神話とか、古代史とか。

日本をはじめあちこちの神話や古代史、古代文化について、考えたこと、わかったこと、考えたけどわからないことなど。

釣手土器の話 25 - 顔面把手とイノシシの鼻

 釣手土器の世界では、ヘビは「死」、イノシシは「生」の象徴だったんじゃないかと、前回で書いた。釣手土器の表(窓が1つしかない方)は「生」の世界だから、主にイノシシが現れる。一方裏は「死」の世界だから、ヘビが強調されておるのだろう、という解釈だ。

 今回は、顔面把手についてもある程度、同じことが言えそうだという話である。

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図1 富士見台出土*1

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図2 比々多神社蔵*2

 顔面把手の裏側にも、釣手土器ほどではないが、ちょいちょいヘビが顔を出している。たとえば富士見台例(神奈川県川崎市。図1)の裏側が多分ヘビだということは、第11回で書いた。神奈川県伊勢原市、三之宮比々多神社所蔵の顔面把手(図2)の裏も、よりあからさまにヘビである。

 今回特に注目したいのは、海戸遺跡(長野県岡谷市)の顔面把手付土器だ。第11回12回でもとり上げたが、改めて写真を貼っておこう(図3)。

f:id:calbalacrab:20170220221525j:plain図3 海戸出土

 横から見るとかなりしっかりと、ヘビがうしろからはい上がっている。でもこれ、正面から見てみると(図4)、どうも様子がおかしいのだ。

f:id:calbalacrab:20170708103335j:plain図4 海戸出土

 ヘビの口があるはずの場所に、それらしいものがないように見える。よく見れば、ヘビの口を表す線が途中で切れてしまい、正面に続いていないのだ。

 この時代のヘビの口は普通、こんなおかしな形ではない。同じタイプのヘビなら、たとえば多喜窪遺跡(東京都国分寺市)から出た土器(図5)のように、もっと口らしい感じになっているものだ。

f:id:calbalacrab:20170708104642j:plain図5 多喜窪出土*3

 海戸顔面把手のヘビの口だけが、なぜ途中で断ち切られたような形になっているのだろう? これはやはり、この把手でも表が「生の世界」、裏が「死の世界」とされていたからではなかろうか。「生の世界」である表側からは、ヘビが見えてはいかんということで、このデザインになったとみるのである。

 そう考えると、この顔面の鼻の形(図4)もまた、どうも意味ありげに見えてくる。これはイノシシの鼻ではあるまいか? こっち側は「生の世界」だから、「生」の象徴であるイノシシをまねて、こういう鼻にしたのだろう。

 こう書くと、ただのあてずっぽうみたいだが、実はそれらしい証拠もある。松山前遺跡(東京都あきる野市)の顔面把手(図6)には、頭上にイノシシ(多分)が乗っている。で、この顔面の鼻はどう見ても、頭上のイノシシとおそろいだ。

f:id:calbalacrab:20170708160405j:plain図6 松山前出土*4

 こうなると、顔面把手によくあるこのブタっぽい鼻は、やはりイノシシのまねだろう(ちなみに図2も同じ鼻である)。そもそも縄文人は、現代の日本人よりも、顔が「濃かった」と言われている(図7)。鼻柱も、むしろがっちりしてたはずで、図4のような鼻の人は、珍しかったにちがいない。顔面把手の鼻を意味もなく、わざわざこの形にはしないだろう。

f:id:calbalacrab:20170708213921j:plain図7 縄文人の想像図*5

 「生」の象徴であるイノシシの鼻と、「死」の象徴であるヘビが、同じ方向から見えてしまうのはよろしくない。多分そういうコンセプトで、海戸顔面把手のヘビの鼻先は、妙な形になっているのだろう。

