釣手土器の話 24 - イノシシなのか、ヘビなのか
釣手土器の上にはだいたいにおいて、変なヘビたちが乗っている。中でも特に変なのは、北原遺跡(山梨県甲州市)の釣手土器(図1)だ。第19回以来何度かとり上げてきたが、あらためてフィーチャー*1してみよう。
図1 北原出土*2
図1でおわかりの通り、どういうわけかこのヘビは、鼻がブタ鼻になっている。この時代、まだ家畜のブタはいないはずだから、多分イノシシの鼻だろう。
実はこれ、穴場遺跡(長野県諏訪市)の釣手土器(図2)にもある特徴だ。北原例と並べるとほぼそっくりで、デザイン的に同じ流れをくんでいることがわかる(図3)。
図2 穴場出土*3
図3 左:北原出土/右:穴場出土
この手の、「全体的にはヘビなのに、鼻だけイノシシになってる」デザインは、このあたりの縄文土器ではときどきお目にかかる。たとえば茅野和田遺跡(長野県茅野市)の蛇身装飾(図4)などは、典型的でわかりやすい。
図4 茅野和田出土*4
もちろんこんなのが実在したとは思えないし、架空の動物なのだろう。縄文人のイメージの中には、イノシシとヘビが融合した姿の妖怪、または神様がいたということだ。ほんとの名前はもちろん不明だが、考古学者の渡辺誠氏は、これを「イノヘビ」と命名した*5。
ちなみに、ヘビとイノシシがペアと言うか、対をなす関係にあったらしいという形跡は、日本の神話・伝説にもある。『古事記』によれば、ヤマトタケルを呪い殺した伊吹山の神は、白いイノシシだった。一方『日本書紀』では同じ神が、なぜか大蛇として登場する。
ところでヘビについては第20回で、「死の象徴」だろうと推測した。この場合、イノシシはこれと対照的な意味――すなわち、「生の象徴」という意味をもっていたのではなかろうか。
実際、北原釣手土器の表側からは、イノシシの鼻が見えるだけで、ヘビたちは見えない。逆に裏からはヘビだけが見え、鼻先がどうなってるかは不明なのだ。これはつまり、釣手土器の表(窓が1つしかない方)は「生」の世界、裏は「死」の世界を表しているからだろう。だからこそ、「生」の象徴であるイノシシは表、「死」を象徴するヘビは裏からしか、見えないようになっているわけだ。
もちろん、穴場例や札沢例、また井荻三丁目例では、表からもヘビが丸見えだし(図5)、全部が全部というわけではない。でも全体として、そういう傾向があることはたしかだ。
図5 左:穴場出土/中:札沢出土/右:井荻三丁目出土*6
図6 御殿場出土*7
図7 曽利出土*8
たとえば御殿場例や曽利例(図6・7)でも、裏はヘビまみれだが(第19回参照)、表からは一切、ヘビたちは見えない。
「裏(死の世界)に回ると突然、ヘビが現れる」
という演出意図があるようにみえる。
同じ仕掛けは釣手土器のほか、顔面把手付土器にもあるらしいのだが、長くなったから今度書こう。
*1:これ、「フューチャー」と言う人も多いが、フィーチャーが正しいらしい。
*2:http://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/topics/201-300/images/kenshi_turite_inoshishi001.jpg
*3:上:諏訪市博物館の絵はがきより。/下:『穴場ANABA(1)』諏訪市教育委員会 1983年。
*5:渡辺誠『よみがえる縄文の女神』学研プラス 2013年 100ページ。
*6:中:『長野県立歴史館研究紀要』5号 1999年より。/右:江坂輝彌ほか編『古代史発掘(3)土偶芸術と信仰』講談社 1974年より。
*7:http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/158078
*8:『井戸尻 第8集』富士見町井戸尻考古館 2006年より。
今年2本目
『比較民俗学会報』171号に、「ウケヒと『競争的単性生殖』の神話」という論文を発表した。今年2本目の論文だ。
『古事記』『日本書紀』には、
「アマテラスとスサノヲの姉弟が、『ウケヒ』という呪術でそれぞれ子をつくり、その結果で優劣を決める」
という、よくわからない場面がある。そのウケヒ神話を、国外のいろんな神話(特に「ヤズディ教神話」)と比較したものだ。ちなみにヤズディ教とは、クルド民族の一部が信仰するもので、知る人ぞ知る秘教である*1。
マラク=ターウース*2
※ヤズディ教で特に信仰される大天使。『孔雀王』という漫画にも、「メレクタウス」という名で出てくるんだったか?
