神話とか、古代史とか。

日本をはじめあちこちの神話や古代史、古代文化について、考えたこと、わかったこと、考えたけどわからないことなど。

スサノヲとナマハゲ 5 - 「泣ぐ子いねがー」な、人々

 前々回からしつこく書いてるが、植物仮装来訪神たちの共通点は次の3つである。

1. 「祖霊」、または「死霊」とみなされている。
2. 子供に対して教育的(むしろ、脅迫的?)な機能をもつ。
3. 秘密結社、または男子結社を構成する。

 今回はその2つ目、子供の教育者(または脅迫者)としての性格について語りたい。前回と同じく、文献からずらずら引用していこう。

f:id:calbalacrab:20180209153718j:plain図1 ナマハゲ*1

ナマハゲ(図1。秋田県):
 ――さて,ナマハゲは、「泣く子はいないか」とか、「怠け者はいないか」とか、「親の面倒を見ない嫁はいないか」とか、いろんな訓戒というか、戒めの言葉を吐きながら各家々を回ります。
(武内信彦「怠け者はいねが~『男鹿のナマハゲ』」 ※『石油技術協会誌』77巻4号 2012年7月 所収) 

f:id:calbalacrab:20180209153843j:plain図2 トシドン*2

トシドン(図2。鹿児島県下甑島):
 ――トシドンは天上界にいて、子供達のことを見守りながら、大晦日になると「首切れ馬」に乗って、従者を従えて子供のいる家々を訪れ,その年の子供の素行や行儀に対し、悪戯をしないよういましめたり、さとしたりします。
 最後に、来る年を良い子であるよう約束を交わし大きな餅を与えます。この餅は年餅や年霊(トシダマ)と呼ばれ、トシドンにもらうことで無事に年を一つとることができると言われています。
(『第1次薩摩川内市総合計画』2010年)

 f:id:calbalacrab:20180113200015j:plain図3 マンガオ*3

マンガオ(図3。中国)
 ――悪さをする子や病弱の子はマンガオに頭をさわってもらい、それぞれ性格も良く、体も健康になるようにする。
(萩原秀三郎『稲と鳥と太陽の道』大修館書店 1996年 226ページ)

 f:id:calbalacrab:20180129134208j:plain図4 シャーブ*4

シャーブ(図4。オーストリア
 ――悪魔の群れ(川谷注:シャーブやクランプス*5)は、恐ろしい表情と叫び声におびえて逃げまどう子供たちをつかまえては説教をして、袋から贈りものをだして配っていきます。
(遠藤紀勝ほか『クリスマス小事典』社会思想社 1989年 50ページ)

 だいたいこんなところである。このうちマンガオは、特に説教はしないようなので、ちょっと毛色が違う。でも、悪さする子の性格を矯正するあたり、やはり教育的機能の持ち主だ。

 ちなみにシャーブらは、「袋に入れてあの世へ連れ帰るそぶりを見せたりして」子供を脅すらしい。秋田のナマハゲも子供らに、やっぱり袋に入れて連れ帰り、喰ってしまうぞと迫るという*6

 東西の来訪神たちは見てくれだけでなく、脅しの手口までよく似ている。サンタクロースも袋を持ってるが、ただのプレゼントの入れ物と甘く見ない方がよさそうだ。

スサノヲとナマハゲ 4 - 死者たちの帰還

 世界の「植物仮装来訪神」には、

1. 「祖霊」、または「死霊」とみなされている。
2. 子供に対して教育的(むしろ、脅迫的?)な機能をもつ。
3. 秘密結社、または男子結社を構成する。

 という共通点があると、前回で書いた。ここからしばらく、これらの特徴を順番に検討していこう。

 まず1. だが、こういう問題については基本、現地で取材した人の話を聞くしかない。というわけで文献から、関連するくだりをいくつか引用しおこう。重要なとこは太字にしたので、そこだけでも目を通してもらえると助かる。