 ここで終わりたいとこだが困るのは、このコンセプトが当てはまらない例もあることだ。たとえば神地遺跡(山梨県道志村)の顔面把手(図8)もその一つである。

f:id:calbalacrab:20170708212358j:plain図8 神地出土*6

 やはり鼻先はイノシシだが、頭上に乗ってるのはヘビだろう。で、こっちはヘビの鼻先(口)が、普通に正面から見えている。

 こっちがいくら法則性を見つけたつもりでも、世界は常に「その外側」をもっている。ということでこの件は、ややぐだぐだのうちに終わりである。

*1:拙論「吊手土器の象徴性(上)」(大和書房『東アジアの古代文化』96号 1998年)より。

*2:神奈川考古学会『考古論叢神奈河』17集 2009年より。

*3:http://uenogasuki.tokyo/wp-content/uploads/2015/10/E0047344.jpg

*4:http://image.tnm.jp/image/1024/C0015068.jpg

*5:http://static.xtreeem.com/matome/file/parts/I0000462/9b4451bd07c119eea4c87eb6201e0d52.jpg

*6:http://www.vill.doshi.lg.jp/common/images/event120/p001.pdf

釣手土器の話 24 - イノシシなのか、ヘビなのか

 釣手土器の上にはだいたいにおいて、変なヘビたちが乗っている。中でも特に変なのは、北原遺跡(山梨県甲州市)の釣手土器(図1)だ。第19回以来何度かとり上げてきたが、あらためてフィーチャー*1してみよう。

f:id:calbalacrab:20170509205901j:plain図1 北原出土*2

 図1でおわかりの通り、どういうわけかこのヘビは、鼻がブタ鼻になっている。この時代、まだ家畜のブタはいないはずだから、多分イノシシの鼻だろう。
 実はこれ、穴場遺跡(長野県諏訪市)の釣手土器(図2)にもある特徴だ。北原例と並べるとほぼそっくりで、デザイン的に同じ流れをくんでいることがわかる(図3)。

f:id:calbalacrab:20170630203555j:plain図2 穴場出土*3

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図3 左:北原出土/右:穴場出土

 この手の、「全体的にはヘビなのに、鼻だけイノシシになってる」デザインは、このあたりの縄文土器ではときどきお目にかかる。たとえば茅野和田遺跡(長野県茅野市)の蛇身装飾(図4)などは、典型的でわかりやすい。

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図4 茅野和田出土*4

 もちろんこんなのが実在したとは思えないし、架空の動物なのだろう。縄文人のイメージの中には、イノシシとヘビが融合した姿の妖怪、または神様がいたということだ。ほんとの名前はもちろん不明だが、考古学者の渡辺誠氏は、これを「イノヘビ」と命名した*5

 ちなみに、ヘビとイノシシがペアと言うか、対をなす関係にあったらしいという形跡は、日本の神話・伝説にもある。『古事記』によれば、ヤマトタケルを呪い殺した伊吹山の神は、白いイノシシだった。一方『日本書紀』では同じ神が、なぜか大蛇として登場する。

 ところでヘビについては第20回で、「死の象徴」だろうと推測した。この場合、イノシシはこれと対照的な意味――すなわち、「生の象徴」という意味をもっていたのではなかろうか。

 実際、北原釣手土器の表側からは、イノシシの鼻が見えるだけで、ヘビたちは見えない。逆に裏からはヘビだけが見え、鼻先がどうなってるかは不明なのだ。これはつまり、釣手土器の表(窓が1つしかない方)は「生」の世界、裏は「死」の世界を表しているからだろう。だからこそ、「生」の象徴であるイノシシは表、「死」を象徴するヘビは裏からしか、見えないようになっているわけだ。

 もちろん、穴場例や札沢例、また井荻三丁目例では、表からもヘビが丸見えだし(図5)、全部が全部というわけではない。でも全体として、そういう傾向があることはたしかだ。

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図5 左:穴場出土/中:札沢出土/右:井荻三丁目出土*6

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図6 御殿場出土*7

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図7 曽利出土*8

 たとえば御殿場例や曽利例(図6・7)でも、裏はヘビまみれだが(第19回参照)、表からは一切、ヘビたちは見えない。
「裏(死の世界)に回ると突然、ヘビが現れる」
 という演出意図があるようにみえる。

 同じ仕掛けは釣手土器のほか、顔面把手付土器にもあるらしいのだが、長くなったから今度書こう。

*1:これ、「フューチャー」と言う人も多いが、フィーチャーが正しいらしい。

*2:http://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/topics/201-300/images/kenshi_turite_inoshishi001.jpg