そのうちまた、PDF化して公表すると思う。
釣手土器の話 23 - 一風変わった釣手土器
札沢遺跡出土の釣手土器(図1)には、ノヅチ(ツチノコ)関係でこのところお世話になっている。今回はヘビだけでなく、土器全体のデザインに注目してみよう。
図1 札沢出土*1
釣手土器の裏側(窓が複数ある方)は、たいてい「目ばかりの顔」になってると、これはもう何度も書いてきた。でも札沢釣手土器は、どうもそういう感じではない。「三角形(むしろ、半円形?)の中に円」みたいなデザインで、少なくとも顔ではないだろう。
図2 北原出土*2
ちなみに北原遺跡の釣手土器(図2)も、よく見ると同じコンセプトだ。ただしこちらは、「三角形に円」が左右に2つ並んだような形になっている。これは第14回で触れた、「裏が双面の土器」と同じ理屈だろう。釣手土器の裏側はどういうわけか、同じデザインを左右に並べた形になることがある。
この「三角形に円」のデザインは、何を表してるものなのか?
この問題は、過去に何度かとり上げた井荻三丁目遺跡の釣手土器(図3左)と比較すれば、割と簡単に答が出る。
図3 左:井荻三丁目出土/右:札沢出土*3
井荻釣手土器も、札沢や北原のと同じく、「三角形に円」のパターンだ。そしてこちらは、その上に顔がついている。顔との位置関係からみて、この真ん中の窓はぶっちゃけた話、女性器を表すものだろう。
ちなみに井荻例の窓のまわりのパーツは、よく見るとヘビの頭である。いまは1つが欠けているが、もともとは5つあったのだろう。ヘビにまみれているところも、井荻例と札沢例はよく似ている。
井荻例の真ん中の窓が性器なら、顔のすぐ下に性器があるということになる。一見妙なデザインだが、曽利遺跡出土の土器(図4左)も、だいたい似たような形である。
図4 左:曽利出土/右: 井荻三丁目出土*4
やはり顔(多分)のやや下に、股間にぶら下がるように性器がある。全体的なデザインも井荻例によく似ており、特に頭上の「上に向かって口を開けたヘビ」がそっくりだ(くわしくは第10回参照)。
曽利遺跡の土器と、井荻や札沢、また北原の釣手土器はデザイン的に、同じ流れをくんでいるのだろう。そのつもりで曽利土器と札沢釣手土器をくらべると、曽利例で性器に向かってる謎の矢印*5が、札沢の「性器をのぞきこむヘビ」そっくりに見えてくるのも楽しい(図5)。
図5 左:曽利出土/右:札沢出土
釣手土器の話 22 - 野雷と書いてノヅチと読む
釣手土器の話と題してるが、今回は釣手土器あまり関係ない。八雷神の1柱である「野雷」をノヅチと読んで、いいのか悪いのかという話だ。
まず、岩波文庫の『日本書紀(1)』を見ると、普通に「のつち」とルビが振ってある(54ページ)。厳密にはノヅチじゃなくてノツチだが、日本語は濁点に関してアバウトだし、ここは気にしなくていいだろう。講談社学術文庫の『日本書紀(上)』も、ルビはやっぱり「のつち」である(31ページ)。
問題は中央公論社の『日本書紀(上)』で、これだけは何を思ったか、「ののいかずち」と読ませている(100ページ)。多数決なら2対1でノツチ(ノヅチ)の勝ちだが、学問ではそういうわけにもいかない。ノヅチ説とノノイカヅ(ズ)チ説、どっちの読み方が正しいのか? ノノイカヅチだと、八雷神とツチノコ(ノヅチ)はほぼ無関係になってしまうから、結構重要な問題だ。
まず、岩波や講談社の『日本書紀』をよく読んでみると、おかしな点があることに気づく。八雷神のうちの6柱――たとえば「土雷」や「火雷」については、「つちのいかづち」「ほのいかづち」などと読ませているのである。たしかに考えてみれば、ここで雷を「つち」と読むと、土雷は「つちつち」になってしまう。でも「山雷」のルビは「やまつち」で、「野雷」は「のつち」。雷=「つち」なのはこの2柱だけだ。
同じ八雷神なのに、6柱は「いかづち」、2柱は「つち」と、違う読み方をさせるのは一見無理がある。全部「いかず(づ)ち」で通した中央公論社の方が、筋は通っているのである。こうしてみるとノヅチ説は、非常に不利に思えてくる。
でもこれは、あくまで八雷神のくだりだけ読んだ場合の話だ。『日本書紀』を通して読んでみると、ノノイカヅチはやはり間違いで、ノツチ(ノヅチ)が正しいということがわかる。なぜか?
