E5%B8%9D.jpg
*3:永楽帝のころ(15世紀)にほぼ完成してるから、「西暦1500年より古い」という「七不思議」の条件(当ブログが勝手に設定した。第1回参照)をぎりぎり満たしている。
*4:日本の漢語読みでは、「かよくかん」。
*5:「しんのうとうし」、または「しんこうとうし」。
*6:http://www.gsta.gov.cn/u/cms/www/201406/10162811honp.jpg
*7:http://www.97616.net/hebei/%E5%B1%B1%E6%B5%B7%E5%85%B3%E8%80%81%E9%BE%99%E5%A4%B4.jpg
*8:https://www.chinaviki.com/photos/1505/b/1_1505_588780.jpg
*9:長江文明とは別に「四川文明」を設定し、その遺跡とする見方もある。参考:長江文明 - Wikipedia
*12:左:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2b/%E9%9D%92%E9%93%9C%E5%A4%A7%E7%AB%8B%E4%BA%BA%E5%83%8F.jpg/中上:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c2/Gold_Mask_%28%E9%BB%84%E9%87%91%E9%9D%A2%E7%BD%A9%29.jpg/中下:http://i.imgur.com/ret7rC9.jpg/右上:http://ww4.sinaimg.cn/large/79fae57djw1f8w8w7a5khj21kw23u10n.jpg/右下:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/15/%E9%9D%92%E9%93%9C%E5%A4%A7%E9%B8%9F%E5%A4%B4.jpg
*14:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bc/%E5%9B%9B%E5%B7%9D%E7%9C%81%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%99%A2%E9%A4%A8%E8%97%8F%E6%96%87%E7%89%A9_008.jpg
*15:中国語では、「巴蜀图语」。参考:巴蜀图语 - 维基百科,自由的百科全书
*17:四川省でいまでも使われる「彝(い)文字」(または「ロロ文字」)との関連性も指摘されている。参考: Ba–Shu scripts - Wikipedia
*18:実際行ってみたことはないが。