 ついでに言えば民俗学では、祖霊と死霊は一応、区別される。まだ生前の個性を引きずったままの霊魂は「死霊」。これを失って、祖先たちと一体化した普遍的な死者が「祖霊」である*1。もちろんそれほど厳密には、区別できない場合もある。

f:id:calbalacrab:20180128224637j:plain図1 アカマタ・クロマタ*2

アカマタ・クロマタ(図1。沖縄県八重山列島):
 ――アカマタ・クロマタには、二つの由来の伝説がある。一つは、毎年定まった日に姿を現した死者を祭ったという伝説、もう一つは、安南に漂着した人がその面を故郷へ稲穂とともに持ち帰ったという渡来の伝説である。
(『日本「鬼」総覧』新人物往来社 1995年 186ページ)

f:id:calbalacrab:20180113200015j:plain図2 マンガオ*3

マンガオ(図2。中国):
 ――マンガオとは何だったのだろうか。ミャオ語でマンはいちばん古い、最も古い、カオは次に古いという意味で、合わせて古い、さらに古い意となる。吉曼では、古い古い祖先を表すといい、一つの家族の形に構成するとの決まりがある。
(萩原秀三郎『稲と鳥と太陽の道』大修館書店 1996年 228~229ページ)

f:id:calbalacrab:20180112222039j:plain
図3 プー=ニュー(左)とニャー=ニュー(右)*4

プー=ニュー/ニャー=ニュー(図3。ラオス):
 ――同時に、彼らは「偉大な祖先」として尊敬され、「両親みたいなもの」といわれ、また「昔からの人たちのかたまり」「住みついていた人たちのあらわれたもの」のように集合的祖先霊のように解釈する人もいる。
(松原孝俊ほか編『比較神話学の展望』青土社 1995年 166ページ)

f:id:calbalacrab:20180113200743j:plain図4 ドゥク=ドゥク*5

ドゥク=ドゥク(図4。メラネシア):
 ――サンタ・クルツ島では、亡魂の事をdukaといい、フロリダ島では死者の霊魂と霊交することをpaludukaというから、Duk-dukはまた亡魂(Ghostos)の意味である。
(大林太良編『岡正雄論文集 異人その他』岩波書店 1994年 110ページ)

f:id:calbalacrab:20180129134208j:plain図5 シャーブ*6

シャーブ(図5。オーストリア):
 ――シャープ*7は「私たちの先祖の姿をあらわしたものですよ」と、教えてくれた人がいた。
芳賀日出男『ヨーロッパ古層の異人たち』東京書籍株式会社 2003年 74ページ)

 もうこれくらいでいいだろう。こうしてみると世界には、
「祖先たちは植物の精霊みたいなもんでしたが、何か?」
 的な信仰がちょいちょいあるらしい。

 「子供に対する教育的(脅迫的)機能」についても書こうと思ってたが、長くなったから次にしよう。

*1:萩原龍夫「祖霊」(大塚民俗学会編『日本民俗事典』弘文堂 1994年 405ページ)参照。

*2:ただしこれは、シロマタという第3の神。http://husigimystery.info/allan/wp-content/uploads/2017/05/akakuro.jpg

*3:http://img.chinatimes.com/newsphoto/2016-02-26/656/20160226004308.jpg

*4:https://meslaos.files.wordpress.com/2015/04/pimaypuyeu.jpg

*5:https://c1.staticflickr.com/5/4026/4245368961_4cd0be807f_b.jpg

*6:http://www.bad-mitterndorf.at/uploads/pics/schab.jpg

*7:アルファベットだとSchabだが、日本では「シャー」とも、「シャー」とも書かれる。どっちが現地の発音に近いのかは不明。

スサノヲとナマハゲ 3 - 植物のお化け

 前回に続き、スサノヲと「植物仮装来訪神」の話である。ここで一応、植物仮装来訪神なるものを定義しておくと、
植物(主に葉と茎の部分)で、体の大半を覆った来訪神
 ということになる。

f:id:calbalacrab:20180120105504j:plain図1 ボゼ*1

 たとえば日本では、悪石島(鹿児島県)のボゼ(図1)のほか、秋田のナマハゲもその1つである。国外にも多くの例があり、スイスの「醜いクロイセ」(図2)やラオス(東南アジア)の「プー=ニュー」と「ニャー=ニュー」(図3)、中国の「マンガオ」(図4)などがそれだ。太平洋の島々では、ニューブリテン島メラネシア)の「ドゥク=ドゥク」(図5)その他が知られている*2。世界中どこにでもある、というほどではないが、結構あちこちにあるのである。