実は「山雷」という言葉は『日本書紀』で、ここにだけ出てくるわけではない。あと2ヵ所にも登場し、どっちもノヅチと対になっている。
まず、アマテラスが天岩戸に隠れたとき、なんとか引っぱり出そうと神々が協力する場面は次の通り。
また山雷者(やまつち)をして、五百箇(いほつ)の真坂樹の八十玉籤(やそたまくし)を採らしむ。野槌者(のづち)をして、五百箇の野薦(のすず)の八十玉籤を採らしむ。
次に、イハレヒコ(神武天皇)が戦勝祈願をする場面は、こうだ。
薪の名をば厳山雷(いつのやまつち)とす。草の名をば厳野椎(いつののづち)とす。
どっちも明らかに、山雷はノヅチとペアである。そしてこの関係は、八雷神が出てくる場面でも同じなのだ。
手に在るは山雷といふ。足の上に在るは野雷といふ。
前の2つと同じパターンで、「山」と「野」がセットになっていることがわかる。そして大事なのは、前の2つ――「野槌」や「野椎」は、「ノヅチ」としか読めないということだ。
『日本書紀』で3度くり返される「山雷」と「野~」のペアの中で、少なくとも2つは明らかに、「ヤマツチ」と「ノヅチ」だ。となれば当然、八雷神中の山雷・野雷も、ヤマツチ・ノヅチと読まれるべきだろう。ここだけ「ヤマノイカヅチ」「ノノイカヅチ」だったら、その方がよほど変である。
というわけで、イザナミの死体にまとわりついてた野雷は、やはり「ノヅチ」でいいのである。これが太短いヘビの妖怪――ノヅチ(ツチノコ)につながる可能性(前回参照)も、やっぱりあるということでいい。
釣手土器の話 21 - ツチノコ、またはノヅチの件
図1 札沢出土*1
第19回で、札沢遺跡出土の釣手土器(図1)に乗ってるヘビについて、「ツチノコのよう」だと形容した。今回はこれ、ほんとにツチノコと何か関係あるんじゃないの、という話だ。こう書くと、
「このブログ、いよいよ(本腰入れて)トンデモに走るのか?」
と思われるかもしれないが、そういうことにはならないと思う(主観的に)。
多分誰でも知ってると思うが、一応ツチノコとは何かと言えば、図2のようなヘビ型の未確認生物(UMA)である。目撃例だけならくさるほどあるが、捕まって調べられたことは一度もない。熱帯のジャングルとかならまだしも、日本の山野にこんなのがいて、隠れおおせるのはまぁ無理だろう。未確認生物と言うよりは、河童や天狗のような妖怪の類とみた方がいい*3。
ちなみにツチノコについて「実在しない」と言うと、夢がない、ロマンがないという話になりがちだ。が、普通に細胞でできてるヘビよりも、イメージの世界に生きる妖怪の方が、ロマンがある――と、私などは思うが、どうだろうか。
それはともかく、このツチノコという名前、もともとは近畿地方などの方言だ。1970年代の「ツチノコブーム」で定着したもので、それ以前は「野槌(ノヅチ)」という呼び方が一般的だった。江戸時代の『信濃奇勝録』や『野山草木通志』に、「ノヅチ」のイラストが描いてある(図3)。すでにいまで言うツチノコと、同じ姿でイメージされていたことがわかる。
図3 野槌 - 上:『信濃奇勝録』/下:『野山草木通志』*4
面白いことに、このノヅチという言葉、『古事記』『日本書紀』にもすでに出てくるのだ。
……次に野の神、名は鹿屋野比売(かやのひめ)神を生みき。またの名は野椎(のづち)神といふ。
(『古事記』)
……次に草の祖、草野(かやの)姫を生む。または野槌と名づく。
(『日本書紀』)
要は、イザナギ・イザナミ夫妻の産んだ野の神だか、草の神だかの名前が「ノヅチ」である。もちろんこっちのノヅチ神は、別にヘビだとはされていない。が、ノヅチはやっぱりこの時代から、ヘビの名前だっただろうと思わせるような節はある。イザナミにまとわりついてた八雷神の1つが、「ノヅチ」と呼ばれているからだ。
「足の上に在るは野雷(のづち)といふ」
と、『日本書紀』にきっちり書いてある(第17回参照)。
さて。ここらでちょっと立ち止まって、考えてみよう。
――まず、札沢釣手土器(図1)のヘビたちは、八雷神のプロトタイプみたいなものだったらしい(これは第18回や19回で書いた)。
――その八雷神のうち、少なくとも1匹は「ノヅチ」と呼ばれている。
――で、同じくノヅチと呼ばれるヘビの妖怪は、札沢釣手土器のヘビたちとやけに似ているのだ。
こうなると、釣手土器のヘビたちについて、たまたまノヅチ(ツチノコ)に形が似てました、で片づけるのはちょっと気が引ける。神話のノヅチ(野雷)がすでにヘビであり、札沢釣手土器のヘビたちも、これと無関係ではないと仮定してみよう。この場合、ノヅチは早くも縄文時代から、いまのツチノコとほぼ同じ姿でイメージされてたことにならないか?