*3:上:諏訪市博物館の絵はがきより。/下:『穴場ANABA(1)』諏訪市教育委員会 1983年。

*4:『茅野和田遺跡』茅野市教育委員会 1970年より。

*5:渡辺誠『よみがえる縄文の女神』学研プラス 2013年 100ページ。

*6:中:『長野県立歴史館研究紀要』5号 1999年より。/右:江坂輝彌ほか編『古代史発掘(3)土偶芸術と信仰』講談社 1974年より。

*7:http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/158078

*8:『井戸尻 第8集』富士見町井戸尻考古館 2006年より。

今年2本目

 『比較民俗学会報』171号に、「ウケヒと『競争的単性生殖』の神話」という論文を発表した。今年2本目の論文だ。

 『古事記』『日本書紀』には、
「アマテラスとスサノヲの姉弟が、『ウケヒ』という呪術でそれぞれ子をつくり、その結果で優劣を決める」
 という、よくわからない場面がある。そのウケヒ神話を、国外のいろんな神話(特に「ヤズディ教神話」)と比較したものだ。ちなみにヤズディ教とは、クルド民族の一部が信仰するもので、知る人ぞ知る秘教である*1

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マラク=ターウース*2
ヤズディ教で特に信仰される大天使。『孔雀王』という漫画にも、「メレクタウス」という名で出てくるんだったか?

 そのうちまた、PDF化して公表すると思う。

釣手土器の話 23 - 一風変わった釣手土器

 札沢遺跡出土の釣手土器(図1)には、ノヅチ(ツチノコ)関係でこのところお世話になっている。今回はヘビだけでなく、土器全体のデザインに注目してみよう。

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図1 札沢出土*1

 釣手土器の裏側(窓が複数ある方)は、たいてい「目ばかりの顔」になってると、これはもう何度も書いてきた。でも札沢釣手土器は、どうもそういう感じではない。「三角形(むしろ、半円形?)の中に円」みたいなデザインで、少なくとも顔ではないだろう。

f:id:calbalacrab:20170614115454j:plain図2 北原出土*2

 ちなみに北原遺跡の釣手土器(図2)も、よく見ると同じコンセプトだ。ただしこちらは、「三角形に円」が左右に2つ並んだような形になっている。これは第14回で触れた、「裏が双面の土器」と同じ理屈だろう。釣手土器の裏側はどういうわけか、同じデザインを左右に並べた形になることがある。

 この「三角形に円」のデザインは、何を表してるものなのか?

 この問題は、過去に何度かとり上げた井荻三丁目遺跡の釣手土器(図3左)と比較すれば、割と簡単に答が出る。

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図3 左:井荻三丁目出土/右:札沢出土*3

 井荻釣手土器も、札沢や北原のと同じく、「三角形に円」のパターンだ。そしてこちらは、その上に顔がついている。顔との位置関係からみて、この真ん中の窓はぶっちゃけた話、女性器を表すものだろう。
 ちなみに井荻例の窓のまわりのパーツは、よく見るとヘビの頭である。いまは1つが欠けているが、もともとは5つあったのだろう。ヘビにまみれているところも、井荻例と札沢例はよく似ている。

 井荻例の真ん中の窓が性器なら、顔のすぐ下に性器があるということになる。一見妙なデザインだが、曽利遺跡出土の土器(図4左)も、だいたい似たような形である。

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図4 左:曽利出土/右: 井荻三丁目出土*4

 やはり顔(多分)のやや下に、股間にぶら下がるように性器がある。全体的なデザインも井荻例によく似ており、特に頭上の「上に向かって口を開けたヘビ」がそっくりだ(くわしくは第10回参照)。

 曽利遺跡の土器と、井荻や札沢、また北原の釣手土器はデザイン的に、同じ流れをくんでいるのだろう。そのつもりで曽利土器と札沢釣手土器をくらべると、曽利例で性器に向かってる謎の矢印*5が、札沢の「性器をのぞきこむヘビ」そっくりに見えてくるのも楽しい(図5)。