 ちなみに図1のボゼはいつ見ても、インドネシアとか、そのあたりの神にしか見えない。これが鹿児島の祭なんだから、世界は裏切りに満ちている(←?)。

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図2 醜いクロイセ(スイス)*3

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図3 プー=ニュー(左)とニャー=ニュー(右)ラオス*4
 衣裳は木の繊維。

f:id:calbalacrab:20180113200015j:plain図4 マンガオ(中国)*5

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図5 ドゥク=ドゥクメラネシア*6

 ところでこの人たちはなぜ、植物のお化けみたいなナリをしてるのか? これについてはシンプルに、「植物の精霊的なものを表してるから」という理解でいいらしい。

 シャープやブットマンドル、「醜いクロイセ」が麦藁に身を包むのは、それらが穀物霊であることを物語っています。
(葛野浩昭『サンタクロースの大旅行』岩波書店 1998年 49~50ページ)

 ちなみに「シャー」は、シャーのことだろう。シャーブやブットマンドルについては、前回参照。

 麦藁で身を包み、鞭を打ち鳴らすシャーブ。麦藁には穀物霊が宿ると信じられてきた。
(谷口幸男ほか『図説ヨーロッパの祭り』河出書房新社 1998年 21ページ)

  どっちも「穀物霊」とあるが、たとえばメラネシア穀物栽培はない。ドゥク=ドゥク(図5)をのけ者にするのもアレなので、より広く、「植物霊」でいいと思う。多分原始的な農耕文化とともに、広まったんじゃないかと踏んでるが、話がでかくなるからやめとこう。

 ちなみにナマハゲが着てる蓑は、「その年に収穫した稲の藁」でつくられるものだったらしい*7。なんの気なしにあの格好をしてるわけじゃなく、特別な意味がこめられていたことがわかる。

 さて。世界の植物仮装来訪神たちには、「来訪神であること」「植物で仮装すること」以外にも、3つほど共通点がある。

1. 「祖霊」、または「死霊」とみなされている。
2. 子供に対して教育的(むしろ、脅迫的?)な機能をもつ。
3. 秘密結社、または男子結社を構成する。

 次回以降、順を追ってみていくことにしよう。

*1:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/43/7f85e110b67470963a409e1219e0cfab.jpg

*2:アルファベットだと、クロイセはChläuse。プー=ニュー・ニャー=ニューはPu Gneu/Gna Gneu(またはYa Gneu)と書く人が多いが、一定していない。ドゥク=ドゥクはDuk Duk。マンガオは漢字で、「芒哥」と書く。

*3:https://1.bp.blogspot.com/-lYQd4IhifvU/Upbp0JtKfmI/AAAAAAAACjg/eXobX-Kn5lM/s1600/silvesterchlaeuse.jpg

*4:https://meslaos.files.wordpress.com/2015/04/pimaypuyeu.jpg

*5:http://img.chinatimes.com/newsphoto/2016-02-26/656/20160226004308.jpg

*6:https://c1.staticflickr.com/5/4026/4245368961_4cd0be807f_b.jpg

*7:葛野浩昭『サンタクロースの大旅行』岩波書店 1998年 50ページ。

スサノヲとナマハゲ 2 - 訪れる神

 「スサノヲと植物仮装来訪神」という論文(くどいようだが、「はじめに」からダウンロードできる)のキモは、ざっくりまとめるとこういうこと(↓)になる。

 一見よくわからん神であるスサノヲだが、その一番コアになる性格は、「植物仮装来訪神」としての顔なんだろう。

 でもこの「植物仮装来訪神」というのが、そもそもなんのことだかわかりにくい。「植物仮装」はいったん置いといて、まずは来訪神の話から入ろう。

f:id:calbalacrab:20180109104226j:plain図1 ナマハゲ*1

 来訪神とは平たく言えば、

 たいていの場合年に1度、決まった時期に人里を訪れる神、または神々。農作物の豊作とか、そういう「福」をもたらしてくれる。

 というものだ。姿は見えないとされることもあるが、たいていは目に見える形で現れる。もちろんこの場合、村の若者とかが神々に扮しているのである。秋田のナマハゲ(図1)や、西洋ではサンタクロースが特に有名だ。

 ナマハゲとサンタクロースは全然違うじゃん、と思われるかもしれないが、これが実はそうでもない。たとえば図2は、ドイツ・バイエルン州のサンタクロース御一行だ。

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図2 ドイツのサンタクロース*2

 手前の3人の背後に、「おまえどう見てもナマハゲだろ」としか思えない何かがしれっと続いている。
「サンタたちの楽しげな様子が気に入らないので、うしろから命を狙ってる」
 とか、そういうことではない。この2人(2体?)は「クランプス」といって、ドイツやオーストリアのサンタクロース(聖ニコラウス)には、普通について来るものなのだ。「親の言うことを聞け」「勉強しろ」などと子供を脅すそうだから*3、ますますナマハゲと変わらない。