もちろん、妖怪のノヅチが初めてしっかりと描かれたのは、江戸時代後期(19世紀)である。釣手土器の時代とは、4000年くらい離れてる。いくらなんでも偶然でしょうと言われたら、やっぱそうだよねと思えてくる。でも一方で、そんな偶然があるかと言われたら、それもそうだよねと思うのである。論文にして発表するような話ではないが*5、のちのノヅチにあたるヘビの妖怪(または神?)が、縄文時代から語り継がれてた可能性は、結構あると思っている。
ちなみにこの仮説には、一つ問題がある。そもそも『日本書紀』の「野雷」という言葉は、本当にノヅチと読めるのか? という問題だが、これについては次回で書く。
*1:『長野県立歴史館研究紀要』5号 1999年より。
*2:http://tendinmy.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_f0e/tendinmy/tuchinoko43.jpg
*3:妖怪としてのツチノコについては、伊藤龍平『ツチノコの民俗学』青弓社 2008年にくわしい。
*4:上:http://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F765064&contentNo=14&outputScale=1/下:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%81%E3%83%8E%E3%82%B3#/media/File:Suizan_Nozuchi.jpg
*5:普通の雑誌には多分載らないだろう。
釣手土器の話 20 - ヘビと死の世界
死んだイザナミがヘビたち(八雷神)をまとわりつかせていたのと同じように、釣手土器裏側の「目ばかりの顔」もヘビまみれだった(前回参照)。
図1 左:御殿場出土/右:曽利出土*1
※曽利例の首から上は、推定復元。
ここまでで、釣手土器(特に、顔面把手付きのそれ。図1)の文様解読はほぼ終わりだ。主な結果をまとめると、以下のようになる。
1. 顔面把手付釣手土器の表側(窓が1つしかない方)は、「火を出産する女性」を表す(第4回)。
2. 釣手土器の裏側はたいてい、「目ばっかりで表され、目の間をヘビがはい上がる」という異様な顔面になっている(第13回など)。
3. 「目ばかりの顔」の周りにある逆立った髪の毛みたいなものも、ヘビである(前回)。
これらはやはりどうみても、
「のちのイザナミ神話(火を出産したせいで死に、あの世の支配者になる女神の物語)の原形は、縄文時代にはすでにできていた。釣手土器は全体として、この女神の姿を表している」
という田中基氏の仮説(第3回参照)にとって有利である。
ちなみに第3回ではこの仮説に、次のような仮想ツッコミ(いまつくった言葉)を入れておいた。
この正面のデザインは、ほんとに出産の様子を表したものか? 単にランプの飾りとして、顔面把手をつけてみただけかもしれないだろ。
裏側も、これがなぜ顔だと言えるのか? 鼻も口もないのだから、2つの窓が目を表してると、言い切れる根拠はないはずだ。
髪の毛(のように見えるもの)にしても、ヘビの頭は見当たらない。頭がなければただの紐であり、ヘビだかなんだか知れたものじゃない。……
このツッコミについては第4回~前回で、一応クリアしたことになる。田中氏の仮説が真相にどストライクである可能性は、かなり高くなったということでいいんじゃなかろうか。
さてこの場合、釣手土器裏側の「目ばかり、しかもヘビまみれの顔」は、死んだ女神の顔面を表していることになる。多分現実の死体には、ヘビはそれほど好き好んで寄ってきたりはしないだろう。でも人間のイメージの中では、ヘビと「死」は深く結びついてるものらしい。
たとえば中村禎里(「ていり」と読む)氏は、イザナミ神話の八雷神などに関連して、「ヘビは死霊とくに悪霊の象徴」であると説く*2。「メメント・モリ(死を思え)」をテーマにした西洋美術でも、死体の周りにちょいちょいヘビが顔を出すことだし(図2)、多分そういうものなのだろう。
ともあれ、釣手土器のヘビたちは、胴体が太短かったり、鼻先がなかったりするのが一風変わっている。次回以降、このあたりの事情と言うか、背景についても考えてみたい。
*1:左:http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/158078/右:『井戸尻 第8集』富士見町井戸尻考古館 2006年より。
*2:中村禎里『日本人の動物観』ビイング・ネット・プレス 2006年 80ページなど。
