釣手土器の話 11 - これらも多分顔だろう
第8回で、顔面把手の裏側が「目ばかりの顔」になってる例として、南養寺や御所前のものを挙げた。一応写真も貼っておこう(図1)。
図1 左:南養寺出土/右:御所前出土*1
でももちろん、裏に顔らしきものをもつ顔面把手は、この2つだけではないのである。釣手土器の話からはやや脱線するが、3つほど例を挙げておこう。それぞれ、神奈川県川崎市富士見台遺跡、東京都あきる野市二宮森腰遺跡*2、長野県岡谷市海戸遺跡からの出土品だ(図2~4)。
図2 富士見台出土*3
図3 二宮森腰出土*4
図4 海戸出土*5
これらに関しては、裏側がたしかに「顔」だという証拠があるかと言われたら、ない。でも特に、御所前顔面把手(その裏側。図1右)に近いレイアウトなので、多分顔だろうなと思っている。
ちなみにこれらの顔面把手では、裏面中央を、細かい模様のある「ベルト」が上下に走っている。この点は、釣手土器の背面(図5参照)にもかなり近い。
図5 曽利出土*6
釣手土器背面の「ベルト」が、多くの場合ヘビであることは、第7回で書いた。じゃ、顔面把手背面はどうなのかと言えば、やはりヘビだったらしい節がある。特に海戸遺跡のものはわかりやすい。横から見ると明らかに、ヘビ的なものがはい上がっている(図6)。
図6 海戸出土
富士見台遺跡の顔面把手(図2)にしても、この文様は多分ヘビだろう。「綾杉文」と「交互刺突文」*7の組み合わせは、蛇身装飾によく使われるものだ(図7参照)。ちなみに図7は、榎垣外遺跡(「えのきがいと」と読む。長野県岡谷市)の顔面把手付土器の一部である。
図7 榎垣外出土*8
富士見台顔面把手のてっぺんに刻まれた2本の線(図8参照)も、ヘビの口を表すものとみなければ、どうにも説明つかないと思う。「目ばかりの顔の真ん中にヘビ」というデザインは、やはり顔面把手から釣手土器に受け継がれたものなのだろう。
図8 富士見台出土
釣手土器の話 10 - ひょっとこ顔の釣手土器
前回、曽利遺跡出土土器の人体装飾(図1左)が、「口を開けたヘビ」を頭に乗せていることに注目した。
これとほぼ同じデザインは、井荻三丁目遺跡*1(東京都杉並区)出土の釣手土器(図1右)にもある。
図1 左:曽利出土/右: 井荻三丁目出土*2
ひょっとこみたいな顔の上にあるのは、やっぱりヘビの頭である。下顎(多分)の一部が欠けているが、上に向かって口を開けてることはわかる。
面白いのは、このヘビの口の開け方が、御殿場釣手土器(図2)のヘビとよく似ていることだ。
図2 御殿場出土*3
どうも井荻釣手土器のデザインは、曽利土器や御殿場釣手土器と同じ流れを汲んでいるらしい(図3)。
図3 左から、曽利出土・井荻三丁目出土・御殿場出土*4
井荻でも曽利でも、「口を開けたヘビ」の下には異様な顔面がある。こうなると、御殿場釣手土器の背面も、やはり顔を表している可能性が高い。前回までの話で、すでに結構高かったと思うが、さらに高まるということだ。
なお、井荻釣手土器の顔面装飾は、いわゆる「目ばかりの顔」ではない。が、この時代の普通の土偶などとはまるで違う、奇怪な面相にはちがいない。「ヘビをいただく顔面」は、少なくとも、何か特異な状態にある女性を表しているのだろう。
またこの釣手土器には、もう一つ変わったところがある。顔面把手の顔が、「窓が複数ある側」を向いている点だ。
曽利遺跡や御殿場遺跡の顔面把手付釣手土器は、窓が1つしかない方に顔を向けていた(第3回参照)。だからこそ、窓が1つの側を「表」(正面)、その反対側を「裏」(背面)と呼んできたわけだ。
井荻釣手土器はこれらとは逆に、窓が複数ある方が「表」、1つしかない方が「裏」になっているのだろう。この手の釣手土器についてはまた、後でとり上げることになると思う。
釣手土器の話 9 - 頭上に口を開けたヘビ
図1 御所前出土*1
御所前遺跡出土土器(図1)の人体装飾には、目だけがやけに強調された奇怪な顔面がついていた(前回参照)。これと似たようなデザインは、縄文土器には結構ある。その中で、特に御所前土器に近いのは、曽利遺跡から出た「人体装飾付土器」(図2)だろう。
図2 曽利出土*2
手足を広げた体の上に、やはり真ん丸の目だけの顔がある。股間の丸い文様は、ぶっちゃけた話性器だろう。下から矢印みたいなものが性器を目指しており、かなりあからさまにSEXが、表現された土器ではある。
これを御所前土器と比較してみると、だいたい似たような文様で構成されてることがわかる(図3・4)。土器全体もそうだが、特に把手部(顔面)や、そのまわりの装飾がよく似ている。
図3 比較図A*3
図4 比較図B*4
御所前土器より曽利土器の方が、デザイン的に古いと考えられている*5。曽利土器のデザインが変化して(または少し洗練されて)、御所前土器になったものだろう。