 クランプスとナマハゲの違いを無理に探すなら、その1つは着てるものだろう。クランプスの衣裳は普通毛皮だから、その点ナマハゲとは異なる。でも、ドイツなどではクランプスだけでなく、図3のような人たちも、サンタについて来るのである。

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図3 左:ブットマンドル/右:シャーブ*4

 ブットマンドルはドイツ(バイエルン州)、シャーブオーストリアシュタイアーマルク州)の来訪神である*5。どっちも、「知られざる東北の奇祭」と言っても通りそうな見てくれだが、これでヨーロッパの祭なのだ。西ヨーロッパと日本と言えば、全然違う文化な気がするが、民俗宗教の世界では、そんなことお構いなしである。

 ちなみにナマハゲもブットマンドル(シャーブ)も、藁で体を覆っている。稲藁と麦藁という違いはあるが、これらは問題の「植物仮装」の一種である。

 もちろんナマハゲその他については、
「別に植物とか関係なくて、寒いから蓑着てるだけなんじゃないの?」
 とみることもできる。でも来訪神たちは南の方でも、ちょいちょい植物を身にまとっている。日本では、沖縄県宮古島の「パーントゥ」や、鹿児島県悪石島の「ボゼ」などがそれだ(図4)。これはもちろん、ただの防寒着などではない。

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図4 左:パーントゥ/右:ボゼ*6

 こんな風に、一見植物のお化けみたいな来訪神を、「植物仮装来訪神」と呼ぶことにする。スサノヲも、もとをただせばこんな感じの神だったんじゃないのということを、じわじわ明らかにしていきたい。

*1:https://media-cdn.tripadvisor.com/media/photo-s/09/57/99/4c/caption.jpg

*2:https://s3-us-west-1.amazonaws.com/blogs-prod-media/us/uploads/2013/12/24170628/iStock-501028040.jpg

*3:芳賀日出男『ヨーロッパ古層の異人たち』東京書籍 2003年 80ページ。

*4:左:http://www.salzburg24.at/2013/11/buttnmandl-an.jpg/右:http://www.bad-mitterndorf.at/uploads/pics/schab.jpg

*5:くわしく調べたい人のために、アルファベット表記も書いておこう。クランプスはKrampus、ブットマンドルはButtmandl、シャーブはSchab、またはSchabmännerと書く人が多い。

*6:左:http://www.miyakomainichi.com/wp/wp-content/uploads/2017/03/d8c46d4b815f332d8da202348a9c4031.jpg /右:http://www.sankei.com/photo/images/news/170906/sty1709060013-p2.jpg

スサノヲとナマハゲ 1 - 木をつくる巨人

 ここからしばらく、「スサノヲと植物仮装来訪神」という論文(「はじめに」からダウンロードできる)の話がメインになる。多分だが、釣手土器のときほど長くはならないと思う。

 『古事記』の神話を読んだ人ならたいていスサノヲについて、「なんか知らんが、変な神だった」という感想をもっているだろう。スサノヲはまず、姉(アマテラス)の支配する天界で、好き勝手暴れて追い出されている。もういい年のはずなのだが(「あごひげが長く伸びていた」そうだ)、だだっ子の暴れん坊にしかみえない。

 が、追い出されて地上に降りてくると、いつの間に心を入れ換えたのか、ヤマタノヲロチを退治して女の子を救うヒーローになる。天界でシスコンをこじらせていた(多分)ころの残念さが、嘘のような変わりようである。

 でもまぁこれだけなら、
「善悪両面にはたらく両義的なキャラ、いわゆる『トリックスター』という奴だろ?」
 ということで納得できなくもない。が、『日本書紀』の神話を読んでみると、さらにおかしな場面がある。

 スサノヲはあるとき、こんなことを言った。
「韓郷(からくに。朝鮮半島のこと)には、金銀が多い。俺の子孫の国に船がなかったらよくない。」
 で、ひげを抜いて放つと、スギの木になった。胸毛を抜くとヒノキになり、尻の毛はマキ*1、眉毛はクスになった。こうして木ができるとスサノヲは、「スギとクスは船にしろ」などと、その使い道をも定めたという*2

 この話ではまた、スサノヲという神の印象が違う。スサノヲと言えば、一般的なイメージは、図1みたいな感じだろう。なんか古代っぽい服(埴輪が着ているような)を着た、ワイルドなひげの親父である。

f:id:calbalacrab:20171228213851j:plain図1 スサノヲ

 でも木をつくった方のスサノヲは、下手したら、図2のような感じではないか?

f:id:calbalacrab:20171228214123j:plain図2 スサノヲ?