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図5 左:曽利出土/右:札沢出土

*1:『長野県立歴史館研究紀要』5号 1999年より。

*2:http://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/topics/201-300/images/kenshi_turite_inoshishi001.jpg

*3:左:江坂輝彌ほか編『古代史発掘(3)土偶芸術と信仰』講談社 1974年より。

*4:左:『井戸尻 第6集』富士見町教育委員会 1988年より。

*5:言うまでもなく、男根を表すものだろう。

釣手土器の話 22 - 野雷と書いてノヅチと読む

 釣手土器の話と題してるが、今回は釣手土器あまり関係ない。八雷神の1柱である「野雷」をノヅチと読んで、いいのか悪いのかという話だ。

 まず、岩波文庫の『日本書紀(1)』を見ると、普通に「のつち」とルビが振ってある(54ページ)。厳密にはノチじゃなくてノチだが、日本語は濁点に関してアバウトだし、ここは気にしなくていいだろう。講談社学術文庫の『日本書紀(上)』も、ルビはやっぱり「のつち」である(31ページ)。

 問題は中央公論社の『日本書紀(上)』で、これだけは何を思ったか、「ののいかずち」と読ませている(100ページ)。多数決なら2対1でノツチ(ノヅチ)の勝ちだが、学問ではそういうわけにもいかない。ノヅチ説とノノイカヅ(ズ)チ説、どっちの読み方が正しいのか? ノノイカヅチだと、八雷神とツチノコ(ノヅチ)はほぼ無関係になってしまうから、結構重要な問題だ。

 まず、岩波や講談社の『日本書紀』をよく読んでみると、おかしな点があることに気づく。八雷神のうちの6柱――たとえば「土雷」や「火雷」については、「つちのいかづち」「ほのいかづち」などと読ませているのである。たしかに考えてみれば、ここで雷を「つち」と読むと、土雷は「つちつち」になってしまう。でも「山雷」のルビは「やまつち」で、「野雷」は「のつち」。雷=「つち」なのはこの2柱だけだ。

 同じ八雷神なのに、6柱は「いかづち」、2柱は「つち」と、違う読み方をさせるのは一見無理がある。全部「いかず(づ)ち」で通した中央公論社の方が、筋は通っているのである。こうしてみるとノヅチ説は、非常に不利に思えてくる。

 でもこれは、あくまで八雷神のくだりだけ読んだ場合の話だ。『日本書紀』を通して読んでみると、ノノイカヅチはやはり間違いで、ノツチ(ノヅチ)が正しいということがわかる。なぜか?

 実は「山雷」という言葉は『日本書紀』で、ここにだけ出てくるわけではない。あと2ヵ所にも登場し、どっちもノヅチと対になっている。

 まず、アマテラスが天岩戸に隠れたとき、なんとか引っぱり出そうと神々が協力する場面は次の通り。

また山雷者(やまつち)をして、五百箇(いほつ)の真坂樹の八十玉籤(やそたまくし)を採らしむ。野槌者(のづち)をして、五百箇の野薦(のすず)の八十玉籤を採らしむ。

 次に、イハレヒコ(神武天皇)が戦勝祈願をする場面は、こうだ。

薪の名をば厳山雷(いつのやまつち)とす。草の名をば厳野椎(いつののづち)とす。

 どっちも明らかに、山雷はノヅチとペアである。そしてこの関係は、八雷神が出てくる場面でも同じなのだ。

手に在るは山雷といふ。足の上に在るは野雷といふ。

 前の2つと同じパターンで、「山」と「野」がセットになっていることがわかる。そして大事なのは、前の2つ――「野槌」や「野椎」は、「ノヅチ」としか読めないということだ。

 『日本書紀』で3度くり返される「山雷」と「野~」のペアの中で、少なくとも2つは明らかに、「ヤマツチ」と「ノヅチ」だ。となれば当然、八雷神中の山雷・野雷も、ヤマツチ・ノヅチと読まれるべきだろう。ここだけ「ヤマノイカヅチ」「ノノイカヅチ」だったら、その方がよほど変である。