実は曽利土器の存在は、釣手土器の背面について考える上でも結構重要だ。曽利土器の把手(顔面)をよく見ると、頭上の飾りはヘビの頭だということがわかる(図5)。ご覧の通りこのヘビは、上に向かって口を開けている*6。
図5 曽利出土(把手部)
ここで御殿場遺跡出土の釣手土器(その背面)を、思い出していただきたい。そこにもやはり同じように、口を開けたヘビの頭が表現されていた(図6。第7回参照)。
図6 御殿場出土*7
曽利土器と御殿場釣手土器を比較してみれば、
「丸い2つの穴の上に、ヘビの頭が口を開けている」
という、同じデザインになっていることがわかる。曽利土器の把手が「目ばかりの顔」なら、御殿場釣手土器の背面も、同じものを表していた可能性が高くなってくる。
*1:森浩一『図説日本の古代(2)木と土と石の文化』中央公論社 1989年より。
*2:『井戸尻 第6集』富士見町教育委員会 1988年より。
*3:左上:『曽利』長野県富士見町教育委員会 1978年より。/右上:『津金御所前遺跡』須玉町教育委員会 1986年より。
*4:左上:『井戸尻 第6集』富士見町教育委員会 1988年より。/右上:森浩一『図説日本の古代(2)木と土と石の文化』中央公論社 1989年より。
*5:曽利土器は「藤内I式」、御所前土器は「井戸尻II式」に分類されており、藤内I式の方が古い。『曽利』長野県富士見町教育委員会 1978年(65ページ)と、『津金御所前遺跡』須玉町教育委員会 1986年(11ページ)参照。なお、こうしたいわゆる「型式編年」については、後でくわしく書く気でいる。
*6:上顎の一部は見た感じ、推定復元かもしれないが。
釣手土器の話 8 - 顔面把手、裏の顔
引き続き、「釣手土器背面の2つの窓が、目を表してるかどうか」という話だ。これを考える上では、顔面把手と呼ばれる遺物が参考になる。釣手土器のデザインには、顔面把手付土器が大きな影響を与えているからだ(第5回参照)。
で、顔面把手の裏側を観察してみると、その中にはたしかに「目ばっかりの顔」が、表されたものがいくつかある。一番わかりやすいのは、南養寺遺跡(東京都国立市)の顔面把手付土器(図1)だろう。
図1 南養寺出土*1
裏側(右)には鼻も口もなく、2つの穴が並んでるだけだ。が、眉毛はしっかり描かれており、これはやはり顔だろう。少なくとも、顔面把手にはその裏側に、表側とはまったく違う顔面をもつものがあるということだ。
ほかにこれに似た例としては、第4回でもとり上げた御所前遺跡出土の顔面把手付土器(図2)がある。
図2 御所前出土*2
この顔面把手の裏側は、正面に表された女性の「後頭部」などではなさそうだ。それは土器本体を見れば、すぐにわかる。把手部分のすぐ下に、正面側とまったく同じ人体装飾があるからだ。つまりこの土器は、「180°回転させることで、女性(妊婦)の表情が一変する」という、凝った仕掛けになっているのである。
御所前顔面把手の裏が人面なら、これも南養寺の裏面(図1右)と同じく、「目ばっかりの顔」にほかならない。
「表は割と普通の顔なのに、180°回すと目ばかり強調された、奇怪な顔面が現れる」
というデザインは、縄文時代中期の関東・中部地方で、たしかに使われていたことになる。釣手土器もまたその多くは、同じコンセプトでもってつくられていたのではないか?
釣手土器の話 7 - 真ん中のこれはヘビだろう
前回に続き、釣手土器背面の話である。
釣手土器の背面でまず目立つのは、真ん中を上下に走る「ベルト」だろう。なにやら複雑な模様が刻まれているが、これはどうやらヘビを表しているらしい。たとえば曽利釣手土器のこの部分を、同じく曽利遺跡出土の「蛇身装飾付土器」(図1左)の胴体と比較してみよう(図2)。
図1 ともに曽利出土*1
図2 比較図
真ん中の文様が上下逆(「M」と「W」)なのはご愛嬌だが、これはほぼ同じデザインだ。
また、御殿場釣手土器もよく見ると、「ベルト」のてっぺんに、スプーン状の突起がある(図3左。赤線で囲んだ部分)。御殿場遺跡の報告書によれば、これはヘビの頭と考えられている*2。横から見るとこのヘビは、斜め上に向かって口を開けていることがわかる(図3右)。
図3 御殿場出土*3
ついでに大深山釣手土器にも、同じところにヘビの頭らしい模様がついている(図4左)。この土器の「ベルト」は鎖状だが、これは同時代の蛇身装飾にもある文様だ(図4右。長野県茅野市、茅野和田遺跡出土)。
図4 左:大深山出土/右:茅野和田出土*4
もちろんこれらがヘビだったとしても、だからなんだという話ではある。釣手土器背面が顔かどうかとは、一見関係がなさそうだ。でもこれが、のちにそこそこ重要な意味をもってくる。
釣手土器の話 6 - この裏面は顔なのか?