 体毛が木になるくらいだから、小山のような巨人だろう。無造作に尻の毛まで抜くあたり、パンツとかはいてなさそうだ。こうなると、「トリックスター」とかなんとか言ってすませるには、ちょっと芸風が広すぎる。

 この「スサノヲとナマハゲ」では、主に図2の方の(これに近いタイプの)スサノヲをとり上げることになると思う。こっちのスサノヲこそ、スサノヲという神の本質に近いとみるからだ。ヤマタノヲロチ退治とかが目立ちすぎるからわかりにくくなっているだけで、元来スサノヲは、パンツとかはいてないのである。

*1:多分、コウヤマキ高野槙)のこと。常緑針葉樹。

*2:岩波文庫日本書紀(1)』1994年 100・102ページ。

苗字で呼ばれない人々

 もはや古代史でもなんでもないが、「ナポレオン」という名前がふと気になったことがある。あたりまえだが、彼のフルネームは「ナポレオン=ボナパルト」。特に世界史では、歴史上の人物は苗字で呼ばれるのが普通である。なぜナポレオンは苗字(ボナパルト)ではなく、ファーストネームで呼ばれるのか?

 でもこれは、「ナポレオンは皇帝になったから」で、あっさりけりがつく問題だ。王や皇帝は、普通「エドワード」とか「シャルル」とか、ファーストネームで呼ばれるもんである。同じ家系の者が世襲してゆくから、ファミリーネームじゃ誰だかわからない。

 むろんナポレオンは失脚したから、子や孫に世襲はできていない(のちに甥っ子が皇帝になり、「ナポレオン3世」を名乗ってはいるが)。ともあれ、いったん皇帝になった以上、やはり慣例に従って、ナポレオン呼びでいいのである。

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図1 左:ナポレオン1世/右:同3世*1

 でも中には、王や皇帝ではないけども、一般にファーストネームで呼ばれる人々がいる。たとえば、『神曲』を書いた詩人のダンテは、フルネームを「ダンテ=アリギエーリ」という。苗字はアリギエーリだが、こっちで呼ぶ人は見たことない。ほかには彫刻家の「ミケランジェロ=ブオナローティ」、画家の「ラファエロ=サンティ」、科学者の「ガリレオガリレイ」が、やっぱりファーストネームで呼ばれている。

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図2 名前で呼ばれる族*2
※左から、ダンテ(1265~1321年)/ミケランジェロ(1475~1564年)/ラファエロ(1483~1520年)/ガリレオ(1564~1642年)。

 実はこのダンテ以下4名には、ある共通点がある。全員イタリアの偉人なのだ。
 どうも中世後期~近世(特にルネサンス期)のイタリアの偉人に限っては、ファーストネームで呼ばれる傾向があるらしい。聞くところによればダ=ヴィンチも、本国では主に「レオナルド」で通っているようだ。

 理由については次の2通りの説があって、どっちが正しいかよくわからない。

A. 特に偉大な人物については、敬意を表する意味で、ファーストネームで呼ぶ習慣がイタリアにはあった*3

B. 当時のイタリアではたいていの人が、ファーストネームで名乗っていた。作品などにもファーストネームしか書かなかったから、苗字を知ってる人は少なかった。

 ミケランジェロらがファーストネームだけサインしたことは事実のようだから*4、どちらかと言うと、Bが正解に近そうだ。なんにせよ、アリギエーリより「ダンテ」、ブオナローティより「ミケランジェロ」の方が、かっこいいことはたしかである。

 ちなみに画家のレンブラントも、フルネームは「レンブラント=ファン=レイン」だそうで、「名前で呼ばれる族」の1人である。ルネサンス期より少し後、17世紀のオランダ人なのに、なぜまたファーストネームなのか? 同時代の有名な画家――フェルメールルーベンスは普通に苗字なのだ。

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図3 レンブラント*5

 これはどうも、レンブラントがある時期から自分の作品に、ファーストネームしかサインしなかったせいらしい。15~16世紀の巨匠たち(ミケランジェロラファエロ)にならったものだと言われている*6。単に憧れでそうしたのか、それとも
「俺のライバルは、ルネサンス期の巨匠だし。同時代の奴らなんか目じゃねえし」
 的な感じなのか? そのへんはやっぱりわからない。