 というわけで、イザナミの死体にまとわりついてた野雷は、やはり「ノヅチ」でいいのである。これが太短いヘビの妖怪――ノヅチ(ツチノコ)につながる可能性(前回参照)も、やっぱりあるということでいい。

釣手土器の話 21 - ツチノコ、またはノヅチの件

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図1 札沢出土*1

 第19回で、札沢遺跡出土の釣手土器(図1)に乗ってるヘビについて、「ツチノコのよう」だと形容した。今回はこれ、ほんとにツチノコと何か関係あるんじゃないの、という話だ。こう書くと、
「このブログ、いよいよ(本腰入れて)トンデモに走るのか?」
 と思われるかもしれないが、そういうことにはならないと思う(主観的に)。

f:id:calbalacrab:20170608130405j:plain図2 ツチノコ*2

 多分誰でも知ってると思うが、一応ツチノコとは何かと言えば、図2のようなヘビ型の未確認生物(UMA)である。目撃例だけならくさるほどあるが、捕まって調べられたことは一度もない。熱帯のジャングルとかならまだしも、日本の山野にこんなのがいて、隠れおおせるのはまぁ無理だろう。未確認生物と言うよりは、河童や天狗のような妖怪の類とみた方がいい*3

 ちなみにツチノコについて「実在しない」と言うと、夢がない、ロマンがないという話になりがちだ。が、普通に細胞でできてるヘビよりも、イメージの世界に生きる妖怪の方が、ロマンがある――と、私などは思うが、どうだろうか。

 それはともかく、このツチノコという名前、もともとは近畿地方などの方言だ。1970年代の「ツチノコブーム」で定着したもので、それ以前は「野槌(ノヅチ)」という呼び方が一般的だった。江戸時代の『信濃奇勝録』や『野山草木通志』に、「ノヅチ」のイラストが描いてある(図3)。すでにいまで言うツチノコと、同じ姿でイメージされていたことがわかる。

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図3 野槌 - 上:『信濃奇勝録』/下:『野山草木通志』*4

 面白いことに、このノヅチという言葉、『古事記』『日本書紀』にもすでに出てくるのだ。

……次に野の神、名は鹿屋野比売(かやのひめ)神を生みき。またの名は野椎(のづち)神といふ。

(『古事記』)

……次に草の祖、草野(かやの)姫を生む。または野槌と名づく。

(『日本書紀』)

 要は、イザナギイザナミ夫妻の産んだ野の神だか、草の神だかの名前が「ノヅチ」である。もちろんこっちのノヅチ神は、別にヘビだとはされていない。が、ノヅチはやっぱりこの時代から、ヘビの名前だっただろうと思わせるような節はある。イザナミにまとわりついてた八雷神の1つが、「ノヅチ」と呼ばれているからだ。
「足の上に在るは野雷(のづち)といふ」
 と、『日本書紀』にきっちり書いてある(第17回参照)。

 さて。ここらでちょっと立ち止まって、考えてみよう。
 ――まず、札沢釣手土器(図1)のヘビたちは、八雷神のプロトタイプみたいなものだったらしい(これは第18回19回で書いた)。
 ――その八雷神のうち、少なくとも1匹は「ノヅチ」と呼ばれている。
 ――で、同じくノヅチと呼ばれるヘビの妖怪は、札沢釣手土器のヘビたちとやけに似ているのだ。

 こうなると、釣手土器のヘビたちについて、たまたまノヅチ(ツチノコ)に形が似てました、で片づけるのはちょっと気が引ける。神話のノヅチ(野雷)がすでにヘビであり、札沢釣手土器のヘビたちも、これと無関係ではないと仮定してみよう。この場合、ノヅチは早くも縄文時代から、いまのツチノコとほぼ同じ姿でイメージされてたことにならないか?