*3:http://mementmori-art.com/archives/20256071.html。エゲルさん(Paul Egell 1691-1752)は、ドイツの彫刻家。
釣手土器の話 19 - ヘビの頭が消えてゆく
というわけで今回は、「釣手土器裏面にちょいちょい現れる、逆立った髪の毛みたいなもの」(図1)が、ヘビかどうかという話である。
図1 左:曽利出土/右:御殿場出土*1
むろん曽利例や御殿場例だけなら、肝心のヘビの頭がないので(図2参照)、正直いかんともしがたい。
図2 御殿場出土(横から)*2
が、似たようなタイプの釣手土器の中には、うまい具合にヘビの頭(らしきもの)が残ってる例がないでもない。一番わかりやすいのは、中道遺跡(長野県長和町)出土の釣手土器(図3)だ。
図3 中道出土*3
ちなみにこの土器は、図3のような完全な形で見つかったものでは全然ない。わずかな破片から復元されたもので、復元部分に横線を入れると、図4のような感じになる。
図4 出土したのは白い部分だけ*4
たったこれだけの破片をもとに、ここまで復元していいのかと、心もとなさが止まらない。ともあれ幸いと言うべきか、よく見れば、復元に必要な部分はだいたい残ってる。特に裏側は、(てっぺんの部分はちょっと怪しいが)およそこの通りの形だったと思っていいだろう。「目ばかりの顔の周りに、髪の毛的なもの」というデザインは、曽利例などと同じである。
で、問題のヘビの頭はどこなのかと言えば、それはもちろんこの部分(図5↓)だ。
図5 中道出土 - ヘビとその頭
これが頭? と思われるかもしれないが、縄文時代にヘビの頭と言えば、だいたい似たような形である(図6)。
図6 蛇身装飾 - 茅野和田出土*5
中道例の場合、鼻先がないのがなんとも不思議だが、北原遺跡(山梨県甲州市)の釣手土器にも、やはり鼻先が平らになった3匹のヘビがとりつけられている(図7)。
図7 北原出土*6
自分でヘビヘビ言っておいてなんだが、図5や7を見ただけでは、これがほんとにヘビなのか、正直かなりおぼつかない。鼻先が平らなだけならまだいいが(よくはないが)、ヘビにしては、胴体が太くて短すぎる。が、札沢遺跡(長野県富士見町)の釣手土器(図8)を見ると、これはやはりヘビだということがわかる。
図8 札沢出土*7
北原例と同じく、「胴体が太く短くて、しっぽの跳ね上がった」ヘビたちが、釣手土器の上に乗っている。ツチノコのような姿ではあるが、これはさすがにヘビ以外の何かには見えない。札沢・北原・中道の順に並べると、「だんだん胴体の丸さが強調され、頭が省略されていった」プロセスがはっきりみてとれる(図9)。さらに頭の省略が進むと、曽利例や御殿場例(図1・2)のようになるのだろう。
図9 頭が消えてゆくの図
縄文人は一般に、土器や土偶のデザインをデフォルメするのがやけに早い。たとえばいわゆる「遮光器土偶」も、最初はもう少し人間らしい姿だったのに、だんだん目ばかり大きくなったり、鼻や口が省略されたりで、シュールな造りになっていった(で、宇宙人などと呼ばれる羽目になる。図10)。釣手土器裏側のヘビも同じなりゆきで、だんだんヘビらしくなくなってしまったのだろう。
図10 遮光器土偶 - 左:高森岱出土/右:亀ヶ岡出土*8
※左の方が古いタイプで、こっちにはちゃんと鼻が(胸も)ある。
図1で「ヘビ?」と書いた例のパーツは、やはりヘビとみてよさそうだ。とすれば、釣手土器裏側の「目ばかりの顔」には、たいてい数匹のヘビたちがまとわりついていたことになる。これはやはり、「八雷神」(=ヘビ)をまとわりつかせたイザナミ神(死の女神としてのそれ)に近い。
*1:左:『井戸尻 第8集』富士見町井戸尻考古館 2006年より。/右:http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/158078
*2:http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/158078
*4:この横線は川谷が引いた。多分間違ってないと思う。
*6:http://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/topics/201-300/images/kenshi_turite_inoshishi001.jpg
*7:『長野県立歴史館研究紀要』5号 1999年より。
*8:左:http://livedoor.blogimg.jp/nara_suimeishi/imgs/2/c/2c0ed28b.jpg/右:http://www.tnm.jp/uploads/r_collection/LL_64.jpg