アーサーの呪い

 その昔、『アーサー王の死』という本を読んだことがある。トマス=マロリーが15世紀に書いた本で、数ある「アーサー王伝説まとめ本」の中でも、集大成と言われてるらしい。

 でもこの『アーサー王』というタイトルは、もうちょっとどうにかならなかったものか? これからアーサー王の生涯についての物語を読もうというときに、いきなり「死」とか言われたらテンションが下がる。

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図1 歴代アニメのアーサーたち*1
※左から、『燃えろアーサー』(1979~80年)/『Fate』シリーズ(2006年~)/『七つの大罪』(2014年~)。1人性別違うが、気にしなくてよい。

 それはともかく、そもそもアーサーとは何者か? さしあたり、次の3点だけ押さえとけば万全だと思う。

1. 伝説的なイギリスと言うか、ブリテン島の王。実在したとしたら、5世紀後半~6世紀前半あたりの人。実在したかどうかの議論には、まだ決着がついていない。

2. 西暦500年ごろ、ベイドン山の戦いでブリトン族(ケルト系)が勝ち、新興のアングロ=サクソン族(ゲルマン系)の勢力拡張に待ったをかけたことは事実らしい。このときブリトン族を率いてたのが、アーサーだったと言われている。
 ちなみに『ブリトン人の歴史』(9世紀)によると、アーサーは「軍の指導者」で、王ではない。統治者と言うより、武人だったのかもしれない*2

3. でもこの勝利は一時的なもので、その後のブリテン島はほぼ、ゲルマン系のアングロ=サクソンやノルマン族の天下になる。アーサーが実在したのなら、草葉の陰で嘆いているだろう。

 さて。この『アーサー王の死』によれば、アーサーの墓には次のように書いてあるそうだ。

アーサーここに眠る。かつての、そして未来の王。*3

 なんで「未来の王」なのかと言えば、アーサーはアヴァロン島(伝説の理想郷)その他で眠っており、いつの日か帰還するとも言われているからだ。この物語には、
「後から来てでかい顔してるアングロ=サクソンやらノルマンやらに、ぎゃふんと言わせてやりたい」
 というケルト系イギリス人たちの願いがこめられてるのだろう。

 でもこの話、ちょっと気になるところがある。
「イギリス王家に『アーサー』という名の男子がいて、これが王位についたらどうなるのか?」
 ということだ。

 「アーサーが、再びイギリスの王になる」という予言はそれで、一応果たされた形になる。が、伝説のアーサーその人を待ってる人々にとってはまがい物であり、怒りを買うことになりそうだ。

 実際に調べてみたところ、歴代のイギリス王の中に、(伝説のアーサー王を別とすれば)アーサーをファーストネームとする者はいない*4。でも歴史上、少なくとも2度、「アーサー」がイギリス国王になりかけたことはあるのである。前置きが長くなったけど、実はここからが本題だ。

 1人目のアーサーは、「アーサー=オブ=ブリタニー」(「アルテュール1世」とも。1187年3月29日~1203年)。正式に立太子されたことはないが、伯父であるリチャード1世の事実上の後継者と目されていた。リチャードの死後、ジョン王(叔父)と対立し、暗殺されたと言われている。享年は15か、16歳。

 2人目は「アーサー=テューダー」(1486年9月20日~1502年4月2日)で、こっちは正式に王太子プリンス・オブ・ウェールズ)になっている。でも国王になることはなく、15歳で死んだ。別に殺されたとかじゃなく、風邪をこじらせて死んだらしい。

 もちろん偶然ではあるが、イギリス国王になるはずだった2人の「アーサー」が2人とも、十代半ばで死んでるのは、因縁めいた話である。私はこれを、勝手に「アーサーの呪い」と呼んでいる。

*1:左:https://vmimg.vm-movie.jp/image/android/480x360/048/s048172001a.jpg/中:https://littlecloudcuriosity.files.wordpress.com/2015/06/fate-stay-night-unlimited-blade-works-episode-23-3.jpg/右:http://livedoor.4.blogimg.jp/anico_bin/imgs/3/6/36282c97-s.jpg

*2:ピーター=ジェイムズほか『古代文明の謎はどこまで解けたか(2)』太田出版 2004年 268ページ。

*3:T・マロリー『アーサー王の死』筑摩書房 1986年 438ページ。訳文はちょっと変えた。

*4:ミドルネームなら例があるようだ。参考:そもそもアーサーてどこのだれなんだよ : 散種的読書架