 もちろん、妖怪のノヅチが初めてしっかりと描かれたのは、江戸時代後期(19世紀)である。釣手土器の時代とは、4000年くらい離れてる。いくらなんでも偶然でしょうと言われたら、やっぱそうだよねと思えてくる。でも一方で、そんな偶然があるかと言われたら、それもそうだよねと思うのである。論文にして発表するような話ではないが*5、のちのノヅチにあたるヘビの妖怪(または神?)が、縄文時代から語り継がれてた可能性は、結構あると思っている。

 ちなみにこの仮説には、一つ問題がある。そもそも『日本書紀』の「野雷」という言葉は、本当にノヅチと読めるのか? という問題だが、これについては次回で書く。

*1:『長野県立歴史館研究紀要』5号 1999年より。

*2:http://tendinmy.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_f0e/tendinmy/tuchinoko43.jpg

*3:妖怪としてのツチノコについては、伊藤龍平『ツチノコ民俗学青弓社 2008年にくわしい。

*4:上:http://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F765064&contentNo=14&outputScale=1/下:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%81%E3%83%8E%E3%82%B3#/media/File:Suizan_Nozuchi.jpg

*5:普通の雑誌には多分載らないだろう。

釣手土器の話 20 - ヘビと死の世界

 死んだイザナミがヘビたち(八雷神)をまとわりつかせていたのと同じように、釣手土器裏側の「目ばかりの顔」もヘビまみれだった(前回参照)。

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図1 左:御殿場出土/右:曽利出土*1
※曽利例の首から上は、推定復元。

 ここまでで、釣手土器(特に、顔面把手付きのそれ。図1)の文様解読はほぼ終わりだ。主な結果をまとめると、以下のようになる。

1. 顔面把手付釣手土器の表側(窓が1つしかない方)は、「火を出産する女性」を表す(第4回)。
2. 釣手土器の裏側はたいてい、「目ばっかりで表され、目の間をヘビがはい上がる」という異様な顔面になっている(第13回など)。
3. 「目ばかりの顔」の周りにある逆立った髪の毛みたいなものも、ヘビである(前回)。

 これらはやはりどうみても、
「のちのイザナミ神話(火を出産したせいで死に、あの世の支配者になる女神の物語)の原形は、縄文時代にはすでにできていた。釣手土器は全体として、この女神の姿を表している」
 という田中基氏の仮説(第3回参照)にとって有利である。

 ちなみに第3回ではこの仮説に、次のような仮想ツッコミ(いまつくった言葉)を入れておいた。

 この正面のデザインは、ほんとに出産の様子を表したものか? 単にランプの飾りとして、顔面把手をつけてみただけかもしれないだろ。
 裏側も、これがなぜ顔だと言えるのか? 鼻も口もないのだから、2つの窓が目を表してると、言い切れる根拠はないはずだ。
 髪の毛(のように見えるもの)にしても、ヘビの頭は見当たらない。頭がなければただの紐であり、ヘビだかなんだか知れたものじゃない。……

 このツッコミについては第4回前回で、一応クリアしたことになる。田中氏の仮説が真相にどストライクである可能性は、かなり高くなったということでいいんじゃなかろうか。

 さてこの場合、釣手土器裏側の「目ばかり、しかもヘビまみれの顔」は、死んだ女神の顔面を表していることになる。多分現実の死体には、ヘビはそれほど好き好んで寄ってきたりはしないだろう。でも人間のイメージの中では、ヘビと「死」は深く結びついてるものらしい。

 たとえば中村禎里(「ていり」と読む)氏は、イザナミ神話の八雷神などに関連して、「ヘビは死霊とくに悪霊の象徴」であると説く*2。「メメント・モリ(死を思え)」をテーマにした西洋美術でも、死体の周りにちょいちょいヘビが顔を出すことだし(図2)、多分そういうものなのだろう。

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図2 18世紀、パウル=エゲルの作*3

 ともあれ、釣手土器のヘビたちは、胴体が太短かったり、鼻先がなかったりするのが一風変わっている。次回以降、このあたりの事情と言うか、背景についても考えてみたい。

*1:左:http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/158078/右:『井戸尻 第8集』富士見町井戸尻考古館 2006年より。

*2:中村禎里『日本人の動物観』ビイング・ネット・プレス 2006年 80ページなど。

*3:http://mementmori-art.com/archives/20256071.html。エゲルさん(Paul Egell 1691-1752)は、ドイツの彫刻家。