釣手土器正面の話はこれくらいにして、ここから裏側(図1。窓が2つある方)の話である。これは本当に、「死んだ女神の頭部」なのか? まぁ死んでるかどうかはおいとくとしても、さしあたり顔なのかどうかが問題だ。
図1 左:曽利出土/右:御殿場出土*1
ちなみに顔面把手のないタイプ(前回参照)でも、釣手土器の背面と言えば、だいたい似たようなつくりになっていることが多い。特に大深山遺跡の釣手土器などは、ぱっと見でいかにも顔っぽい(図2)。
図2 大深山出土*2
実際、浅間縄文ミュージアムに展示されたときは、この土器に「人面香炉形土器」というキャプションがついていたらしい*3(ふだんは川上村文化センター所蔵)。じゃあもう顔でいいんじゃね? と思わなくもないが、ここはひとつ、疑り深い方向で考えてみよう。
この手の釣手土器で顔らしい部品と言えば、厳密には2つの窓(目?)だけだ。窓が2つ並んでるだけで、目を表してると決めてかかるのは、やっぱりちょっと心もとない。できることならもう少し、白黒つけたいのが人情だ。
一応お断りしておくと、「証拠もないのに顔だとか言うのは、学者としていかがなものか」とか、そういうことを言いたいのではない。その時点で決め手がなかったとしても、「こうなんじゃない?」と仮説を立ててみるのはとても大切なことだ。あとで間違いだったとわかったとしても、それで議論が深まったのなら、なんの問題もない。間違いを恐れ、絶対確実なこと(「高さが何センチ、幅が何センチ」とか)しか言わないのは、それこそ研究者として一番ダメな態度である。
ということで、この窓が実際目なのかどうかを考えたいのだが、こっちはどうも正面側ほど簡単にはいかない。なるべくわかりやすいところから、一つずつ片づけていこう。
釣手土器の話 5 - シンプルな方の釣手土器
釣手土器はお祭用なので、縄文土器の中でもかなり凝ったつくりになっている。でももちろん、顔面把手までついているものは、全体の中のごく一部だ。その他の釣手土器はもう少し地味で、たとえば図1(長野県富士見町、井戸尻遺跡出土)のようなものが多い。
図1 井戸尻出土*1
このタイプの釣手土器は、どうやら女性の頭部を表しているらしい。これは同時代の顔面把手(図2。同県同町、九兵衛尾根遺跡出土)と見くらべてみれば、すぐにわかる。
図2 九兵衛尾根出土*2
見ての通り、顔面把手の顔の部分を打ち抜いて窓にすれば、釣手土器とほぼ同じになる。これはなにも井戸尻のものに限らず、このタイプの釣手土器一般について言えることだ。たとえば、海道前C遺跡(山梨県北杜市)の顔面把手と、大深山遺跡(長野県川上村)の釣手土器などもよく似ている(図3)。
図3 左:海道前C出土/右:大深山出土*3
こういった、いわば「顔面把手ブチ抜き型」の釣手土器の存在は、多くの考古学者によって指摘されてきた。たとえば八幡一郎氏は、大深山遺跡4号竪穴出土の釣手土器について、次のように説く。
正面に大きく開く透窓あり、その縁をなす三角形の釣手は、恰【あたか】も顔面把手の顔面を打ち抜いたように、顔面把手の結髪と称せられる意匠がそのまゝに飾られている。*4
「炎に焼かれる女性(女神)」の姿を、頭部だけで表せば、シンプルなタイプの釣手土器になる。全身像として表せば、(曽利例や御殿場例のような)顔面把手のあるゴージャスなものになるのだろう。
なお、特に曽利出土の釣手土器が、顔面把手付土器(御所前遺跡出土)のデザインから強い影響を受けていたことは、前回で述べた。全身像タイプもそうでないものも、釣手土器という遺物のデザインは、顔面把手付土器に学んだ部分が多いらしい。
*1:『井戸尻 第8集』富士見町井戸尻考古館 2006年より。
*2:同上。
*3:左:https://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/topics/101-200/images/kaodoumaehanakokakudai1.jpg/右:http://line.blogimg.jp/kondaakiko/imgs/2/2/22598148.jpg